日本から戻ってきました。
滞在した10日間、行き帰りの空港にも会う約束をして、目一杯、これまでの旅で会いそびれていた人、会っておきたい人に会ってきました。
それぞれに過ごした時間はとても短かったけれど、それぞれに楽しく、懐かしく、やっぱり生はいいなあ…という思いでいっぱいになりました。
わたしたちのために時間を割いた上に散財をしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
写真をパカパカと載せておきます。
個人的なものはまた後ほど、個々に送りますので、楽しみに待っていてください。
今回は、良いチケットを買いそびれた挙げ句の、初めてのカナダエアでしたが、座席がゆったりとしていてなかなか良かったです。
あのぶっとい河はなんじゃろか?と思いながら撮っていると、

機長からのアナウンスがあって、ナイアガラの滝へと流れていた河なのでした。

トロント空港は、なんとも芸術的。

そんでもって、待合いの席のすべてが、iPadの無料使用!

そして羽田に着き、立ち食い寿司をじぃ~っとガン見しながら我慢して、

名古屋空港に到着。

名古屋空港まで会いに来てくれた、訪米最多記録を誇るマサコちゃん夫婦と再会!
めちゃくちゃ美味しい焼き魚定食を、うめぇ~うめぇ~と鳴き(泣き?)ながらいただきました。
マサコちゃん、ツトムくん、お土産の超ウマの大福餅+おやつとともに、ご馳走さまでしたぁ~!!
その夜は空港で一泊し、翌日、船に乗って津港まで行き、迎えに来てくれた母と義父と一緒に鳥羽の旅館へ。
ご馳走をたらふく食べて、日本酒をガンガンいただいた後に、なぜか逆立ちをする旦那…。

日の出なりけり。

ホテルが所有するパターゴルフに、体調を崩してた母を無理矢理誘ったら…あらあら、元気が出てきたし…。

なんとも暖かな快晴。

お向かえの島の半分が、セメント工場と化していました。

日の出その2なりけり。

海、大好き!

いやあ、そうか、あんたとこもか…ふんふん…お互い大変やなあ…。

鳥羽から旦那は大阪へ、そしてわたしは母の家へ。
日頃、義父が世話をしている畑。これからお豆さんが生えてくるそうな。

庭の紅葉が始まっていました。

今年80歳を迎えた母は、しんどいしんどいと言いながらも大病もせず、カラオケやグランドゴルフを楽しみながら過ごしてくれています。
遠く離れて暮らすわたしにとって、それがどれだけありがたいことか。
家に居る間は、母が録画したアメリカドラマや洋画を観ながら、3時のおやつを食べたり、適当に料理を作ったり、あっという間の3日間でした。
電車に乗る間際に、2度も、ギュウッとハグをしてくれた母。
これが最後かもしれんからな。
そう言う母の声が、今も耳に残っています。

お祝いに行ったはずが、なんでもかんでも世話になってしまい、なんともトホホな57歳の娘ですが、こんなけったいな親孝行もあるのだと居直るしかありません。
電車を乗り継ぎ、旦那との暮らしを始めた思い出の地、大津に行きました。
どこに行くにもカメラを忘れてしまい、写真は一枚も無し。
仲良しの友人ふたりと会って、ワイワイガヤガヤとおしゃべりをし、その晩は旦那も大阪から戻ってきて、今度は6人一緒にワイワイガヤガヤ。
その後男組と女組に別れて、それぞれに美味いもんを食べに行き、やっぱり奢ってもらってしまいました…およよ。
そして大津から京都に出て、そこから近鉄線に乗り換えて三重県に。
80歳の次は90歳?!父の姉である伯母は今年89歳、来年90歳になります。
弟とわたしの一番大変な時期に、とてもお世話になった人なのに、恩返しができないまま時が過ぎてしまって、本当に申し訳がありません。

なのでせめて食事だけでもと、なんとかしてご馳走させてもらおうと頑張ったのですが、伯母は頑として聞き入れてくれません。
夕飯は懐石料理を、そして翌日の昼食は和定食を、どちらもご馳走になってしまいました。

伯母が少しずつ剪定している庭。

いきなり「お琴を弾きたい~ったら弾きたい!」と、旦那が言い出して、大騒ぎに。
従姉のクミちゃんは、お茶とお花、そしてお琴の師範なのですが、性格に合わないからということで教えたことがありません。
そのことをずっと、「もったいないねんから…」と残念に思ってきた伯母は、久方ぶりのお琴の音色を聞いて、とても嬉しそうでした。

驚いたことに、爪や楽譜の在処を、どの引き出しのどちら側にあるかということまで、明確に覚えていた伯母。
感動しました。

3歳から7歳まで、クミちゃんにくっついて、お琴の教室に通っていたわたしでしたが、これまた不思議、調弦の仕方から弾き方まで、体が覚えていました?!
もう半世紀も前のことなのに…。

旦那が使っているのは、伯母のお手製の爪。クミちゃんの爪は小さ過ぎて自分に合わないからと、何十年も前にセロテープで、見よう見まねで作ったのだそうです。

伯母ちゃん、これからももっともっと、元気で長生きしてね!
伯母の家から歩いて行ける所に、ピアノの師匠が住んでいます。
音楽の基礎を、わたしの体と心に、刻み込んでくださった人です。
行くと必ず、チャッチャと、ケラケラと、美味しくて美しくて、体も喜ぶお料理を作ってくれます。

塩麹に漬け込んだお魚。

翌日は、大阪の弟の所に行くので、京都に用事がある彼女に付いて京都まで行こうと思っていたのですが、
この陽気に加えて紅葉が見頃…というと、京都は人でいっぱいだろうということで、急きょ室生寺に出かけることになりました。
懐かしい田んぼと山の景色。
わたしと佐和子ちゃんが、毎週土曜日に、近鉄線で大阪まで通った電車の窓から眺めた景色です。


初めての室生寺。


もう、のっけから綺麗で綺麗で…動けません。



ふぅ~…やっと正門前。

階段がすごいよ~と聞いていましたが、ふんふん、これなら大丈夫かも…と思っていたら…。

紅葉のじゅうたん。

国宝の仏様がいらっしゃるというのに、なぁ~んもせんとそのまんま、という姿がまたいい!

この時期は特別に、中まで入らせていただけたので、東北の大震災を見舞いに出かけられた際に、埃を払い美しくなった十二神将さまたちも、しっかりと観させていただきました。
そして次は、先だっての台風で破損したという五重塔へ。

大きな杉の木は、時にお堂を守り、時にお堂を破壊するのだと、自然の力のすごさをしみじみと思いました。


「覚悟は良いか?」と、いきなり師匠に聞かれ、ふとその方向を見てみると…。

先が見えないほどに続く階段を、途中で何度も休みながら、なんとか無事に上り、そして下りてきました。


黄色もきれい!

やっぱり日本紅葉が一番だと思う!

旦那の真似をして。

今回の旅の間、ひとつだけ困ったのがインターネット。
『インターネットが使えます』という看板があっても、ソフトバンクと契約してないとダメだったり、予め、メールで手続きしておかないとダメだったり…、
そんなん…不可能やん…というようなことばかりで、やっぱり日本はパソコンよりもケイタイということを痛感しました。
だから公衆電話だって、めちゃくちゃ見つけるの難しいし…。
一所でゆっくり過ごすのではなく、毎日違う人に会い、違うお家に寄らせていただくような旅には、なにか良い連絡方法を考えなくてはなりません。
師匠と別れた後は、最後の〆として、わたしは大阪の弟に、旦那は東京の友人に、それぞれ別れて会いに行きました。
弟は今、坐骨神経痛ともうひとつ、持病の悪化を抱えていて大変!
なのに、こんなご馳走を、福ちゃんと一緒に作ってくれました。

どデカい白子!

ふぐぅ~!

白子の蒸し焼きがまた…滅多に食べられへんので、しみじみといただきました。

ひの菜好きってのを覚えてくれてたことが嬉しい過ぎ!

もうなんちゅうか、顔がついつい…。


一番短い時間しか居れんかったのに、翌日の仕事を休んで新大阪まで送ってくれるという弟に、申し訳ないやらありがたいやら…。
実は、出発当日の朝、すっかりパンパンになった旅行カバンを起こそうとしたら…ギクッ?え?え?え?
最悪のタイミングで、ギックリとまではいかなかったのですが、キックリぐらいの痛みが走り…、
なのに、これだけは撮っておきたかったので、頑張って撮ったネギとお茄子。弟のお手製。


熱帯魚好きだった父の息子だけあって、やっぱりおんなじことしてる…世話の仕方はかなり改善されているそうです。

また来るし、その時までバイバイ。弟と福ちゃんのこと、守ったってや。

新幹線に乗ったら、そりゃ富士山でしょう!

乗ってる途中で大雨が降ってきたわりには、なんとか見えた富士山の胴体。

などと、のんきに写真を撮りつつも、腰の痛みはどんどんと増してきたので、弟からもらった経皮吸収型鎮痛剤のシップをペタンと貼って様子を観る事に。
京急線に乗り換えて、いざいざ羽田へ!腰よ、家に着くまで持ちこたえておくれぇ~!

羽田では、恭平のガールフレンドのお母さん、美保さんと初対面。
先に着いた旦那が、一目見ていっぺんに分かったという美保さん。
だってだって、まなっちゃんとそっくり過ぎな上に、若過ぎ!
わたしたちと1日違いで日本に来た恭平が、北海道に暮らすまなっちゃんのおじいちゃんおばあちゃんに会って、とても気に入られたと聞き、ホッと一安心。
あと1週間、3年ぶりの帰省旅行を、おおいに楽しんでもらいたいと願いつつ、わたしたちは飛行機の中に。
アメリカに戻るまでの時間、痛みを抑えようと、滅多に飲まないアスピリンを一錠だけ飲み、さらに痛みを忘れられるかもと、機内でビールを一口飲んだ後、目頭と鼻柱の間に、ぷっくりとした膨らみを発見。
あれ?眼鏡のせいかな?などと思っていたら、あれよあれよという間に腫れてきて、なんと、アバター顔に変身してしまいました。
これで肌色が緑なら、特殊メーク無しで出演可能間違いなし!
なんてふざけている場合ではありません。
こんなんで税関を無事に通過できるのか…。
それでなくても、呼び止められる率が高いのに…。
などと、最後の最後で腰が痛~い!顔がキショ~イ!と、大変な思いをしましたが、本当に素晴らしい、思い出深い旅になりました。

エンパイア・ステートビルディングが見えてきた。

さあ、また頑張らにゃ~!
滞在した10日間、行き帰りの空港にも会う約束をして、目一杯、これまでの旅で会いそびれていた人、会っておきたい人に会ってきました。
それぞれに過ごした時間はとても短かったけれど、それぞれに楽しく、懐かしく、やっぱり生はいいなあ…という思いでいっぱいになりました。
わたしたちのために時間を割いた上に散財をしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
写真をパカパカと載せておきます。
個人的なものはまた後ほど、個々に送りますので、楽しみに待っていてください。
今回は、良いチケットを買いそびれた挙げ句の、初めてのカナダエアでしたが、座席がゆったりとしていてなかなか良かったです。
あのぶっとい河はなんじゃろか?と思いながら撮っていると、

機長からのアナウンスがあって、ナイアガラの滝へと流れていた河なのでした。

トロント空港は、なんとも芸術的。

そんでもって、待合いの席のすべてが、iPadの無料使用!

そして羽田に着き、立ち食い寿司をじぃ~っとガン見しながら我慢して、

名古屋空港に到着。

名古屋空港まで会いに来てくれた、訪米最多記録を誇るマサコちゃん夫婦と再会!
めちゃくちゃ美味しい焼き魚定食を、うめぇ~うめぇ~と鳴き(泣き?)ながらいただきました。
マサコちゃん、ツトムくん、お土産の超ウマの大福餅+おやつとともに、ご馳走さまでしたぁ~!!
その夜は空港で一泊し、翌日、船に乗って津港まで行き、迎えに来てくれた母と義父と一緒に鳥羽の旅館へ。
ご馳走をたらふく食べて、日本酒をガンガンいただいた後に、なぜか逆立ちをする旦那…。

日の出なりけり。

ホテルが所有するパターゴルフに、体調を崩してた母を無理矢理誘ったら…あらあら、元気が出てきたし…。

なんとも暖かな快晴。

お向かえの島の半分が、セメント工場と化していました。

日の出その2なりけり。

海、大好き!

いやあ、そうか、あんたとこもか…ふんふん…お互い大変やなあ…。

鳥羽から旦那は大阪へ、そしてわたしは母の家へ。
日頃、義父が世話をしている畑。これからお豆さんが生えてくるそうな。

庭の紅葉が始まっていました。

今年80歳を迎えた母は、しんどいしんどいと言いながらも大病もせず、カラオケやグランドゴルフを楽しみながら過ごしてくれています。
遠く離れて暮らすわたしにとって、それがどれだけありがたいことか。
家に居る間は、母が録画したアメリカドラマや洋画を観ながら、3時のおやつを食べたり、適当に料理を作ったり、あっという間の3日間でした。
電車に乗る間際に、2度も、ギュウッとハグをしてくれた母。
これが最後かもしれんからな。
そう言う母の声が、今も耳に残っています。

お祝いに行ったはずが、なんでもかんでも世話になってしまい、なんともトホホな57歳の娘ですが、こんなけったいな親孝行もあるのだと居直るしかありません。
電車を乗り継ぎ、旦那との暮らしを始めた思い出の地、大津に行きました。
どこに行くにもカメラを忘れてしまい、写真は一枚も無し。
仲良しの友人ふたりと会って、ワイワイガヤガヤとおしゃべりをし、その晩は旦那も大阪から戻ってきて、今度は6人一緒にワイワイガヤガヤ。
その後男組と女組に別れて、それぞれに美味いもんを食べに行き、やっぱり奢ってもらってしまいました…およよ。
そして大津から京都に出て、そこから近鉄線に乗り換えて三重県に。
80歳の次は90歳?!父の姉である伯母は今年89歳、来年90歳になります。
弟とわたしの一番大変な時期に、とてもお世話になった人なのに、恩返しができないまま時が過ぎてしまって、本当に申し訳がありません。

なのでせめて食事だけでもと、なんとかしてご馳走させてもらおうと頑張ったのですが、伯母は頑として聞き入れてくれません。
夕飯は懐石料理を、そして翌日の昼食は和定食を、どちらもご馳走になってしまいました。

伯母が少しずつ剪定している庭。

いきなり「お琴を弾きたい~ったら弾きたい!」と、旦那が言い出して、大騒ぎに。
従姉のクミちゃんは、お茶とお花、そしてお琴の師範なのですが、性格に合わないからということで教えたことがありません。
そのことをずっと、「もったいないねんから…」と残念に思ってきた伯母は、久方ぶりのお琴の音色を聞いて、とても嬉しそうでした。

驚いたことに、爪や楽譜の在処を、どの引き出しのどちら側にあるかということまで、明確に覚えていた伯母。
感動しました。

3歳から7歳まで、クミちゃんにくっついて、お琴の教室に通っていたわたしでしたが、これまた不思議、調弦の仕方から弾き方まで、体が覚えていました?!
もう半世紀も前のことなのに…。

旦那が使っているのは、伯母のお手製の爪。クミちゃんの爪は小さ過ぎて自分に合わないからと、何十年も前にセロテープで、見よう見まねで作ったのだそうです。

伯母ちゃん、これからももっともっと、元気で長生きしてね!
伯母の家から歩いて行ける所に、ピアノの師匠が住んでいます。
音楽の基礎を、わたしの体と心に、刻み込んでくださった人です。
行くと必ず、チャッチャと、ケラケラと、美味しくて美しくて、体も喜ぶお料理を作ってくれます。

塩麹に漬け込んだお魚。

翌日は、大阪の弟の所に行くので、京都に用事がある彼女に付いて京都まで行こうと思っていたのですが、
この陽気に加えて紅葉が見頃…というと、京都は人でいっぱいだろうということで、急きょ室生寺に出かけることになりました。
懐かしい田んぼと山の景色。
わたしと佐和子ちゃんが、毎週土曜日に、近鉄線で大阪まで通った電車の窓から眺めた景色です。


初めての室生寺。


もう、のっけから綺麗で綺麗で…動けません。



ふぅ~…やっと正門前。

階段がすごいよ~と聞いていましたが、ふんふん、これなら大丈夫かも…と思っていたら…。

紅葉のじゅうたん。

国宝の仏様がいらっしゃるというのに、なぁ~んもせんとそのまんま、という姿がまたいい!

この時期は特別に、中まで入らせていただけたので、東北の大震災を見舞いに出かけられた際に、埃を払い美しくなった十二神将さまたちも、しっかりと観させていただきました。
そして次は、先だっての台風で破損したという五重塔へ。

大きな杉の木は、時にお堂を守り、時にお堂を破壊するのだと、自然の力のすごさをしみじみと思いました。


「覚悟は良いか?」と、いきなり師匠に聞かれ、ふとその方向を見てみると…。

先が見えないほどに続く階段を、途中で何度も休みながら、なんとか無事に上り、そして下りてきました。


黄色もきれい!

やっぱり日本紅葉が一番だと思う!




旦那の真似をして。

今回の旅の間、ひとつだけ困ったのがインターネット。
『インターネットが使えます』という看板があっても、ソフトバンクと契約してないとダメだったり、予め、メールで手続きしておかないとダメだったり…、
そんなん…不可能やん…というようなことばかりで、やっぱり日本はパソコンよりもケイタイということを痛感しました。
だから公衆電話だって、めちゃくちゃ見つけるの難しいし…。
一所でゆっくり過ごすのではなく、毎日違う人に会い、違うお家に寄らせていただくような旅には、なにか良い連絡方法を考えなくてはなりません。
師匠と別れた後は、最後の〆として、わたしは大阪の弟に、旦那は東京の友人に、それぞれ別れて会いに行きました。
弟は今、坐骨神経痛ともうひとつ、持病の悪化を抱えていて大変!
なのに、こんなご馳走を、福ちゃんと一緒に作ってくれました。

どデカい白子!

ふぐぅ~!

白子の蒸し焼きがまた…滅多に食べられへんので、しみじみといただきました。

ひの菜好きってのを覚えてくれてたことが嬉しい過ぎ!

もうなんちゅうか、顔がついつい…。


一番短い時間しか居れんかったのに、翌日の仕事を休んで新大阪まで送ってくれるという弟に、申し訳ないやらありがたいやら…。
実は、出発当日の朝、すっかりパンパンになった旅行カバンを起こそうとしたら…ギクッ?え?え?え?
最悪のタイミングで、ギックリとまではいかなかったのですが、キックリぐらいの痛みが走り…、
なのに、これだけは撮っておきたかったので、頑張って撮ったネギとお茄子。弟のお手製。


熱帯魚好きだった父の息子だけあって、やっぱりおんなじことしてる…世話の仕方はかなり改善されているそうです。

また来るし、その時までバイバイ。弟と福ちゃんのこと、守ったってや。

新幹線に乗ったら、そりゃ富士山でしょう!

乗ってる途中で大雨が降ってきたわりには、なんとか見えた富士山の胴体。

などと、のんきに写真を撮りつつも、腰の痛みはどんどんと増してきたので、弟からもらった経皮吸収型鎮痛剤のシップをペタンと貼って様子を観る事に。
京急線に乗り換えて、いざいざ羽田へ!腰よ、家に着くまで持ちこたえておくれぇ~!

羽田では、恭平のガールフレンドのお母さん、美保さんと初対面。
先に着いた旦那が、一目見ていっぺんに分かったという美保さん。
だってだって、まなっちゃんとそっくり過ぎな上に、若過ぎ!
わたしたちと1日違いで日本に来た恭平が、北海道に暮らすまなっちゃんのおじいちゃんおばあちゃんに会って、とても気に入られたと聞き、ホッと一安心。
あと1週間、3年ぶりの帰省旅行を、おおいに楽しんでもらいたいと願いつつ、わたしたちは飛行機の中に。
アメリカに戻るまでの時間、痛みを抑えようと、滅多に飲まないアスピリンを一錠だけ飲み、さらに痛みを忘れられるかもと、機内でビールを一口飲んだ後、目頭と鼻柱の間に、ぷっくりとした膨らみを発見。
あれ?眼鏡のせいかな?などと思っていたら、あれよあれよという間に腫れてきて、なんと、アバター顔に変身してしまいました。
これで肌色が緑なら、特殊メーク無しで出演可能間違いなし!
なんてふざけている場合ではありません。
こんなんで税関を無事に通過できるのか…。
それでなくても、呼び止められる率が高いのに…。
などと、最後の最後で腰が痛~い!顔がキショ~イ!と、大変な思いをしましたが、本当に素晴らしい、思い出深い旅になりました。

エンパイア・ステートビルディングが見えてきた。

さあ、また頑張らにゃ~!