ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

はじめての、ふたりだけの本格旅行『ウィーンからモンマルトル編』

2015年07月17日 | 友達とわたし
7月8日

昨夜から降ったり止んだりしていた雨がまた降り出した。
雨と曇り空がこれほど恋しかったのは久しぶり。
おかげで気温が少しだけ低くなった。
蒸し蒸しとベタつくけれども贅沢は言うまい。この旅行で初めての35℃以下なんだから。



数年前から食べるとすぐに粘膜が腫れるので食べられなくなっていた夏のフルーツ。
大好物のチェリーも桃もイチゴも、例え信用できるお店のオーガニックの物もだめだったので、この数年はずっと我慢してた。
南フランスの田舎の、ジルが買った近所のオーガニック畑からのだけが、全く腫れたりすることなく食べられた。
すごく久しぶりで、すごく嬉しくて、すごく美味しかった。
だから多分、腫れの原因は農薬だけじゃなく、水や空気など環境全体に及んでいるのだと、しみじみ考えた夏だった。


ケーキの飾り屋さん。




中央奥のコンクリートの塊のような建物は、戦争中に軍によって建てられたもので、その醜い姿を街中に晒している。
一刻も早く解体したいのだけども、あまりに頑丈なためどうしても壊せないままなんだそうな。


タイルの外壁が美しい。


ロシア教会。


ここも落書きが結構多いけれども、フランスと同様に、別段消そうと躍起になっているような様子はない。


ベルヴェデーレ宮殿に向かう。




曇り空の景色も、なぜかウィーンだと美しい。




カモさんたちも、昨日の熱波から逃れることができて、ホッとしてるような気がする。


夫いわく、ボインボインのスフィンクス像。






この方々も、さぞや昨日は暑かっただろうて…。






遠い彼方に見えるシュテファン寺院。


塔のてっぺんをズームしてみた。


その下のバルコニーみたいなとこも。


夏は割合あっさりとしてる。


夫はこの、垣根とベンチの関係が気に入ったらしい。


内部の写真撮影禁止だけれど、建築物はオッケーなので、いきなりどうしてここに登場しているのか意味不明なミドリのおっちゃんを撮った。


その後ろでは…お、重たたた…。




修復中。


この部屋にも唐突に、床を奇妙な物体が…。


この宮殿にはクリムトの作品が展示されていて、あまり気が乗らない風の夫と一緒に、ちょいと覗いてみた。
思っていたよりも『抱擁』の絵が小さかった。
彼の絵は、キンキラが使われていない時代の、草木や家を描いたものが好き。自分的には。

さてさて、本日のメイン、ホイリゲでの夕食に出発。トラムに乗って行く。


ああ懐かしい。


ホイリゲはウィーンのワイン酒場。自家製ワインと簡単な家庭料理を出してくれる。
佐和子のお気に入りのこの店は、滅多に観光客が来ないので、お店の人に英語を話せる人がいない。


炭酸水を自分で作る。ウィーンの水道水は山からのお水なので、すご~く美味しい。


佐和子にすっかりおんぶに抱っこで注文してもらった。みんなすごーく美味しかった!










満腹満腹、さあ帰ろう。




7月9日

ウィーンとお別れの朝。
昨日雷が鳴って、その後シュルシュルと気温が落ちた。夜中は寒いぐらいだった。
そうだよなあ、これがほんとだよなあ、でももう帰るんだよなあと独り言ちながら寝た。

キッチンの窓から。


佐和子んちの天井はメチャクチャ高い。3メートル以上は優にある。


バターフィンガー揃いの家族が、とても大切にしてきた食器を次々と欠けさせて、これがもう最後の、唯一無事に残ってくれてるねん、と佐和子が言ってたカップに、
思いっきり重たい蜂蜜の瓶を落として欠けさせてしまったわたし…許せ佐和子。


ちなみにバターフィンガーとは、動作がぞんざいで食器をしょっちゅう傷つけたり壊したりする人のことで、まあ、指にバターがついているごとく食器を落とす、という感じ。


素人がいい加減に仕上げた我が家の天井とは大違い。


床もすてき。


親思いの優しい佐和子は、毎週必ず決まった曜日に、お母さんに電話をかける。
わたしは彼女を、佐和子のおばちゃんと呼んで、ずっと慕ってた。
佐和子のおばちゃんは、若い頃からとても苦労した人で、その分人にとても優しかった。
一人娘の佐和子を、それはそれは自慢に思っていて、いつも目を細め、少し笑みを浮かべながら、娘のことを見守っていた。
わたしの母は、人一倍、いや、人十倍厳しかったので、優しいお母さんがいる佐和子がものすごくうらやましかった。
スカイプ電話で話す佐和子の横に陣取って、わたしもおばちゃんと話させてもらった。
「まうみちゃん、ほんま、まうみちゃん?」
何度もそう聞かれて、その口調も声も昔のまんまで、懐かしい気持ちが涙といっしょにこみ上げてきた。
おばちゃん、会いに行くからね、待っててや。

いろいろいっぱいお世話になりました。


ウィーンの一階はこんなふうに階段を上る。地面のすぐ上にある階は0階。


玄関ホールも大好き。


ウィーンからパリに戻る。




帰りの飛行機が朝早く出るので、ド・ゴール空港の敷地内にあるホテルに泊まるよう夫が手配してくれたホテルに向かう。


このホテルがまた楽しくて、建物の中に入るとまず、パソコンがずらりと並んだカウンターがあって、客が自分でチェックイン、チェックアウトをするようになっていた。




廊下の両側は、それぞれテーマがある開放型の部屋。










部屋は超シンプル&ハイテク。おばちゃんには馴染むのにちょいと時間がかかった。




最後の最後まで旅を楽しもう!ということで、モンマルトルの町で夕食を食べることにした。
ところが…、


丁度通勤ラッシュの時間と重なったからか、来る電車がどれもギュウギュウに混んでいる。


結局、2本電車を乗り過ごした。

モンマルトルの町は坂道と階段だらけ。


坂道の途中にある小さな広場には、メリーゴーランドが回ってた。


そのすぐ横で、フィドルとギターのライブをやっていて、二人ともにすごく上手かったので、大勢の人たちが立ち止まって聞いていた。


この教会もなかなか良かったけれど、もう教会はたくさん観すぎてゲップが出そうだったので省略。


ステンドグラスがちょっと面白かった。


いろんな窓の向こうに、いろんな人のいろんな暮らしがあるのだろうな。


バテ気味のわたしは、レストラン探しを夫に任せ、近くの公園で一休み。
偶然目の前にあった『愛してます』ボード。




Yelpという、美味しいレストラン探しの強力な助っ人(ネットサービス)を使い(まさかフランスでもあるとは知らなんだ…)、夫が見つけてくれたレストランが、
ほんっとに美味しかったっす!特にこのロゼ。多分これまでの、決して短くない人生の中で、いっちゃん美味かったかも。




マーマイト好きのウィルのために。


この明るさで夜の10時、というのが、さまざまな混乱を招いた旅だった。




7月10日

今日は夫の50歳の誕生日。マイルストーンの仲間入り。
ようこそ50代へ!って…わたしゃあと1年と9ヶ月もしたら、60代に突入しちゃうんだけどもさ。

まるで工場のベルトコンベアーのような、空中をジグザグに交差するエスカレーター。


さあ、我が家に帰ろう。
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はじめての、ふたりだけの本格旅行『オーストリア・ウィーン編』

2015年07月17日 | 友達とわたし
7月6日

マルセイユからウィーンへ

ポップなゲージュツをもう2枚。




リサイクル専用ゴミ箱。


バスがやってきた。


マルセイユ空港に向かうバスの窓からの、マルセイユの街の風景。








すでにカンカン照りの暑い中、汗だくになってビーチバレーボールの観客席を組み立てている人たち。


ぺったりと横広がりなマルセイユ空港。


なんかのんびりしてる。


天空のラピュタを思い出した。




ド・ゴール空港のトイレ。


パリからウィーンへ。




空港まで迎えに来てくれた佐和子と。




駅が広々しててめっちゃきれい!



弱者に優しい社会システム。





7月7日ウィーン観光

駅から地上に出ると…グワァ~ン…"ザ・ウィーン"シュテファン大聖堂に圧倒される。


それにしても暑い…ウィーンなのに暑い…。

夫の風邪を緩和させる薬を買いに。とてもウィーンらしい薬屋さん。中央奥までずっと、いろんな棚があり、薬剤師さんがたくさん働いている。


ここまで暑いウィーンって、もちろんそんなに頻繁には無いだろうけれども、炎天下で客待ちをさせられている馬さんたちが気の毒で気の毒で…。


ごめんね、と心の中で謝りながら、我々は教会の中へ。












必ずここに来ると覗く大好きな楽譜屋さん。




あまりにも暑いので、たまたま入り口のドアが開いていたオフィスビルに入る。こんな所にも歴史がてんこ盛り。




パリでもリヨンでも、歴史があって厳かな建物がたくさんあるのだけれど、やっぱなんか違う気がするウィーンの街並み。








オペラ座の前の名物。カメラを持って歩くアジア人に、流暢な日本語で話しかけている。


ここで合流した佐和子とランチ。




ウィーン風アイスコーヒー。上から、全く甘くない、けれどもめちゃウマなホィップクリーム、真ん中がバニラアイス、んでもってコーヒー。


ここでとんだハプニングが…。

佐和子が、「ここのトイレは面白いからぜひぜひ経験しといてほしい」と、かなり熱心に言う。
なにやら、「個室の扉が透明で初めての時はギョッとするけど、入って鍵をかけたら大丈夫」だそうで、ではでは土産話にと入ってみた。

こんな感じ。


なるほど、このままでは丸見えだ。
めちゃくちゃ気がひける…。
大丈夫だと先に話には聞いていても、ここまで明け透けなドアのトイレはかなり居心地が悪かろう…。
でも、観光中は排泄のチャンスを逃すわけにはいかないと、気を取り直して入った。
鍵をかけ、平常通りに便座に座ったのだけど、なぜか扉のガラスは思いっきり透明のままで、わたしからはすべて普通に見えている…。
あれ?と一瞬思ったが、いやきっとこれは、警察の取り調べ室とかでよくある(といってもドラマや映画で見ただけなんだが)マジックミラーに違いない。
そう自分に言い聞かせながら用を足し始めたら、
入り口のドアが開いて入ってきた女性と目が合ってしまったではないかっ‼️
な、な、なんでやねん⁉️なんで彼女の目とわたしの目が合えるねん⁉️
しかも彼女は思いっきり狼狽えているではないか‼️
ということは、もしかしてもしかして、彼女はわたしのことが見えてるんとちゃうかしらん。
目の前のその女性は、驚愕と戸惑いの表情のまま、おもむろに180度体を回転させて、どういうわけか手を洗い始めた。
けれどもどうしても、トイレの中のわたしからは目が離せないらしく、目の前の鏡の中に映るわたしの様子を伺っている。
もうこうなったらどうしようもない。
ただただ厳かに、用を足し終えるしかない。
その一部始終を見せるのだから、せめて優雅に微笑みなどもおまけして、などと自分を鼓舞しつつ事を終えた。
わたしが外に出るとすぐに、その女性は隣のトイレに入り鍵をかけた。
すると…、
おぉ~❗️
それまですっきり透明だったガラスが曇りガラスに変身して、中の様子は全く見えなくなった。
そして次に入ってきた若い女の子が、わたしが使ったトイレに入ったのだが、やはり同じようにサァッと曇りガラスに変身し、侵入禁止のサインがくっきりと現れた。
ううむ…。
できたらその様子も写真に撮りたかったのだけども、万が一わたしの時のように外の様子が丸見えだったら大変である。
わたしは変なおばちゃん、いや、変態として訴えられるかもしれないのである。
いや、そういう可能性は100%無いことは分かっていたが…ひとまずこの場からは早めに退散した方が良かろうと判断した。
夫と佐和子に一部始終を話したら、新たなアホ話のレジェンドが増えたと大笑いされてしまった。


ビル全体がアンティークを扱っている。


ここではオークションも行われていて、佐和子は一度希望の品を競りにかけ、それ手に入れたという武勇伝がある。




父が大好きだったベネチアンガラス。




実にいろいろなものが展示されていて、中には直接買えるお買い得品も。






長年人々が上り下りした階段は、美しいツヤとともにすり減っていた。


異様に暑いウィーン。






ユダヤ人が迫害された様子を表したモニュメント。






ウィーンはゲイの人たちを支援します、という主張が信号に。




市内の交通機関の充実していることったら。
しかもどの乗り物でも、停留所の電光掲示板に、あと何分で来るという表示が出て、さらにその時間はほとんど正しい。


みなさん、暑いでしょうに…。




ずっと来てみたかった市営アパートメント、フンダートヴァッサーハウス。










彼はオーストリア人の建築家、というより、人と家と自然についての哲学を建物で表現しようとした人だと思う。
実は彼、大阪市環境局舞洲工場(大阪市此花区、ゴミ処理場、2001年)、大阪市舞洲スラッジセンター(大阪市此花区、下水汚泥処理施設、2004年)の設計もしていると知りびっくり!

ここは市営アパートなので、収入が低くなくては住めないので、そこそこちょっと苦しいかも、ぐらいに暮らせている人は住めない。
外観同様内装もやはり、曲線と色彩豊かなものとなっているので、天井や壁、床に至るまで、どこもかしこも真っ直ぐではなくて、とても楽しいらしいのだけれども、
中では住民の人たちが暮らしているので、中の様子を見ることはできない。






太陽の光が強すぎて、見た目と同じ色が撮れないのが超~残念!

初めてのチーズ❤️






それにしてもとんでもない暑さだった。
なんと、100年ぶりだかの42.2℃だったと、近所おじさんが言ってたらしい。
さもありなん…。
佐和子もわたしも、軽い熱中症にかかったみたいにぐったりして、彼女がくれた冷たく濡らしたタオルを首にしばらく巻いて過ごした。

トイレの話は佐和子の旦那さんのウィルにも大受け!
やれやれ…またこれでひとつ、まうみ版『アホレジェンド』が増えてしまった…。
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「誰のための五輪?森喜朗記念競技場?」よう言うてくれはりました太郎さん!

2015年07月14日 | 日本とわたし
時間に制限があるから、太郎さん、すごく早口でしゃべります。
けど、言ってることのいちいちが真っ当で、どうしても文字起こししたくなって…。
なのでちょこっとだけ、太郎さんの意見と質問の部分の一部を、文字起こししました。



私は、2020年のオリンピック・パラリンピックを、東京に招致することに反対いたしました。
東日本大震災、東京電力福島第一原発事故の復興、被災・被爆対策、被災者支援こそが最優先で、オリンピックなどやってる場合かという気持ちからです。

現在の東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長は、去年1月の就任直後に、
「五輪のためにはもっと電気が必要だ。
今から原発ゼロなら、五輪を返上するしかない」

と発言されました。

2013年1月、東京都の2020年、東京五輪の立候補ファイルには、
東京電力は、原発ゼロでも、すでに708万キロワットの予備力があり、2015年にはさらに、304万キロワットの火力の電力供給が増加されるので、すでに十分対応可能だとあります。

ほんとに、聞いているこちらが恥ずかしくなるような、オリンピック組織委員会会長のお粗末な発言。
世界へのアピールと国内での発言が、全く真逆
せめて整合性がつくように、会長への教育、必要なんではないかと思うんですけれども。

このような無責任発言は、我が国のオリンピック・パラリンピック組織委員会会長だけのことではございません。
ブエノスアイレスでのプレゼンテーションでは、原発事故による健康影響に対し安倍総理は、

「健康問題については、今までも、現在も、そして将来も、全く問題は無いということをお約束いたします」
と、びっくり発言をされました。

現在、福島県県民健康調査検討委員会の甲状腺検査、評価部会の最新の中間取りまとめでは、
我が国の地域ガン登録で把握されている甲状腺癌の(リガン)統計などから推定される有病数に比べて、数十倍のオーダーで多いとの評価が出ています。
国立ガン研究センターガン予防、検診研究センター長の試算によると、
現在、小児甲状腺ガンの悪性ないし悪性疑いと診断された子どもたち127人が全員悪性だった場合、2010年時点の有病数の75倍になるそうです。
多発ですよねこれ。

「健康問題については、今までも現在も、そして将来も、全く問題は無いということをお約束いたします」

この安倍総理の無責任発言は、象徴的に、嘘と利権のオリンピックを表しているほんの一部だといえると思います。


中略

嘘と利権のオリンピックには反対するが、せめて、正直で真にコンパクトなオリンピック・パラリンピックにすべきであるという観点から質問を行いたいと思います。

中略

だまし討ちですよ、こんなの
3月の時点で、この新国立がどんな状況になるか、文部科学省もJSCも、見えてなかったんですか?
わかってましたよね、わかってたのに無理矢理契約しただなんて詐欺的ですよ。
他人の金だと思って
国民の血税なんですよ。
それを自分たちの都合の良いようにだったら、どうとでもするっていうスタンスがあまりにも許せない。
これによって得するのは誰なんですか?
これを無理矢理造られて、後で首が絞まるのは誰なんですか?


ロンドンの5倍以上もの費用をかけて、たった年間12日のために、屋根付きスタジアムにするの、おかしいでしょ?
この屋根を欲しがったん、誰なんですかいったい?
いったいどこの利権なんですか、この屋根を欲しがってるのは?
12日のコンサートのために。


設計変更したら、IOCとの信頼関係が失墜すると、下村大臣が言われてましたけども、
オリンピック委員会の副会長は、もし変更したいならばできるって言ってくれてるんですよ。
変更してもらってくださいよ。
IOCに行って、みんなで土下座すればいいじゃないですか。
変更させてくれと、今我が国はこういう状況にあると。
こんな巨額な金は投じられないと。

言ってくださいよ。
誰の税金で生活できているかということを、官僚も政治家も考え直すべきなんじゃないでしょうか。



「森喜朗記念競技場ですか?」山本太郎・小沢一郎氏、新国立痛烈批判
【スポーツ報知】2015年7月14日
http://www.hochi.co.jp/topics/20150714-OHT1T50148.html

「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎参院議員(40)、小沢一郎衆院議員(73)の両代表が14日、都内で会見し、総工費の高騰が問題となっている新国立競技場について語った。

2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の名前を挙げて、
「森喜朗記念競技場のことですか?あ、スイマセン(笑い)」と、“先制ジャブ”を放った山本氏は、
「誰のための五輪なのかということが、分かってきたということじゃないですか」
国民から建設反対が上がっている中で、現行案を押し切ろうとしている政府側に苦言を呈した。

現在、総工費は2520億円まで膨張している。
ただ、その中には五輪後に設置が先送りされた開閉式屋根(168億円)などの費用は計上されていないほか、
競技場周辺の歩行者デッキ(72億円)などの費用が含まれていなかったことが、新たに分かっている。

山本氏は、
「コンサートのために屋根を付けると聞いたから、どれだけやるのかと思ったら、たった12日。何を言ってるのか…。
五輪後も、負の遺産のために税金を払い続けるのはおかしいですよ」
と憤慨。

小沢氏も、
「私も含めて、一般の人が理解しがたい数字。かかる金は仕方ないが、奇異に感じますね」と、疑問を投げかけていた。



もうお一方、渡辺謙さんが、ツィートでこんなことをつぶやいていらっしゃいました。

「不思議なニュース。
一杯国に借金があって建て直さなくちゃいけないのに、ずーっとお金がかかり続ける体育館を建てて、世界に驚いて貰おうとする。
建てちゃったから使わないと勿体ないと、発電所を動かそうとする。
事故が起きて人が住めなくなったことは、もう忘れたんだ。
あちこちで火山は噴火してるのに」
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2020年東京オリンピックは「お・こ・と・わ・り」

2015年07月14日 | 日本とわたし


子どもの頃、このウルトラQのカネゴンがけっこう好きだった。
それが今、こんな形で再会できるだなんて、夢にも思っていなかった。
しかも、頭をすっかり付け替えられた可哀想な姿になって…。

カネゴン
主食は硬貨とお札。
1日に必要な額は3,510円(当時)。胸のレジスターのカウンターに体内の金額が表示され、それがゼロになると死亡するので、金を食べ続けるが、
カネゴンに与えて金がなくなった友人たち(彼らもかなり金に意地汚い)に売られそうになって逃げ出し、ついに銀行の金を食らうに至る。
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/カネゴン


<新国立競技場>鉄骨重量2万トン、東京タワーの5倍
毎日新聞7月14日(火)22時16分
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0715/mai_150715_8691072214.html

2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の、巨大な2本の弓状の構造物(キールアーチ)を備えた屋根工区の建設に要する鉄骨重量は、
約2万トンに上り、約4000トンの東京タワーの5倍に相当することが分かった。
アーチを支える構造物を、地中深くに埋設するために生じる残土は、78万立方メートルに及び、大型トラックで延べ12万~14万台という。
改めて、建設の巨大さを示した。

14日、参院内閣、文教科学の両委員会の連合審査会で、文部科学省の担当者が明らかにした。
建築家ザハ・ハディド氏の特殊なデザインが、総工費が2520億円に膨れ上がる要因となったが、
質問した田村智子議員(共産)は、「五輪と何の関係があるのか」とあきれた。
屋根工区は、キールアーチの部分の鉄骨重量が9300トン、流線型の屋根部分が1万1000トンという。
フランス・パリのエッフェル塔が約7000トン東京スカイツリーは約3万6000トンとされる。

また、キールアーチは、アーチの両端を地中でケーブルで結び、鉄筋コンクリートで固める「アーチタイ」という構造物で支える。
アーチタイには鉄筋2300トン、コンクリート2万5000立方メートルを使用して埋めるため、残土が発生する。【田原和宏】


新国立競技場への批判さらに拡大... 為末大も「今の案に反対です」発言
J-CASTニュース7月12日(日)17時13分
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0712/jc_150712_7845235108.html

元男子陸上選手の為末大さん(37)が、自身のホームページ上で、新国立競技場建設の現在の案に反対を表明した。

他にも元ラグビー選手の平尾剛(40)さんや、衆議院議員の後藤田正純議員(45)も反対の声を上げており、現計画への反対の声はますます増していきそうだ。

「スポーツがこれ以上金にまみれる姿は見たくない」

為末さんは、2015年7月10日に自身のブログで、

「いろんな意見を聞いて考えてきた私の結論を言いますと、私は三つの立場から、新国立競技場建設の今の案に反対です」
と表明。

その三つの立場とは、陸上選手、スポーツ選手、日本国民としてだと書き、理由として、
新しい国立競技場はサブトラック(ウォーミングアップのためのグランド)がなく、陸上競技の世界大会が開催できないこと、
スポーツ界もしくはアスリートが日本に負担をかけたと言われ、お荷物扱いされるのがいやであること、
経済的に負担が大きすぎることをそれぞれ挙げた。


また、元ラグビー日本代表の平尾剛さんも、反対の立場を見せた。
7月8日、自身のツイッターで、

「これまでかなり自制してきたけれどもう辛抱たまりません。
おかしいでしょ!やっぱり。
あんなスタジアムに頼らずとも、開催する方法を探ればいいだけの話ちゃいます?
声、あげませんか、スポーツ界の中から!
こんな不条理は断じて許せない」

と発言。

さらに10日には、スポーツ関係者が暗黙のうちに発言を抑制していることに耐えられなくなったとして、

「誤解のないように言っておくと、五輪とW杯の開催自体には反対しません。
元ラグビー選手の立場からは、むしろ歓迎しています。
だけど巨額の建設資金を投じてスタジアムを建設することには、明確に反対の意を表明します」

「大好きなスポーツが、これ以上金にまみれる姿は見たくありません。
政治に利用されるのももうたくさんです。
この思いが今の僕を突き動かしています」


と、巨額な競技場の建設に強い反対姿勢を示した。


他にも、東京新聞の報道によると、元女子マラソン日本代表で、自身も招致活動に協力した有森裕子さん(48)も、7月6日の新国立競技場問題を考えるシンポジウムで、

「アスリートは協会に属し、そこで育ててもらい、皆さんの応援を受けて競技に没頭することが使命。
その現場(協会)を、多少なりとも触発するようなことはできない。
その気持ちはくんでもらいたい」


と、アスリートたちの立場に配慮しながらも、

「オリンピックが、皆さんの負の要素のきっかけに思われるようなことは本望ではない。
一人でも多くのオリンピアンが応援していただけるよう、何かできれば」


と涙ながらに心情を吐露している。


安藤忠雄「なんでこんなに増えてるのかわからへんねん」

この問題に対し、自民党内からも異論が噴出し始めている。
後藤田衆議院議員は、スポーツ報知や日刊スポーツなどの取材に応じ、現計画への反対と、自身で見直し計画した新たな案を語った。

後藤田議員の案では、オリンピックの後、収容人数を8万人から5万5000人に縮小
プロ野球チームのホーム球場にするとともに、スタジアムの一部を移動し、新秩父宮スタジアムに再利用して、ラグビーとサッカーに使用するというもの。
現行案より約1500億円、整備費を削減できるとしている。

後藤田議員はTBSの取材に対して、

「何のため誰のためのオリンピックですかと。
誰のお金なんですかと。
戦中の、まさに玉砕的な、何かそういう走り出したら止まらないみたいなね、これはやっぱりやってはいけないんですよ」

と、現行案への危機感を見せた。


7月11日放送の日本テレビ系「ウェークアップ!ぷらす」では、
新国立競技場のデザインコンペティションの審査委員長を務めた安藤忠雄さん(73)と、同番組の司会である辛坊治郎さん(59)が電話で直接やり取りしたことが放映され、その中で安藤さんは

コンペの与条件としての予算は1300億円であり、応募者も認識しています。
提出物には建築コストについても、示すように求められていました。
それは当然、評価の一つの指標となりました」


と、下村博文文部科学相が、
「値段とデザインを別にしていたとしたらそれはずさんだったということになる。
そういう検証はすべきだと思う」
、とコメントした件に反論した。

また、安藤さんは、デザイン決定後の基本設計や実施設計にはかかわっていなかったことも明らかにし、辛坊さんに対して

「なんでこんなに増えてるのかわからへんねん」
と漏らしたという。


新国立競技場、「特殊だから」という理由だけで765億円 スタジアムだけでも通常の3倍
The Huffington Post
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/07/new-national-stadium-765_n_7748436.html

新国立競技場は「特殊だから」という理由で、765億円も高くなっていた

東京オリンピックのメーン会場となる新国立競技場について話し合う、有識者会議が開かれ、2520億円の総工費が認められた
2014年5月に計算されていた1625億円という予算より、約900億円も高い額だ。

この日の会議で、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は、
資材や人件費の上昇で350億円、そして消費増税分で40億円増えたと説明。
さらに、アーチ2本で建物を支える「キールアーチ」というデザインの特殊性によって、765億円がかさんだことも明らかになった。



過去のオリンピック主会場の総工費と比較すると、
北京大会(2008年)が約500億円、
ロンドン大会(2012年)が約800億円で、
新国立競技場が突出。
特殊性だけで750億円も高くなる
ことについて、批判が出ている。



「キールアーチ」を採用したのは、建築家の安藤忠雄氏を委員長とする審査委員会だったが、この日、安藤氏は有識者会議を欠席
JSCの河野一郎理事長は、特殊性によって費用が増えたことについて、「予測できなかったこと」と弁明した。
遠藤利明オリンピック・パラリンピック担当相は、
「建物の特殊性という意味で『費用が高い』と言われれば確かに高いと思うが、ある程度はやむをえない
後ろ向きではなく逆にPRして、世界に発信していくという思いで造ったほうがよい」
と述べた。

一方で、キールアーチ部分を除いても、費用が高過ぎるという批判もある。





新国立競技場はもともと、約1300億円の整備費で建設されることになっていたが、
コンペで選ばれたザハ・ハティド氏の案では、3000億円以上かかることが明らかになり、
2014年にJSCが大幅に規模を縮小し、1625億円規模の修正案を公開。
しかし、資材高騰などが影響し、2520億円かかることが判明したが、結局、このまま建設されることが決まった

なお、今回発表された費用計画では、
大会後に整備が予定されている開閉式の屋根や、
仮設席約1万5000席の設置費用は見積ができないなどとして、2520億円に含まれておらず、
最終的には3000億円近い費用がかかる可能性が高い
、とみられている。


過去のオリンピック主会場の総工費との比較
http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/23/how-much-new-national-stadium_n_5520920.html



ハティド氏による当初案の圧倒的な高額さもさることながら、
当初の予算の1500億円に近づけた、1600億円の修正案でさえ、他のオリンピックの倍近くかかっていることがわかる。

では、3000億円、1600億円という金額は、何ができる金額なのか。
東京都の2014年度予算をあたってみよう。



予算総額は6兆6667億円。
当初案の3000億円は、インフラ政策(2963億円)とほぼ同額で、
この中には幹線道路の整備(1250億円)、東京港の整備(266億円)、鉄道の立体交差化(314億円)などが含まれる。

修正案の1625億円に近いのが、福祉の予算(1691億円)だ。
子育て環境改善(430億円)、高齢者支援(279億円)、障害者支援(241億円)などで構成される。
いずれにしても、決して小さくない額であることは間違いない。

■大会後の維持も課題

スタジアムについて考慮しなければならないのは、建設費だけではない
大会終了後もかかり続ける、維持費の問題もある。

たとえば、ロンドンのオリンピックスタジアムは、
2016年から、地元のプロサッカークラブ、ウェストハム・ユナイテッドが99年間、ホームスタジアムとして使用する契約を結び、維持費問題が一件落着かと思われたが、
サッカー専用スタジアムとするための費用2億ポンド(347億円)のうち、1億8500万ポンド(321億円)を税金で賄うことになり、論争となっている

2008年の北京オリンピックのメーンスタジアムとなった「鳥の巣」も、
大会後、9万の収容人数を必要とするイベント自体がめったになく、開催されているのはセグウェイでトラックを周るスタジアムツアー程度
年間10億円の維持コストをまかなえる状況にはないとNPRは報じている。

2004年のアテネオリンピックも同様だ。
ニューヨーク・タイムズによれば、22の会場のうち、21の施設が活用されておらず、これらのスタジアムで政府が費やした額は14.4億ドル(約1467億円)
ギリシャの不安定な経済の一因になっている、としている。


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そこでまたまた現れた老害、石原老妖怪は、こう宣うたのだそうな。
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【新国立競技場】石原慎太郎氏「都民以外の通勤者に1000円取ればいい」
【The Huffington Post】2015年07月13日
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/12/new-national-staium-and-ishihara_n_7781992.html

当初予定の倍額近い2520億円で建設することが決まった新国立競技場をめぐって、元東京都知事の石原慎太郎氏が「都民以外の通勤者に毎月1000円取ればいい」と、7月12日に放送されたフジテレビ系「新報道2001」で述べた。

新国立競技場は、その建設費用の財源確保で紛糾しており、東京都は500億円の拠出を求められている
しかし、舛添要一東京都知事は現在のところ、態度を保留している。
そこで石原氏がぶち上げたのが、都への通勤者への課税だ。


【新国立競技場】石原慎太郎氏「都民以外の通勤者から月1000円徴収すればよい」財源捻出で新税導入を提唱(1/3ページ) -
【産経ニュース】 2015/07/13
http://www.sankei.com/sports/news/150713/spo1507130005-n1.html

「都民以外の通勤者らに、1人あたり月1000円払ってもらう。
そうすれば、年間で約600億円が入るんですよ」


石原氏によると、埼玉、千葉、神奈川県などから通勤などで東京都に入る「昼間人口」は、450万人を超えるという。
これらの人々が所属する組織や企業から、1人につき月1000円を徴税すれば、年間で約600億円になると説明した。


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もう、ほんっとにうんざり!

予定されてた屋根が間に合わないから、オリンピックは屋根なしで開催する。
あと、いろんなものにかかる予算がまだきちんと出されていないから、これからまだまだ増えるだろうし、維持費がものすごく高くかかるなどと、今になって言い出した。
いつも上空からの画像しか見せられていないからわからないけど、地上に立って見たら、とんでもなく巨大で醜悪で、空も緑もほとんど隠されてしまうことも知らされていない。

いったい何のために解体されてしまったのだろう、あの国立競技場は…。

この、途方もなく先が見えない核物質のドロドロをお腹に抱えたまま、どの被災者にも被害者にもまともな補償や支援をしようともせず、
環境汚染がどんどんどんどん深刻さを増して、そのための健康被害もジワジワと増えてきているというのに。

なのに原発を再稼動させ、子どもたちの未来に恐怖と心配の影を落とし、老若男女すべての人がいくら働いても働いても楽にならない暮らしを押し付る。

国民を、金を払わせる道具としか見ていない。

「1人あたり月1000円払ってもらう。そうすれば年間で約600億円が入る」

この言葉がすべてを表している。

原発も、沖縄の基地も、国立競技場も、TPPも、非正規労働永久化法も、武器輸出も、すべて根っこでつながっている。

みんなの手を集めて、みんなの手で引っこ抜いてしまわないと、日本の土台から腐りきってしまう。
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「教えてあげる!ヒゲの隊長」by 賢い高校生あかりちゃん

2015年07月14日 | 日本とわたし
これは、自民党が、平和安全法制と勝手に呼び名をつけている戦争法案について、
ヒゲの隊長こと佐藤正久防部会長に、分かりやすく解説させている、という想定の、プロパガンダアニメ↓


で、このビデオの中で、簡単に騙される女子高校生のあかりちゃんが賢い女子高校生に変身し、安保法制の矛盾点をズバズバ突いて、ヒゲの隊長を論破する、
シュールな反プロパガンダアニメがこれ↓


あかりちゃんの早口に四苦八苦しながら、加えて時差ボケの襲来とも闘いながら、ひーこらひーこら文字起こししていたら、
あ、こんなにすっきり済ませてくださっている方がいらっしゃいました?!
ありがたいったらありません!!
ということで、半分以上終わったところであっさりギブアップして、その方のまとめをここに転載されていただきます。

↓以下、転載はじめ

教えてあげる!ヒゲの隊長
http://matome.naver.jp/odai/2143660158059612201?&page=1


タイトル
教えてあげる!ヒゲの隊長



ヒゲの隊長、あかりちゃんの隣に座る
ガラガラの電車内で、わざわざ女子高生の隣に座るKYな「ヒゲの隊長」こと佐藤正久参議院議員


あれ?あかりちゃん?

いや、知らないし。
電車内で急に話しかけないで欲しいんだけど。
そもそも、この「電車内」ってシュチュエーションは何?
おっさんが女子高生に教えてあげるというセクシズム満載の設定もかなりあり得ないけど、
まあ、ナイスタイミングと言えばナイスタイミングかもね。


で、何?ナイスタイミングって?

どっかの与党が訳のわからない法案を強行採決しようとしているわけよ。
知ってた?


そりゃ、大変だ。

じゃあ、ずばり言うけど、今回の安保法制、憲法違反だよね?

そりゃ、大変だ。

超大変だよ、この時代に立憲主義の否定なんて。
どこの独裁国家って感じ。
あり得ない。
はずかし過ぎて国際社会に顔向けできないんだけど?


そんなことない。
でも、本気で心配なんだね?
大事な問題だよね。
政治を預かる私達も、真剣に考えているんだ。


真剣に考えている割には、真剣に国民に説明する気はなさそうだけどね。
国民の8割が説明不足、6割が反対って言っているのに、「理解を得られなくても決める!」って、首相も高村さんも言ってたよね。
「戦争法案だ!」って批判されたら、名前だけ変えてみせたり、全く詐欺師かよっ!て話だよ。


平和安全法制


「平和安全法制」のことだね。
日本国民みんなの命と平和な暮らしを守る、そのための法律の整備だよ。


だったら国民に面と向かって説明して、改憲したいならしたいで、堂々と「筋通せ」よ! 
でっ?


あかりちゃんも知ってる通り、最近の日本を取り巻く情勢は、残念ながら決して安全とは言えなくなっているよね?

そもそも、それも、いつといつを比べて言ってんの?って話なんだけど?

実際に、日本にミサイルを向けている国があるのって、知ってる?

女子高生を脅し始めるヒゲの隊長


「中国」って言いたいんでしょ?はっきり言えよ!
しかも、なんか、最近ミサイル向けられたみたいな言い方しているけど、ミサイルの標準が向いてるのは、冷戦期から変わってないんだけど?
何のために、危機感煽ってるの?


もし、現実に、ミサイルを撃ってきたらどうする?

女子高生に、ミサイルが発射されたらどうすると脅すヒゲの隊長


現実にミサイル撃ってきたら、個別的自衛権で対応できるでしょ?
あんた達が無理やり押し通そうとしている集団的自衛権の話は、関係ないよね?
それに、ミサイルを撃たせないようにすることが政治なんじゃないの?
ちょっと煽られただけで、大騒ぎするなんて、プライドだけ高くてキレやすいボンボンの発想だよね?


そりゃ、大変だ。

くそ大変だよ。

次は尖閣諸島で脅すヒゲの隊長


他にも、尖閣諸島でのトラブルのことも知ってるでしょ?
日本の領土領空を守るために、自衛隊の飛行機が緊急発進した回数は、何と、十年前の7倍になっているんだ。


スクランブル発信が7倍と脅すヒゲの隊長


はい、出た!「10年前の7倍論」ね。
そもそも、冷戦期にはそれ以上の発進回数があったのに、あえて最低の回数だった10年前と比べる理由は?
それどころか、安倍政権になってから、異常にスクランブルが増えて、水増し疑惑とかもあるんだけど。
まあ、それはいいわ。
それに、見てよ、これ、船の形、軍艦じゃないよね?
もしこの船に自衛隊が攻撃してみなよ。
国際法上先制攻撃ってことで、相手に正当防衛する権利が与えられるってことになるんだよ。
ミサイル向けられているからこそ、慎重にカード切るべきとこじゃん?
何でこういうところだけ、無駄にかっこつけようとするの?
そんなに、「喧嘩も強い僕」でいたい?


次は北朝鮮


北朝鮮も核実験を繰り返しているし、最近はテロや、サイバー攻撃も本当に深刻。

次はサイバー攻撃


サイバー攻撃とか言ってる暇があったら、まず、年金の情報流出の件、何とかしてくんない?
つ~か、テロって、戦争に参加するから狙われるんだけど?
あんた達って、戦争に参加できるようにしたいんだよね?
自分の言ってることが矛盾しているの、わかってる?


いろいろな脅威で脅かすヒゲの隊長


私達日本人も、いろいろな脅威にさらされているんだ。

狂った政権が一番の脅威だってのは、私もびっくりだけど。

そこで問題なのが、今ある法律ではね、いくつかスキマがあって、万が一の事態に対応できないということなんだ。

スキマ


その前に、政府の答弁のスキマ、何とかしてくんないかなあ?

「スキマ」の具体例 その1
米国の軍艦が日本人を乗せてとか、うんたらかんたら。


具体的には、戦争が起きた国から日本人を避難させようとして、アメリカの船が運んでくれていても、その船を守ることができないんだ。

もう何度も言ってるけどさ、前提がおかしい。
まず、軍艦は狙われやすいから、民間人は乗せるべきじゃない。
さらに言えば、米軍は邦人を輸送するような事態は想定してない。
あり得ない設定持ち出して、無理やり丸め込もうとしているのなら、せめて、もうちょい上手い設定持って来いよ。


あと、日本に向けて発射されたミサイルを、同盟国のアメリカの戦艦が撃ち落そうとする。
そのとき、その戦艦が攻撃されても、何にも手助けができないんだ。


「スキマ」の例 その2
ミサイルを撃ち落そうとする米国の戦艦が、うんたらかんたら


いや、だからさ、日本が狙われているんだったら、個別的自衛権じゃん?
この、かなり無理ある設定で、集団的自衛権を説明しようとしてんの、おかしくない?


おかしいよね?

あんたの言ってることがね。

日本人の安全も守るため、いろいろな法律を点検してスキマを防ぐこと。そして、協力し合って、日本を守ることが大事。

スキマを防ぐ


そうね、それ自体否定しないよ。

そうすることで、抑止力が更に高まり、戦争を未然に防ぐ、それが平和安全法制の目的なんだ。

抑止力が高まり


直前までいいこと言ってるのにね。
なぜ、そのための安保法制って、説明には全くなってないのが、まじ怖い。
むしろ、つけいるスキマを与えるだけになるだろうね。


抑止力が高まれば、戦争が起きにくくなる。

抑止力=うんたらかんたら


「抑止力」って言葉、ホント好きだよね。
対テロ戦争に、抑止力なんて効かないし。
アメリカ見てみろよ。
日本は今まで、戦争をしない国として、様々な国際貢献をしてきた。
特に紛争地域、貧困地域における民間レベルの活動は、ホントに大きな信頼を得てる。
それこそが一番の抑止力でしょ?
なのに、そんなことも無視して、無駄なマッチョイズムを政治に持ち込むは、そのために憲法違反まで侵して突っ走っちゃうわ。
あんたのボスに伝えてよ、「狂ってますよ」って。
簡単でしょ?

あはっ(笑)。そんなに簡単じゃないんだ。

でしょうね。

でも、何重にも備えることが大事!

分身の術!
忍者か?!


増えてんじゃねえよ!キモイな。

アメリカとの同盟関係も強化するし。


出た!対米隷従!
対等な同盟じゃなくて、ポチじゃん?


それだけでなく、アジアの国々に…、

今、「アジア」って言ったよね?
あなたのボスは、中国や韓国に対するヘイト記事で一杯の「保守速報」が大好きみたいだけど、大丈夫?


保守速報
安倍首相御用達。安倍信者のネトウヨ諸君のポータルヘイトサイト。


そりゃ、大変だ!

うるさいよ!

世界中の友好国と信頼関係を深める努力も、一層大事になってくるよね?

私もそう思うよ。

世界各国との友好が大事


国際社会の責任を果たす
そうかなあ?アメリカの命令を忠実に果たして褒めてもらいたいけだろ?


具体的には、積極的に国際社会の責任を果たすこと。
どんな国も、今や一国だけでは、安全を守ることはできないよね?
だから、日本自身が、国際社会の平和と繁栄に、積極的に協力して、信頼されるメンバーになることが必要なんだ。


信頼されるメンバー


私もそう思うよ。
でも、あなた達は、そのために戦争に参加しなければならないと思い込んでる。
アメリカの戦争を全て肯定するの?
テロがこんなにも深刻化している理由について、少しは考えたこと、ある?


人道的な国際貢献を増やして、更に汗を流していくことが重要なんだよね。

PKO活動


国際貢献


既にめちゃくちゃ汗をかいてる現地の日本人NGOや医師達が、この改悪法案に猛反対してるよ。
戦争に参加できる国になった時点で、海外にいる彼らが真っ先に攻撃対象にされる可能性があるんだよ。
それで、何が人道支援だよ? マジ、いい加減にしてよ!


ついつい、みんな他人事みたいになっちゃうけど、政治家や自衛隊だけの話じゃないんだ。
みんなで、関心を持って、正しく理解することが、日本にとって一番大事だね。


正しく理解することね? まず、あんたのボスたちに、憲法を正しく理解することをおすすめするわ。
最後に一つ。徴兵制に関して。
憲法を改悪して、解釈改憲しようとしているくせに、なぜか、徴兵制に関して、「憲法で禁じられている」からと言って、絶対にしないと言い張ってる。


そんなこと…、

あなた達の狙っているのは、経済的徴兵制だから。

経済的徴兵制
アメリカのシステム。自民党はこれを狙っている。


日本は今、貧困大国になろうとしてる。
大学に通いたくてもお金のない18歳の若者に、他の仕事とは比べものにならないほど厚遇で、自衛隊入隊の手紙が来る。
そうやって自発的に軍隊に押し込むんだよ。
アメリカがそうしているみたいに。


そんなことないから。

本音を言えば、徴兵もしたいんじゃないの?
そういうマッチョなの大好きだもんね?
訓練受けさせて、思想教育して、美しい日本人が作れるとでも思ってるんでしょ?
選挙権を18歳にまで引き下げたのも、その関係だもんね。


絶対にあり得ない。
だって、だって、だって、だって…、


ほらね、その先言えないでしょ?
図星だもんね。
あんた達が間抜けなことばっか言ってる間に、


国会前で討論しましょう


国会前は、法案に反対する人達があふれかえるよ。
もし来てくれたら、「主権在民」って、中学で習う単語の意味について教えてあげるね。
待ってますよ、佐藤正久議員。


あはっ(笑)お手柔らかに。

バイバイ


See you~!
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はじめての、ふたりだけの本格旅行『フランス・オウラスからマルセイユ編』

2015年07月13日 | 日本とわたし
7月4日(ショーティの命日)

風邪をこじらせてしまった夫を残し、土曜日だけしか開かない市場に行った。
もちろんカンカン照り。


この市場で一番美味しいことで有名な、いつもは長ーい列ができるヤギのチーズ屋さん。


一番奥から順に新しくなるチーズ。あまりの美しさにワクワクし過ぎて、店主に断りなく写真を撮ってしまった。
「ちょっとあなた、何してるの?わたしに断りもせずに?」と叱られた。
何度謝っても後の祭り。他の買い物客とフランス語で、わたしのことを批難しているのを聞きながらショゲていると、
「もう十分謝ったのだから、気にしなくていいのよ。顔を上げなさい」とジルに言われた。

美味いもんだらけ。
  

  











ジルはこの村に引越してからずっと、このおっちゃんからニンニクを買っている。ニンニクしか売ってないニンニク一筋の名物おっちゃん。


ジルのお気に入り、レモンの丸ごと漬け。


めちゃくちゃ苦いらしい。


長~い玉ねぎ。


ちびっこい茄子(左上)。


ここの夫婦は信用できるからと、自分ちの畑では採れない野菜はここで買う。もちろんオーガニック。


そしてやっぱりここでもライブ音楽。






ほんでもって教会。


食べ物ではない物コーナー。


ここも行列ができるハムのお店。




さあ帰ろう!


大抵はこんなふうな、小型車が対向できるかできないかの細い道で、しかも石の壁が多いので、こすり傷が無い車はかなり少ない。



軽くランチを食べ、やっぱり今回は家に残ってゆっくり過ごしながら、気が向いたら夕飯作っとくよという夫を残し、谷底の村見物に。

道中にある、丘の上のシャトー。


いろんな岩が円状に置かれた(もしくは自然?)広場。


ジル曰く、日本から来た友人の山田さんを案内したら、彼は実に5分もの間、この岩を抱きしめていたのだそうな。


わたしも抱きしめてみた。
すると突然悲しみが胸の中を満たした。
ああ、今日はショーティの命日だ。
ごめんよ、ちゃんと病気のケアをしてやらずにいたから、苦しい思いをさせてしまったね、と言うと、
いいから、そんなふうに後悔しないでと、岩が語りかけてくれた。
涙が出た。

ひとつひとつの石にそれぞれ独特の表情がある。自然にできた穴や隙間がとても楽しかったのでお裾分け。










カーブだらけの、しかもヘアピンだらけの、そしてやっぱりフェンス無しの山道をどんどんどんどん上っていく。


日本から持ち帰ってきた愛車とジル。彼女は76歳。すごいなあ、かっこいいなあ。


あ、見えてきた!


写真では実際の深さを伝えられないのは残念!


村に向かって下り始める。下り道もやっぱり怖い!


いったいどれほどの年月を経てきたのだろう。




到着。
ものすごーく澄んでいて、ものすごーくチベタイ!!






谷底の村のカフェから見える空は、まあるく切り取られていた。


小さな小さな村。












山の中腹のあちこちに、ゴツゴツとした姿を見せる岩。


さあ家に帰ろう。






留守番の夫がチキンカレーを作って待ってくれていた。さんきゅ!


7月5日

出発する日になってようやく元気が戻ってきた夫。早速ジルにツボの伝授。
彼女は結構長い間、首が痛くて回らないのだった。
そんな彼女に運転させまくりのわたしはいったい…。


これは彼女の鼻づまり解消のためのアイディア。
乾燥させたオレガノ、タイム、ミント、ユーカリ、松の実に湯を注ぎ、タオルをすっぽり被った状態で鼻を近づけて深呼吸。
これがなかなか効くらしい。


そしてわたしも、過酷な道を運転して観光案内してもらったお礼に、心を込めてマッサージをした。

まだ別れたくないなあと、何度も何度もジルが言う。
わたしたちだってと、わたしたちもその度に言う。
そんな名残惜しい気持ちのまま、ジルと別れてバスに乗る。目指すはモンペリエ経由のマルセイユ。

右側の席乗ったら川が見えるよと教えてもらい、もちろんわたしは窓際に。




1時間半ほどのバスだったが、ふとバックミラーに映る運転手の顔を見てからは、目が離せなくなってしまった。
彼は、大げさではなくて、10秒ごとにあくびを繰り返しているのである。
それも一向に止む気配がない…。
止まらないあくびに加え、首筋や額をゴシゴシ擦ったり耳たぶを引っ張ったりし始めた。
さすがにたまらなくなって、前の席で居眠りをしている夫に知らせてみた。
二人揃って、バックミラーの運転手の顔をガン見する。
すると、運転手がサングラスを外して目をゴシゴシ擦り始めた。
ちょっとちょっとお兄さん、あんたの目、ほとんど閉じてるやんっ!!
もうこりゃなんとかせにゃいけん!とお尻が浮き始めた時、途中の小さな町の停留所に停まった。
な、な、なんと、運転手のタバコ休憩。
いいよいいよ、なんでもしなはれ。それであんたの目が覚めるなら。


無事着いた…やれやれ…。
と思いきや、今度はモンペリエの電車駅までのモノレールのチケットが買えないというハプニングが!


自動販売機はあるのだけども、硬貨が使えず、我々のクレジットカードもダメ。
向かい側の自動販売機もダメ。
地元の人っぽい男性が、困り果てているわたしたちを見かねて、ボクのクレジットカードで買ってあげようと言ってくれたのだけど、電車が来てしまった。

さて、切符を持たないままの我々を、一応乗せてはくれた若いべっぴん運転手さん。


線路に芝生?
駅に着くたびに、そこの販売機を試してみてと言われ、降りては試すも同じ結果に。
すごいのは、そんな我々のために電車が(もちろん乗客のみなさんも)待ってくれたってこと。
さらにもっとすごかったのは、とうとう運転手自らが電車から降りて、買えるかどうか試してくれたこと。
結局、タダ乗りをさせてもらって降りることになった。

マルセールまでの切符を買うのに、順番待ちの番号札をもらって待つ。


駅に必ず置いてある、誰でも好きな時に好きなように弾いていいピアノ。電子ピアノとかじゃなくてアコースティック。


電車までの待ち時間に、駅の前にある公園で、ジルが手渡してくれたランチを食べる。


市電が充実している街。






数分おきに天井から水蒸気が噴射される駅の構内。
暑さは少々マシになるけれど、なんというかその、薄着の皆さんからの体臭が入り混じった湿った空気がチト辛かった。


一等車の席のみのランプ。


バイバイモンペリエ。


色とりどり
な市電。


落書きされまくっている貨物列車。


15分遅れでやってきたマルセイユ行きの電車。


おぉ~海だ!


ほんとに落書きが多い。わたしの席の窓だって!


マルセイユに到着。やっぱり暑い。


ポップでアートな不思議なホテル。


部屋からの景色。




ここでの唯一の観光、夕飯を食べに町中に出る。






海辺の通りを15分ばかり歩いた所の小さな港にあるレストランが、手頃な値段で美味しいと教えてもらった。




まだまだすごい熱気。


マルセイユといえばやっぱり魚介。


吠えるカモメ。


日の入りが始まった。


身づくろいする猫さん。


海と夕焼けはどうしてこうも切ないのだろう…。






夕焼けと変なおっさん。


近所に住む超売れっ子コメディアンと同じ名前の通り、ただそれだけです、はい。


夜はさらに楽しくなっていた。






窓の外では、マリアさまが光ってた。
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はじめての、ふたりだけの本格旅行『フランス・オウラス編』

2015年07月13日 | 友達とわたし
7月2日

さあ、リヨンから今度はニーム経由で、南フランスのオウラスという、もうほんとに古い集落のうちのひとつに住む、友人ジルを訪ねる旅に出発!

朝、少し時間があるので、暑さにめげてやってなかった散歩に出かける。

スパイス屋さん


牛の心臓という名前トマト


やっぱり結局叶わなかったポールさんのレストランを、ホテルの外側からこっそりと。


バスの中から、バイバイリヨン。


駅だってもうカンカン照りでめちゃくちゃ暑い!


ジルの家がある村までは、電車でニームまで行き、そこからバスに乗り換える。


やっぱりここでも、ひまわり畑がずっと続いた。今度は少し速度が遅かったからか、少しはひまわりっぽく写せたかも。


ニームのバスの停留所。くどいと言われようが、もうほんとに暑いったらない。




ボクも行きたいから、早よ戻ってきてという声を後に、トイレに急ぐ。


急いでるわりには写真を撮ったりしてるじゃないかと言われそうだけど、日頃から待つのが嫌いな夫のおかげで、歩きながらチャッチャと撮ることができるので、時間的には変わらない(はず)。


公衆といれは有料。70セント。でも、最初に入ったトイレには紙が無かった…。


ありがたいことに、バスにはうっすらと冷房がかかっていた。
ありがたやありがたや~と気分良く揺られていたら、突如全員降りろと言われて外に出た。
冷房の効いているバスは空っぽのまま、エンジンをつけて休憩中。
かんかん照りの空の下、タバコ休憩の運転手と共に20分ほど待つと、やたらと陽気な運転手の乗り換えバスがやって来た。



ラベンダーがミドルネームのジルが、一目見てここだと決めた家。






山からのお水がすこぶる美味い!日本の調味料満載の台所。


牛の心臓トマトをくり抜いて、美味しい手料理を作ってくれた。


漆塗りの箪笥に籐籠、そして藍染や古い家具や道具。
建築家から音楽家の発掘まで、様々な趣味や仕事を通じて集めた、そして20年暮らした日本からの思い出がいっぱい。














いろんな国を旅行して集めた小物たち。




我々のためのゲストルーム。




夜になると、フランスに来て初めて、涼しい…という気温に出会えた。
もうそれだけでありがたくてありがたくて、骨まで熱せられていた体が、ホッと一息ついた気がした。



7月3日

涼しい風が心地よいベランダ。


すぐ下の美しい川の水を使ったプール。


洗濯干し場。


ジルがとても気に入っている、適当に種まきして作った花畑。






本格的コンポスト。


そのすぐ横には、元気が野菜が並ぶ畑。




ここにはほんとに、いろーんな蝶々が飛んでいる。






庭から。








家のすぐ下を流れる、亡くなったご主人とそしてもちろんジルが愛してやまない川。








トンボとミズスマシ。












なに話してるの?


いろんなものが石で作られている。


やけにカラフルなカメムシ。


大文字焼き?


くるみ割り夫婦。


ランチ。


すぐそばのプランターで、わたしをじぃ~っと見つめていた。



車で30分ぐらいの所にある湖ハイキング。


湖の周りを一回り。














地面のちっちゃな花に群がるちっちゃな蝶々。




幹がバラバラに生えているのに、


遠くから見るとこんなふうに見える木。


あの建物はなんだ?と、ズームで撮った写真を見て妄想に耽る大人トリオ。(かなりズームしています)


椅子?


ここにも蝶々。


毒があって食べられないらしい…。


久しぶりに見たてんとう虫。


どこにでも咲いてた花。



こんなに高くて狭い(2台の小型車がギリギリすれ違えるほどの狭さ!)道なのに、基本的にフェンスが無い?!


すごくヤバそうな所だけ、こんなふうに低い石垣があるけれど、役に立つかなあ…。


どこもかしこも崖っぷちなのに‼︎?


カーブだってハンパない。っつか、いっぺんでは曲がれない。


ジルんちから歩いて来られる近くの村。








ネコちゃんたち。






昔は絹産業が盛んで、この大きな建物全体が使われていた。


右側下の通路に、ポツンと置かれていた糸巻き。


どうしよう…写真をついつい撮りたくなってしまいまくり…。






















今も使われている共同洗濯場。




市役所兼小学校。


馬の水飲み場。




倒れそうになった木の補修。なんと、石やらなんやら、詰められそうなものをガンガン詰めておしまい!すごい!


こんなにちっちゃな、それも基本的に観光客を受け入れない方針を守っている村に、美味しいフレンチレストランがある。




フランスのレストランは、基本的に午後2時から7時半までは店を閉める。
夕飯をできるだけ早く食べて、お腹をしっかりと休ませてから眠りたい夫にとっては、ちょいとばかり困った習慣である。
しかも、ほんとはパンもパスタもチーズもだぁ~い好きなのに、健康のためにグルテンと乳製品をやめている夫には、パンとクリームが主流のフレンチ料理は目の毒…。
気の毒としか言いようがないけれど、だからといって食べ控えるようなわたしではない。
ガンガンいただき、ガンガン楽しんだ。
ごめんね。
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「私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない」

2015年07月12日 | 日本とわたし
いつも、胸に染み込むような語り口調で、いろいろなことを教えてくださる川嶋先生。
今日本は、再生の、生みの苦しみの真っ只中にあり、その暗く長いトンネルのようなところから、見事おぎゃあと、今よりはずっとマシな未来を生み出せるのかどうかの瀬戸際にあると思いながら、
次から次へと流れてくるトンデモなニュースを読み、奇々怪々の、学校の教室だったら即、君の言いたいことはいったい何なんだねと、叱り飛ばされるような答弁を聞き、
いよいよ狂気が重篤化してきた政治家たちの、浅はかでみっともない姿を見せ続けられていると、
もうこんな者共の醜態を見せられるのはうんざりだと、ほとほと嫌気が差してきました。

わたしですらこれほどなのですから、現場で暮らしておられる方々の疲弊と憤りはいったいいかほどのものかと案じずにはおられません。


ようやくまた、現場がうねり出しました。
そのうねりのひとつに、若者が中心となったものがあります。
そのことについて、教鞭をとっておられる川嶋先生が、フェイスブックで現場の状況を伝えてくださいました。
ここに転載させていただきます。

https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/914862085239811

東大駒場キャンパスで昨夜(2015年7月10日)開かれた、「安保法案 東京大学人緊急抗議集会」。
駒場東大前の駅の階段を降りると、そこには集会を知らせる立て看板といっしょに、東大の学生、院生、教職員、OB・OGから寄せられた会への賛同メッセージがびっしりと貼られた看板が何枚も並び、学生達が足をとめ読んでいる姿もみられた。



すこしドキドキしながら、ぼく自身のメッセージをその中に探す。
政治的な立て看板が駒場に出るのは、東大では近年なかったことだという。
集会は、300人の教室をびっしり埋め、立ち見も出るほどの盛況で、報道人も多く来ていた。

夕べは同じ時間帯に、国会前で、学生団体SEALDsによる金曜定例抗議行動も、かなりの人数を集めて行われており、
途中退席して国会前に移動する人も出る落ち着かない空気が漂う中だったが、空いた席には次々また人が埋まっていく。
学生と教員、職員が手をつなぎ、共同して戦争に反対する東大人初めての行動に、参加者たちの熱気と感動が伝わってきた。

学生たちからの発言、教員たち、職員たちからも、素晴らしい発言が相次いだが、プログラムに予告された三人の先生の発言を、ぼくのメモからほんの一部抜粋してお届けする。

佐藤学氏(元教育学部長、名誉教授、学習院大教授):
湾岸戦争以来、戦争で失われた子どもの死者数は200万超
安倍首相は普通の国、つまり戦争できる国になると言うが、戦争の犠牲となるのはいつも子どもや若者たちだ。
東大からは、学徒出陣で3,304名が出征し、そのうちわかっているだけでも1,659人が命を落とした。
実際には7割くらいは亡くなっている、と言われている。
私は、皆がそのことを記憶に刻み続けるために、東大・安田講堂の前に、戦没学徒のための墓碑を作るべきだとずっと思ってきたが、私の東大在任期間にはついになしえなかった。
私たちの学問が、一体誰のためにあるのか。
それは決して国家のためではない。
次の世代の社会と人々を真に幸福にするためにこそ、学問をしているのだ
ということを、私たちはつねに胸に刻んでいなければならないと思います。
今日はこれから、SEALDsの国会前集会でも挨拶を求められていますので、これで失礼させていただきます。

高橋哲哉氏(総合文化研究科教授):
私はこの駒場に勤めて30年になりますが、学生と教職員が手を携えてこういう集会をもつのは今回が初めてなんです。
それだけ安倍政権に対する大学人の危機感が大きいのだと思いますが、
こういう機会に、教員と学生がともに集い、我々の学問が、今の社会に果たすべき役割を考える意義は大きいと思っています。
ナチスが作った全権委任法の第2条には、
「ドイツ政府によって制定された法律は、憲法に違反することができる」と書いてあります。
これは、安倍晋三が今やっていることと同じだ、と言わねばなりません。
2004年に、安倍晋三が出した対談本『この国を守る決意』には、
「我々には新たな決意がある。日米同盟を双務性からなる血の同盟にしなくてはならないと書いてある。
安保法制の議論では、自衛隊員のリスクは高まらないと説明しているが、
実際に彼らが目指しているのは、自衛隊員も血を流し、リスクを確実に上げることになる「血の同盟」なんです。
また同じ本では、
「靖国参拝を我々がしなければ、国のために血を流してくれる人が居なくなってしまう」とも言っている。
つまり靖国問題も、戦争法の問題との関わりのなかで見なければならない、ということなんです。

伊藤真氏(弁護士、伊藤塾塾長):
戦争は最大の人権侵害です。
ですから、人権擁護と社会正義の実現という使命を負ってる我々弁護士、法律家たちが、こぞって戦争法に反対するのはきわめて当然のことなんですね。
政府が持ち出している砂川判決が、集団的自衛権行使容認の根拠となり得るなんていうことは、法律を学んだことがある者であれば、誰も思っていない、法律家の常識です。
そんな常識もかえりみず、本来であれば知的エリートでなければならない為政者の皆さんが、
ここまで憲法を無視して、何度でも繰り返せば嘘も真実になるだろうと、同じ嘘を繰り返し、繰り返し言い続ける
私たちの国はこんな国だったのかと、ほんとうに驚きます。
 
憲法というのは、一人一人が個人として尊重されるそのために最高法規として作られた憲法が、権力者をその暴走をふせぐために縛るという、
この立憲主義の考え方は、今から800年も前(1215年)の、マグナカルタ以来の考え方なんですね。
この800年の人類の叡智ともいえるのが、立憲主義の考え方なんです。
今政府がやろうとしていることは、日本の憲法に対する冒涜であるだけでなく、まさに人類の叡智に対する冒涜であり、
こんなことが許されることは、絶対あってはならないことなんです。
 
私たちの憲法は、その前文の第一文で、憲法制定の目的を2つ掲げています。
「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し」
すなわち、自由のありがたさが国のすみずみまで確実に行き渡って、国民の人権が保障されるために憲法を作ったんだというのが1つ目の目的。
もう1つの目的は、
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」
つまり二度と政府に戦争をさせない、そのために私たち日本国民は憲法を作ったというんですね。
自由と人権、そして政府に戦争をさせないということ、この二つのことは密接不可分で、決して切り離すことは出来ません
憲法9条「戦争の放棄」というのは、自由の下支えなんです。
私たちが自由にものを言い、生活できるためにも、政府に二度と戦争はさせてはならないんだということ。
そして、その二つの目的を実現する手段が、その次に続く「ここに主権が国民に存することを宣言し」というこの部分なんです。
私たち国民ひとりひとりが主体的に行動することで、この二つの目的を実現します、そのことを明確にするために憲法を作った
安全保障や外交を考え、国民の生命や財産を守るのは、政治家の仕事です。
しかし彼らのその仕事は、主権者である私たち国民が与えた権限のなかで、この憲法の歯止めのなかで実現する。
それが立憲主義の考え方
にほかなりません。


伊藤真先生は、話のなかでこんな提案もなさり、会場の笑いを誘っていた。
「私たちひとりひとり、どんなことでも、自分に出来ることから行動に移していくことが大切です。
たとえば、東急ハンズでボールペンを買おうと思ったら、お店に置かれている試し書きの紙に『集団的自衛権行使反対』とたくさん試し書きしてくるとか、そんなことでもいいんです

これ、いいかも!

会場の参加者からもさまざまな発言があり、内気なぼくも、勇気を出して挙手したが、時間切れで打ち切られちょっと残念だった。
立て看板にも貼られていたぼくの賛同メッセージを、再録しておく。

東大在学中、ドイツでの通訳アルバイト中に耳にした『そろそろどこかで戦争でもおきてくれれば』との安保法制懇委員の政財界人の発言を記録し、
昨年7月にフェイスブックに公表した私の日記が、今の状況に危機意識をもつ人々や、私の大学での教え子たちの手で拡散され、フェイスブック上だけでも5,000シェアを突破しました。
政府の進める安保法制は、国民の安全のためなどではなく、
軍需産業の利益と深く結びつく安倍政権が、ワイマール憲法を骨抜きにしたナチス・ヒトラー政権の手法に学んで企んだ『戦争法』であるとの本質を、指摘しないわけにはいきません。
今、学問の良心を結集し、立憲主義と真の平和のために立ち上がってくださる東大関係者のみなさまに感謝申し上げ、私もその片隅でともに声をあげさせていただきたいと思います」

会のホームページ( http://todaijinshukai.web.fc2.com/ )からは、寄せられた東大出身の学者、文化人をはじめ、多くの大学関係者たちからのメッセージが読めるようになっている。
京都大学でも、14日に、大学人集会が計画されていると聞く。
日本中の大学に、戦争を許さないこの大きな流れが広がっていくことを願わずにはいられない。(2015年7月11日)
_________

過去の投稿から
◆ 5,000人以上の人々にシェアされた記事
「戦争のしくみ~ぼくが出会った死の商人と集団的自衛権 」(2014年7月2日投稿)
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashim…/…/719538388105516

▼上のリンクから飛べなかった方は(環境によりおかしな現象が生じているようです)こちら↓からお試しいただくか、直接ぼくのタイムラインを7月2日まで遡ってご覧くだされば読めるはずです。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=719538388105516&set=a.417886121604079.73054558.100001480848971&type=1

「背後には死の商人たちがいる」キリスト教会系の雑誌Ministry2015年冬号掲載(2014年7月2日・7日の投稿記事に加筆修正し、2015年1月現在の情勢を加えたもの)
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/836703569722330:0


⚫️シリーズ/戦争とファシズムを考える絵本・文学

◆いわさきちひろ『戦火のなかの子どもたち』2014年12月21日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/805178449541509

◆竹内浩三『ぼくもいくさに征(ゆ)くのだけれど』2014年12月17日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/803650489694305

◆『戦争が廊下の奥に立ってゐる(白泉)』2015年7月9日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/914165385309481

◆フランク・パヴロフ作『茶色の朝』2014年9月9日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/754207961305225

◆ハンス・ペーター・リヒター作『あの頃はフリードリヒがいた』2014年9月15日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/756331754426179

◆ドイツの牧師マルティン・ニーメラーの言葉 2014年10月7日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/766686516724036:0

●「安倍政権のすすめる戦争準備」2014年12月7日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/798366890222665:0

●731部隊シンポジウム「歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題」2015年4月16日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/870883329637687

●報道特集《戦後70年・歴史家ジョン・ダワーの警告》とNNNドキュメント《9条を抱きしめて~元海兵隊員が語る戦争と平和~》2015年5月4日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/880574768668543:0

●「電車のなかの無表情な人々、鳴り続けるアラーム、ある朝の事件」 2015年5月14日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/884519304940756:0

●広場があったらなあ 2015年6月15日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/901646429894710:0

●小澤征爾さん、瀬戸内寂聴さん達の覚悟 2015年6月22日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/905066169552736

●SEALDs 渋谷集会で人々を感動させた学生達の発言 2015年6月29日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/908774725848547

●月を見上げる人形とメーテルリンクの『青い鳥』~あれから1年(2015年7月1日投稿)
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/910097159049637

●君、居眠りしてる場合ですか! 2015年7月6日投稿
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/911986865527333




今朝、卒業以来もう長いこと会っていなかった高校時代の友人から、「水曜日はデモに行きます」とメールが来た。
嬉しい。
昨日はぼくも、自分がSEALDsのお手伝いをして、リーフを配っている夢を見た。
女の人が「SEALDs、知ってます。ご苦労様!」と、にっこり笑ってそれを受け取ってくれた。
みんなが今、何とかして政府の暴走を押さえるために、自分に出来ることは何かを考え始めている。
安倍政権が、多くの人々が指摘する「違憲立法」である戦争法を、問答無用で強行採決する動きが強まるなかで、日本全体の空気が大きく変わってきたようだ。
このまま自民・公明の暴走を許せば、日本はほんとうに、憲法のないファシズムの世の中に逆戻りしてしまう。
「これは1215年のマグナカルタ以来、800年をかけ培われてきた、『立憲主義』という人類の叡智への冒涜だ」と、憲法学者は指摘する。

今日13日も、朝から国会前に行き、抗議の声をあげてくれている大勢の人たちがいる。
明日以降の、ぼくたちの行動予定をのせておく。
学生のみなさんは、期末テストで忙しい時期に入るが、時間を上手にやりくりし、一緒に国会前に行こう!
(2015年7月13日)



◆ 14日(火)18:30 戦争法案反対!日比谷集会(於:日比谷野外音楽堂)

◆ 15日(水)13:00 強行採決反対!国会正門前座り込み行動
◆ 15日(水)18:30 強行採決反対!国会正門前大集会

◆ 16日(木)18:30 強行採決反対!国会正門前大集会


以上行動の呼びかけは「戦争をさせない・9条壊すな!総がかり実行委員会」http://sogakari.com /戦争法案に反対する東大有志の会

◆ 17日(金)18:30 SEALDs 毎週金曜定例の戦争法反対集会(於: 国会議事堂前北庭エリア)
 毎週19:30開始だったが、今週は開始を18:30に早め、また15日、16日も同様に18:30から集合する由。
https://www.facebook.com/events/315488835241525/
http://www.sealds.com/



以下に、昨日7月12日の東京新聞朝刊の記事をコピーしておく。

◆ 1面トップ「#‎本当に止める」ツイッターに呼応/安保法案反対 地方へ ママへ
◆ 30面社会面「まじ おかしい」が原動力 SEALDs/安保法案反対 大きなうねり 15日に緊急デモ
___________



「#‎本当に止める」ツイッターに呼応/安保法案反対 地方へ ママへ
【東京新聞一面トップ】
 
国会前で毎週金曜夜、安全保障関連法案に反対する抗議行動を続ける大学生らのグループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」への共感が広がっている。
「‪#‎本当に止める‬」を合言葉に、ツイッターなどで参加を呼びかけ、10日は過去最多の1万5千人以上(主催者発表)が集まった。
若者の等身大の訴えに触発された人たちも、地域や年代を超えて動き始めた。
(安藤恭子)
 
「人の痛みに無自覚で、思考停止する人間になりたくない。だから声を上げる」。

国会前の人波の中、女子大生の一人が宣言すると、歓声が上がった。
「PEACE NOT WAR」など、英語のプラカードを掲げ、「憲法守れ!」と速いコールで盛り上げる。
 
今年5月に発足した。
メンバーは関西の大学生らも含め約250人。
テレビや女性誌が特集を組んだ。
ユーチューブの動画再生は1万8千回を超える。
京都でも連携する学生のデモが起きている。
 
合言葉の「#」は「ハッシュタグ」と呼ばれ、ツイッターの投稿を検索しやすくするための記号。
 
今月、50人が集まったSEALDsの打ち合わせに、仙台から駆けつけた東北大2年の女性(19)がいた。
「一人一人が自分の意思で行動しているのが魅力的」と、地元でも8月にデモを起こそうと決めた。
「地方では、学生の政治活動に偏見も根強い」というが、3.11後の原発も復興も、東北で考えるべき問題だと思う。

「東京で頑張っている姿に勇気づけられる。住んでいる街から政治へ声を上げたい」
 
京大大学院生で三児の母の西郷南海子(みなこ)さん(27)は「安保関連法案に反対するママの会」をつくった。SEALDsの活動に、「無理とあきらめて、見ているだけはいや」と奮い立った。
「法案を心配するママも多いから」とフェイスブックを開設。
2千人超の母親らの賛同を集め、7月26日に「渋谷ジャック」を行う準備を始めた。
 
法案に反対する学者らとの連携も広がっている。
6月4日の衆院憲法審査会で「違憲」と発言した3人の憲法学者の一人、小林節・慶応大名誉教授は、
メンバーを激励しようと翌5日、雨の中デモに駆けつけた。
「正しいことをするなら表に出て行かないと。自分を含め、応援する大人はたくさんいる。貴重な動きだ」とエールを送る。
___________



「まじ おかしい」が原動力 SEALDs/安保法案反対 大きなうねり 15日に緊急デモ
【東京新聞・30面社会面】

安全保障関連法案に反対し、世代を超えて共感を集める大学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」の前身の活動は、友人同士の10人ほどの呼び掛けから始まった。 
 
中心メンバーの一人、明治学院大の奥田愛基(あき)さん(23)は、
「そのデモに1万5千もの人が来るようになった。憲法違反の法案、まじでおかしいってみんな怒っているんだと思う」と受け止める。
 
10日夜、国会正門前。
「民主主義が終わってるなら、始めるしかない。強行採決とかしたら許さない」
車道にあふれるほどの若者らの中、デモを引っ張る奥田さんがマイクで叫んだ。
 
普段の奥田さんは、ヒップホップ音楽と映画鑑賞、デザインが好きな青年だ。
ゼミでは政治学を学ぶ。
2013年に成立した特定秘密保護法への危機感をきっかけに、大学を超えた仲間と勉強会やデモを始めた。
 
安保法制に反対する金曜の抗議行動は6月からで、参加者は、回を重ねるごとに増えていった。
審議がヤマ場を迎える15日には、緊急デモの開催も決めた
 
メンバーの多くは、十代後半から二十代前半の若者。
大学はばらばらで、学業やアルバイトの合間を縫って活動し、全員参加の無料通信アプリLINE(ライン)で連絡を取り合う。
 
個人の意見を大切にし、代表を置いていない。
「副司令官」と呼ばれる中心メンバーらが方針を考え、10以上の班と連携。
金曜日の抗議行動を担う「デモ班」や、カメラを回して配信する「映像班」がある。
フライヤー(英語でチラシの意味)などは、美大生も加わる「デザイン班」が作る。
 
「弁論部にいるけれど、語るだけじゃだめ。行動しなくちゃと思った」と話すのは、慶応大3年の男性。
法政大3年の女性も、
「原発に意識を持ったのがきっかけで、安保法案もやばいんじゃないのって」と加わった。
 
SEALDsのデモの特徴の一つが、抑揚をつけた速いコール。
「民主主義って、なんだ」「なんだ!」という特徴的な掛け合いは、ラッパーとしても活動する明治学院大の牛田悦正(よしまさ)さん(22)が、海外のデモを参考に考えた。
 
牛田さんは、自民党の改憲草案を読んだ3年前、「国民を縛る内容」と違和感を持った
叫び続けるのは「むかついているから」だ。
「勝手に決めるな!」
「国民なめんな」
短く刻んだ言葉に、集まった人たちの思いを乗せている。
____________

過去の投稿から

●美しい一編の詩のような「自由と平和のための京大有志の会」声明書(2015年7月11日投稿)
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/915008265225193

【声明書】
戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。
精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。
学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。


「自由と平和のための京大有志の会」
http://www.kyotounivfreedom.com/manifesto/

戦争法に反対する東大の大学人集会リポート(2015年7月11日投稿)
https://www.facebook.com/hitoshi.kawashima.794/posts/914862085239811
コメント (2)
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はじめての、ふたりだけの本格旅行『フランス・リヨン編』

2015年07月12日 | 友達とわたし
6月30日

灼熱のパリを後にして、リヨンに向かう。交通手段はTGV、フランスが世界に誇る超高速電車、と説明にはある。


今日からまた、リヨンでもさらに気温が上がり、40℃辺りをうろうろするという予報を聞いてげんなり…。


記念撮影。


通り過ぎるのが速すぎてちゃんと写らないけれど、ずっとずっと続く向日葵畑。


リヨン駅まで迎えに来てくれたなおこちゃんといっしょに地下鉄の駅に向かう途中で、夫が指差してこう聞いた。
「Tamponsって…まさかあの?」


Tamponはフランス語ではスタンプのこと、と聞いて胸をなでおろすわたしたち…いやはや…。

今回のリヨン滞在は、なおこちゃんのご厚意で、宿泊するホテルをはじめ、移動に使う乗り物券までをもお世話になった。

なおこちゃんが選んでくれたのは、リヨンを代表するホテルと言われているロイヤルホテル。ベルクール広場のすぐそばで、地下鉄乗り場も隣にあって超便利。


なにやら、「20世紀最高の料理人」との誉れ高い、フランスを代表するシェフのポール・ボキューズ氏のレストランが、この四つ星ホテルにあるらしい…敷居が高すぎて入れないけれども。

鍵が可愛くて珍しい。けれどもどうしてかわたしとは相性が悪くて、一度として開けることはできなかった。


なぜブルドックなのか、ホテルの人に聞くのをすっかり忘れてしまった。




この扉の奥にポールさんが…。


階段も渋い。


部屋はとても落ち着きがあって清楚。居心地がすご~く良かった。




浴槽の長さと深さが絶妙で、足をうーんと伸ばして丁度。あんまり気持ちが良くて、1日に2回もお湯に浸かって脱力。


窓の向こうには、なんとも渋い壁が。


廊下だって渋い。


手ぶらになったので、まずは腹ごしらえ。
ホテルの近所にあるレストラン通りでランチを食べることに。


と、ここでわたしはダウン。
もうどうにもこうにもしんどくなってしまい、だからホテルに残って一休みすることにした。
夫は果敢にも、またまた外出。

なおこちゃんのアパートに招待された我々は、待ち合わせの7時に間に合うべく地下鉄に。


無人なんだな~これが!だから前後も透明のガラス窓。見晴らしがいい。


なおこちゃんのアパートの入り口を入ったところは、スッカーンと空が見える。夜の7時ですよ、これが…。


5階だか6階だかの部屋まで、コツコツと階段を上っていく。一段ごとに気温も上がる。

かんぺ~!


一度注いだら飲みきってしまうまでどこにも置けないという、一気飲みグラス。
なおこちゃん曰く、友だちにもらってから一度も使ってなくて、やっと使えて嬉しい!と。お役に立てて良かったです、はい。


窓の外の景色。




あ、これはあの時の!
なおこちゃんがうちに来て、一緒にフリーマーケットに行った時に買った、わははネコちゃん。


相変わらず美味しいなおこちゃんの手料理。デザートはスイカみたいな模様があるメロンと手作りアイスクリーム。
すっかり満腹になったので、腹ごなしに丘に登ることにした。

おしゃれな地下鉄の駅。


ベルクール広場からも見えるフルヴィエールの丘を登っていく。
丘の上のノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂と、丘からの夜景を観る、というのが目的。

10時半を過ぎてしまっていたので、ケーブルは途中までしか行かないらしい。


木の椅子がいい。


これが丁度真ん中辺りにある駅。


外に出て、


さらに階段を上がり、


さらに坂道をガンガン上がり、


着いた…ぜぇぜぇ…。


中には入れないけど、十分すてき!


お月さまが右横に。


横から。


天使にズームイン。


リヨンの夜景。


満月!わぉ~ん!


何から何までほんとにありがとう、なおこちゃん!



7月1日

リヨン観光二日目。気温はさらに上がり、もう40℃近い。
部屋のクーラーをつけてもなかなか冷えてこない。
まあ、もともと冷え過ぎが苦手なので、別に問題というわけでもない。

再び日陰に沿って歩く。


この川はローヌだったかソーヌだったか…。


バスから降りて木陰を探す。
リヨンではこの木立がよく目につく。


ああすてき!


目指すはここ、リヨン中央市場 - ポールボキューズ。


市場だから涼しいだろう…というのは甘かった。やっぱり暑い。
しかも、水曜日は休みのお店が多くて、開いているのは全体の半分以下。残念!








ここでお昼を買って、外の公園で食べた。

街中探検。でも日陰。




勇気を出して橋を渡り、


向こう岸では、「アヅイ…モウアカン」の像が。


最高裁判所前の、ライフル銃を携帯した兵士たち。




旧市街探検。


本当はガイド付きでないと入って行けない秘密の通路を、ガイド案内中の団体に続いてちょっくらごめんなすって。


お店もいろいろと凝ってて楽しい。


日陰日陰!


うちはクーラーついてまっせ~の表示。それぐらいこの街にはクーラーというものが無い。


再び秘密の通路に通じるドアを開け、










あ、また外に出ちゃった。


ならば今度は教会に避難!








懺悔室に入っていく尼さん。


ステンドグラスの光が床に。






少し風変わりなオルガン。


ここ最近、こんなふうに観光している姿が、どこでも見られるようになった。


過酷な暑さの中を観光したご褒美に、ホテルのフロントで教えてもらった、なかなか美味しいけれどもそんなに高くないレストランに。


なかなかどころか、とっても美味しゅうございました。






ワインにうるさい夫を満足させた、このお店のワイン貯蔵庫。


コーヒーだって美味しかった。


このレストランにはまたぜひ来たい!リヨンに行かれる予定がある方はぜひぜひ!


外に出るとまだこんなに明るい。まん丸お月さまと遊ぶおっちゃん。


まるっ!


10時きっかりに灯りがついた!




夜のベルクール広場。


噴水は大人気。


フランスに来てからずっと気になっていた、ふたつ並んだでっかい星。


実際はこんな感じに見える。


さあ、明日はニーム経由の南フランス。我らが友人のジルが待ってくれている。
コメント (7)
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はじめての、ふたりだけの本格旅行『フランス・パリ編』

2015年07月12日 | 家族とわたし
6月27日

最後の準備、もしもの時の漢方を小分けして、バックパックの中に入れた。


フランス人の父親を持つアードリーが、コツコツと作ってくれたフランス語の単語メモ。なのに持ってくの忘れちゃった!ごめんよぉ~!



6月28日

初めてのおフランス。
旅券やホテルの手配を、だってほら、勘違いとかして変なことになったら大変だからさ~と、全部夫に押し付けた。
ニューアーク空港からフランスのダ・ゴール空港まで、6時間ちょっとで着いた。
日本行きに比べると超~楽なのだけど、行く前からあまり眠れなかったのに加え、飛行機の中でも全く眠れず、着いたのが午前11時だったので、深刻な睡眠不足のまま観光に突入する、という事態になってしまった。
この旅行のことを話すと必ず、いやあ、今は一番いい季節だよ~、うらやましいなあ~と、誰もに言われたのだが…予報では猛暑としか言いようのない気温の数字が並んでいたので、とりあえず服装は限りなく涼しげなものを用意したのだが…、

あかん…覚悟してたのより10倍暑い…。
時差ボケ+睡眠不足+かんかん照りは、還暦をあと1年半あまりで迎えるおばちゃんにはキツイ…。

方向音痴のわたしにとって良い目印になってくれた、ホテル近所の塔。


地下鉄に乗って、


おっきなスタジアムっぽい。


不思議なアパート。


造幣局。


朦朧あたまの夫婦が、ふらふらと立ち寄った教会の前に、突然でっかい頭がゴロンと。


魔除けさんたちも暑かろう…。


聖水場にも歴史の渋みがしみじみと。


ステンドグラスが大好きなので(これからも撮りまくってしまうのだろう…とちょっとため息をつきながら…)。


暑さから逃れたいがために入った教会だったけれど、ほんとにすてきだった。


触るな!と言われると余計に触りたくなる…重厚で巨大なオルガン。


日陰を選ぶのが最重要任務。


川を渡って、


着いた!ノートルダム寺院!けれどもあんまり暑いので、列に並ぶ気が失せて、そそくさと退散。


何がキラキラと光ってるのかと近づいてみると…なぜか鍵だらけの橋。


この日陰でもムンムンと暑い最中に、タップダンスを披露している若者ふたり。


普通の街角に、こんなふうな教会や建物がさりげなく建っている。


またまた日陰。


学校らしい外壁。


人権のためのなんちゃらかんちゃらと、夫が説明してくれてたけど、ほとんど覚えておりません…。


くどいけど、ほんとのほんとにマジで暑い日に、体全体をキンキラキンに塗ってじっと立つ仕事というのは、さぞかし辛かったんではないですか?


やっと日が暮れてきてくれた…でも時間はもう10時。どんだけ日が長いねんっ!


どの屋根にも必ず付いてるちっちゃな煙突。


かなりヘトヘトになって乗った地下鉄。


フランス行きが決まった時、わたしの頭の中には、しっとりとしたアーモンドクロワッサンと、でっかいボールで飲むカフェオレが、ぐるぐるぐるぐる回ってた。
よっしゃ~!本場のん、思いっきり食べまっせ~飲みまっせ~!
と、食い気満々でやってきたのに、どうしてだか見つからない。
売り切れてたり、うちではカップでしか出さないと言われたり…。
さらに、こんなにとんでもなく暑いのに、どの店もクーラーなんて無くて、ほとんどクラクラしながらアイスコーヒーと言ったら、
ふふん…と鼻で笑われた挙句、じゃ、氷(アイス)をいっぱい入れたコップとホットコーヒーを持って来られたり…。

世の中やっぱり甘くはないのであった…。


6月29日

昨日は暑さと寝不足で、あちこち周る根性が失せたわたしたち。
でもこのヨーロッパ旅行は、我々の、長年の、もっと言えば結婚してからずっとの、だから20年以上にも渡る夢だったのだ。
一緒になった時にはすでに二人の幼児の父親になった夫は、いわゆる新婚などという雰囲気など全くゼロで、最初っからあくせく働かなくてはならなかった。
わたしはわたしで、自分の気持ちを優先した離婚でたくさんの人を傷つけたり迷惑をかけたりしたことに押し潰されそうになっていて、
自分自身を見失わないようにすること、息子たちに不安を感じさせないようにすることに精一杯で、だから夫にとっては全然楽しくない始まりだった。
なので、この旅行は初めての、二人だけで行く本格的な旅行なのだ。
周らいでかぁ~!

ということで、ダラダラ旅行がモットーの我々にとっては初体験となる、観光名所周りを決行することにした。
まずは朝食。
再び幻のアーモンドクロワッサンとボールカフェオレを探し回るも…やっぱり無し。
ちょっと機嫌が悪くなってきた。

全くプライベートな、ほんとは入ったり、ましてや写真なんか撮ってはいけないっぽいアパートの中庭。




ひや~!充電中の貸し電気自動車。




地下鉄の壁だってパリ。


あぢぢぢぢ…。


再び気が失せそうになった夫に喝を入れ列に並ぶと、すぐ後ろに、長男くんと同じ大学の同じ科を出た若者が並んでた。


なんだか暑さで溶けてるように見えるのは気のせいでしょか?


ノートルダム寺院。








ミサが始まった。


よくよく見ると、主になって説教をされているのは黒人の牧師さんだった。時代が違えば叶わなかったこと。


祈りの灯火。


キリストの復活の様子。




ミサに出席している人たち。


少し離れた所に、ちょっと雰囲気の違うお祈りの場所があったので、そこでわたしも家族の無事と幸せを祈ることにした。






こんなふうに、ひとつの窓だけ開いているのが多かった。


ずっと見ていても全然飽きない。


どこもかしこもまあよくここまで…という趣向が凝らされている。


全く衰えようとしない暑さ。


ここは、ピアノの生徒のミランダのオススメの場所。ステンドグラスが見事だそうな。


暑すぎんねんっこらぁ~っ!


ただただ見事!写真で伝えられないのが残念!












ちょっと人間も。


パリの建物には、この三つの言葉が正面に書かれているものが多い。左端のは自由。あとの二つはわからない。


暑さが最高になる日中は美術館!ということで、ルーブルへ。


入り口に着くまでに焦げてしまうかもしれない…。


束の間の涼み場所では、ダンス音楽を演奏をしているカップルがいた。向こうに透けて見えるのはピラミッド型の入り口。


どっひゃ~!マジで焦げそう…。


美術館の中が涼しいと、いったい誰が言いましたか?!

ぶつくさ文句言うんでねえ!ガッツだガッツ!の像。


混んでるけど、根性で前に進み、とにかく写真を撮るようにという指令を胸に、モナちゃんに会いにひたすら前に進む。


思ったよりマシだと思いきや、一番前まで行くのにとんでもなくエネルギーを使った。


そして、やっとのことで最前列に到着し、カメラを構えたその時、目の前にいた職員が進入禁止のテープをヒョイっと外した。
当然わたしの体は前に一歩出て、やったぁ~!こんな真正面から写真を撮らせてくれるんやな~と興奮しながらカメラを構え直したら、
「なにやってんだ、早くどけろ」と、眉間にぶっといシワを寄せて非情なことを言うおっさん。
結局、こんなボケボケのモナちゃんしか撮れなかった…しかもガラス越しやし…。


悔しいから、立ち去る振りをして、携帯でもういっぺん。やっぱりボケてた…グヤヂィ~!!


くっそぉ~と思いながらの帰り道、


このお方はもしや、流行りの自撮りの先駆者か?!


ヨーロッパの歴史を学んだ夫は、あれこれ説明してくれたけど、まあどれも有名なやつっちゅうことで、はい。


時間の流れ方が違っていたとしか言いようがない。


女を怒らせると恐ろしいですわよ…おほほ、おほほ、おほほほほ。


温室状態。


容赦ない暑さをお伝えできないもどかしさ…。


おらぁ~!次次次ぃ~!




どんだけデカイねん、ルーブル!


シャンゼリゼ通り。


一生縁のないルイ・ビトン。


信号渡りついでに凱旋門。


近づいてきた。


この暑いのに…若者たちよ…。


たくさんの名前が刻まれていた。


慰霊碑。


凱旋門を軸にして、通りが広がっている。


ズーム自慢。上の写真のちょっと右寄りの真ん中奥の、ほとんど霞んでしか見えない建物のてっぺんです。


本日の〆、エッフェル塔。


仁王立ち。


ふもとの公園では、カモ親子が。


どこにでもある、この場所に駐車したら牽引しまっせ~のサイン。


公衆トイレ。ボタンを押すと、プシューっという音とともに引き戸が開く。


もう炎天下を満喫し過ぎたので、エッフェル塔に上るのは日が暮れてからということにした。


昨日の観光中、列で隣り合わせになったアメリカ人カップルに教えてもらった、知る人ぞ知るちっちゃな定食屋さん。
おじさん一人がなんでもかんでもやる。メニューは前菜、主菜、デザートそれぞれ三種類だけ。組み合わせは自由。


食べ終わって外に出ると、おぉ~良い感じに暮れてきている。


公園にも人が増えてきた。


この池の、


この像も、なにやら有名なんだそうな…。


エッフェル塔のお腹。


やっとエレベーターに乗ることができる。


もう10時だというのに、やっぱりまだまだ明るい。


お月さまも明るい。


再びズーム自慢。


てっぺんまで上った頃には、やっと夜景っぽくなっていた。


街もきれいだけれど、水平線はもっときれいだった。


さらばエッフェル!


気がついたらもう12時近くになっていて、地下鉄は大丈夫かなあ…と心配しながらプラットホームに降りていくと、いるいる、15人ぐらいの人たちが電車を待っていた。
向かえのプラットホームを歩いている駅員らしき人に、フランス語ができる人が尋ねたら、さあね、と言わんばかりに肩をすくめて行ってしまった。
掲示板の電車到着時間の9分が、いつまで経ってもそのまんま…。


まあでも待つしかないかと、皆で待っていたら…突如やってきたとんでもない長さのレール貨物車。


ハッと気がついてビデオを撮ったのが、貨物車が半分ぐらい過ぎ去ってから。それでも数分かかった。すごかった。

結局、またまた戻ってきた同じ駅員に、今度は怒鳴り声で尋ねたら、ああ、もう列車は来ないよとシラっと言う。
にゃんだとぉ~!?
慌てて地上に出て、なんとかして帰ろうとバスを探すも、さっぱりさっぱりのわたしたち。
しゃあない、もう頑張る余力など全く残っていないので、高くつくかもしれないけれど、タクシーを拾うことにした。
で、ホテル前まで乗っけてもらって10ユーロ…はじめからそうすりゃよかった…。
コメント (4)
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