陶芸は60、70代の年配者であっても、新たに始める事ができます。但し、電動轆轤では早い時期
(遅くても50代)から始めなければ、上達は期待できません。丁度自動車の運転免許の取得が若者に
有利な事と相通じます。
俵萠子(たわら もえこ): 昭和5年(1930年)12月7日 ~ 平成20年(2008年)11月27日
尚、本名は萠子と書きますが、ネット上等では萌子と表示される事が多いです。
1) 陶芸に興味を持った切っ掛け。
① 最初に作ったのは、紫陽花の葉を押し当てた木の葉皿でした。
② 弟子入り。
) 最初は独学で挑戦します。
) 独学の限界を感じ、プロの陶芸家に弟子入りを望む。
) 弟子にしてくれる陶芸家は中々見付かりませんでした。
a) 基本的に陶芸家は、特別な場合(自分の子供など)を除いて弟子は採りません。
b) 師匠を求めている最中で、色々なタイプの陶芸家が居るのを発見します。
以上までが前回に述べた事です。
c) 弟子入り志願を断れ続けます。
俵さんに向いていると思われる陶芸家の門を、叩き入門を要請しますが、ことごとく断られて
しまいます。尚、男性の陶芸家に絞ったそうです。
断られた理由として、自身で幾つか述べられておられます。
・ 「女の弟子を採らない」と言う答えが、圧倒的に多いとの事です。
・ 「陶芸は力仕事であり、若い男性のみ弟子にします。」
・ 「窯場は神聖な場所で、女人禁制です」、「相撲の土俵と同じです」
・ 「女房が反対するので、女の弟子は採らない」と言う陶芸家もいた様です。
即ち、女である事と60近い年配である事が、断る大きな理由であった様です。
2) 念願の弟子入り。
プロの陶芸家への弟子入りを諦めかけていた頃、熊本県八代市の隣町に講演の為訪れます。
八代市には、高田焼(八代焼)きと言う焼き物があり、その窯元の一つを訪れる機会ができます。
① 窯元酒井雅女さんと出会う。
a) 窯元の主は、伝統的な窯元の十一代目の女性でした。俵さんは窯元が、女性である事が
大変不思議であった様です。なぜなら、伝統的な窯元では、男子のみの一子相伝と伝えられて
いると思っていた為です。酒井雅女さんは、俵さんより年上の人でした。
b) 「何でも教えるからうちに来なさい」(実際は熊本弁であったそうです)の一言で弟子入りを
決意します。俵さんは独学で苦労し、プロの陶芸家に弟子入りを希望しているが、断れ続けて
いる事を話すと、上記の様な言葉を掛けて頂いたそうです。
c) 月に一度4~5日の休暇を取り、飛行機で熊本へ、1988年から4年間通う事に成ります。
それでは、俵さんの修行した時間はどの位だったのでしょうか?。勿論本人は語っていま
せんが、大よその見当がつきます。
一度に月4日間陶芸に従事しているとし、1日8時間として月32時間になります。
これを4年間(12X4=48ヶ月)とすれば、32x48=1536時間になります。
一般に、1000時間で一通り陶芸の事は、こなせる様になり、1500時間で人に教える
事が出来ると言われています。当然、指導の仕方や、学ぶ者の素質や年齢によって左右され
ます。それ故、俵さんは、人に教える事の出来る程度の技量を習得した物と思われます。
② 他の多くの陶芸家から、助言を受ける。
著名人である俵さんが、本格的に陶芸を始めた事が判ると、多くの人や陶芸家たちから助言を
受ける様に成ったそうです。電動轆轤は、熊本でも習いましたが、その他の人々の助言を受け、
上達したそうです。
尚、他人の助言には、とても役立つもの、余り参考に成らないもの、毒にも薬にも成らないもの
更には、有害のものまであります。有名人や著名な陶芸家の助言が必ずしも、役に立つとは
限りません。その為、取捨選択を間違わない事です。陶芸は人によりやり方が違いますので、
助言された事で迷ってしまう事も珍しくありません。その為、初心者はあれこれ意見を聞かずに
一人の先生の教えを守る事が、陶芸技術の速い習得になる場合が多いです。
以下次回に続きます。
(遅くても50代)から始めなければ、上達は期待できません。丁度自動車の運転免許の取得が若者に
有利な事と相通じます。
俵萠子(たわら もえこ): 昭和5年(1930年)12月7日 ~ 平成20年(2008年)11月27日
尚、本名は萠子と書きますが、ネット上等では萌子と表示される事が多いです。
1) 陶芸に興味を持った切っ掛け。
① 最初に作ったのは、紫陽花の葉を押し当てた木の葉皿でした。
② 弟子入り。
) 最初は独学で挑戦します。
) 独学の限界を感じ、プロの陶芸家に弟子入りを望む。
) 弟子にしてくれる陶芸家は中々見付かりませんでした。
a) 基本的に陶芸家は、特別な場合(自分の子供など)を除いて弟子は採りません。
b) 師匠を求めている最中で、色々なタイプの陶芸家が居るのを発見します。
以上までが前回に述べた事です。
c) 弟子入り志願を断れ続けます。
俵さんに向いていると思われる陶芸家の門を、叩き入門を要請しますが、ことごとく断られて
しまいます。尚、男性の陶芸家に絞ったそうです。
断られた理由として、自身で幾つか述べられておられます。
・ 「女の弟子を採らない」と言う答えが、圧倒的に多いとの事です。
・ 「陶芸は力仕事であり、若い男性のみ弟子にします。」
・ 「窯場は神聖な場所で、女人禁制です」、「相撲の土俵と同じです」
・ 「女房が反対するので、女の弟子は採らない」と言う陶芸家もいた様です。
即ち、女である事と60近い年配である事が、断る大きな理由であった様です。
2) 念願の弟子入り。
プロの陶芸家への弟子入りを諦めかけていた頃、熊本県八代市の隣町に講演の為訪れます。
八代市には、高田焼(八代焼)きと言う焼き物があり、その窯元の一つを訪れる機会ができます。
① 窯元酒井雅女さんと出会う。
a) 窯元の主は、伝統的な窯元の十一代目の女性でした。俵さんは窯元が、女性である事が
大変不思議であった様です。なぜなら、伝統的な窯元では、男子のみの一子相伝と伝えられて
いると思っていた為です。酒井雅女さんは、俵さんより年上の人でした。
b) 「何でも教えるからうちに来なさい」(実際は熊本弁であったそうです)の一言で弟子入りを
決意します。俵さんは独学で苦労し、プロの陶芸家に弟子入りを希望しているが、断れ続けて
いる事を話すと、上記の様な言葉を掛けて頂いたそうです。
c) 月に一度4~5日の休暇を取り、飛行機で熊本へ、1988年から4年間通う事に成ります。
それでは、俵さんの修行した時間はどの位だったのでしょうか?。勿論本人は語っていま
せんが、大よその見当がつきます。
一度に月4日間陶芸に従事しているとし、1日8時間として月32時間になります。
これを4年間(12X4=48ヶ月)とすれば、32x48=1536時間になります。
一般に、1000時間で一通り陶芸の事は、こなせる様になり、1500時間で人に教える
事が出来ると言われています。当然、指導の仕方や、学ぶ者の素質や年齢によって左右され
ます。それ故、俵さんは、人に教える事の出来る程度の技量を習得した物と思われます。
② 他の多くの陶芸家から、助言を受ける。
著名人である俵さんが、本格的に陶芸を始めた事が判ると、多くの人や陶芸家たちから助言を
受ける様に成ったそうです。電動轆轤は、熊本でも習いましたが、その他の人々の助言を受け、
上達したそうです。
尚、他人の助言には、とても役立つもの、余り参考に成らないもの、毒にも薬にも成らないもの
更には、有害のものまであります。有名人や著名な陶芸家の助言が必ずしも、役に立つとは
限りません。その為、取捨選択を間違わない事です。陶芸は人によりやり方が違いますので、
助言された事で迷ってしまう事も珍しくありません。その為、初心者はあれこれ意見を聞かずに
一人の先生の教えを守る事が、陶芸技術の速い習得になる場合が多いです。
以下次回に続きます。
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