日本の盆器の中で、小盆栽愛好家に人気があり、評価の高い作家に、前回紹介した、平安東福寺が
います。その東福寺周辺には、同じ様な陶号を持つ、作家が幾人(いくにん)かいます。
即ち、平安香草、平安(稚松)愛草、平安万草、平安香山、永田健次郎、長友蓮葉、西口杉庵達で、
後世に伝わる、優れた鉢を作っている作家達です。
これらの人達は、河合蔦蔵と言う関西の老舗盆栽業者が主催する、盆栽鉢を作る「拈陶会(ねんとうかい)」
のメンバーです。昭和13年頃に始まります。東六香艸の箱書のある鉢は、河合が取り扱ったメンバーの
作品である事の、証明になります。
2) 河合蔦蔵(かわいつたぞう)1886~1962年
香艸園初代園主である河合蔦蔵氏は、東本願寺大谷家と繋がりを持ち、22世法主の大谷光瑩
(こうえい)師の、遺愛の盆栽管理に当っていました。当時、小盆栽用の鉢が少なかった為、自分達で
作ろうとしました。 更に、作品が売れず苦境にあった会員達の作品を、東京などの盆栽愛好家への
紹介や作品買取手として、経済的な援助をしています。又、形や意匠なども指導やアドバイスなども
行っています。
3) 平安香草(こうそう)
河合蔦蔵の別号で、戦前に制作された、陶器の小鉢や豆鉢に傑作が多いです。
現在は3代目(河合稔夫氏)で、染付けや磁器へ変わり、清水焼の窯元、瑞光窯で制作されています。
新作物も、「平安香草」ブランドで、人気を博しているとの事です。
4) 平安(稚松)愛草、
稚松愛草(わかまつあいそう):河合蔦蔵の別号です。
東本願寺近くの、稚松小学校付近に住む、鍋倉某氏に型、寸法、意匠を指定して作らせ、
稚松愛草の落款銘で、全て香草園に納めさせ、販売された様です。
作風は端正で、瑠璃釉や辰砂釉に優れた物が多く、登窯の高温焼成の為、やや歪みの有る物が
多いのも愛草鉢の特徴です。 愛草の代表作品として「瑠璃釉外縁長方鉢」があります。
作品は昔から、熱狂的な愛好家の間で、評価されていましたが、今日では小品盆栽界でその存在が、
広く知られる様になりました。
・ 平安東福寺、平安香山などにも、制作依頼し、出来の良かった物を「稚松愛草」の落款を、
使用したとも言われています。
5) 平安万草(まんそう): 本名 宮崎芳太郎 (宮崎万草園園主)
「拈陶会」に入る前から、小盆栽、小鉢を作っていた様です。後に盆栽商に転進します。
東福寺も最初はこの店で、作品を買い取って貰っていました。
作風は、粗い赤土に似た胎土で、鶏血釉が多く、形は正方形が多い様です。
「平安万草」の落款の有る物は少なく、ほとんど無銘です。
6) 平安香山(こうざん): 本名 小池一雄 1905~1990年
平安東福寺と並び称される作家です。(東福寺とは親交がありました。)
小鉢のみならず、中鉢や水盤も手掛けています。
制作方法は、主にタタラ作りと紐作りの為、手間隙が掛り、作品点数も、東福寺よりも、
格段に少ないです(40年間で約1万点以下)。轆轤は使わなかったそうです。
反りや歪みの無い、端正な器形が特徴で、泥もの(紫泥、朱泥、白泥、黒泥、梨皮泥など)の他、
辰砂釉、鶏血釉、緑釉、白釉、黄釉、瑠璃釉、蕎麦釉などや、染付、色絵、金銀彩も手掛け、
更に、浮彫や透彫など、幅広い作品を作っています。
戦前は登窯で、昭和39年以降は電気窯で焼成しました。
昭和48年に二代香炉山に譲り、香翁を名乗ります。
7) 永田健太郎: 祇園町の御茶屋の主人、生没年不詳
趣味(アマチュア)として、「拈陶会」に熱心に参加していた様です。
残された作品は、少ないですが、形も多種類で変化に富み、瑠璃釉や蕎麦釉が主で、腕達者と
言われています。
以下次回に続きます。
参考資料 盆器大図鑑 (上、中、下巻) (株)近代出版
います。その東福寺周辺には、同じ様な陶号を持つ、作家が幾人(いくにん)かいます。
即ち、平安香草、平安(稚松)愛草、平安万草、平安香山、永田健次郎、長友蓮葉、西口杉庵達で、
後世に伝わる、優れた鉢を作っている作家達です。
これらの人達は、河合蔦蔵と言う関西の老舗盆栽業者が主催する、盆栽鉢を作る「拈陶会(ねんとうかい)」
のメンバーです。昭和13年頃に始まります。東六香艸の箱書のある鉢は、河合が取り扱ったメンバーの
作品である事の、証明になります。
2) 河合蔦蔵(かわいつたぞう)1886~1962年
香艸園初代園主である河合蔦蔵氏は、東本願寺大谷家と繋がりを持ち、22世法主の大谷光瑩
(こうえい)師の、遺愛の盆栽管理に当っていました。当時、小盆栽用の鉢が少なかった為、自分達で
作ろうとしました。 更に、作品が売れず苦境にあった会員達の作品を、東京などの盆栽愛好家への
紹介や作品買取手として、経済的な援助をしています。又、形や意匠なども指導やアドバイスなども
行っています。
3) 平安香草(こうそう)
河合蔦蔵の別号で、戦前に制作された、陶器の小鉢や豆鉢に傑作が多いです。
現在は3代目(河合稔夫氏)で、染付けや磁器へ変わり、清水焼の窯元、瑞光窯で制作されています。
新作物も、「平安香草」ブランドで、人気を博しているとの事です。
4) 平安(稚松)愛草、
稚松愛草(わかまつあいそう):河合蔦蔵の別号です。
東本願寺近くの、稚松小学校付近に住む、鍋倉某氏に型、寸法、意匠を指定して作らせ、
稚松愛草の落款銘で、全て香草園に納めさせ、販売された様です。
作風は端正で、瑠璃釉や辰砂釉に優れた物が多く、登窯の高温焼成の為、やや歪みの有る物が
多いのも愛草鉢の特徴です。 愛草の代表作品として「瑠璃釉外縁長方鉢」があります。
作品は昔から、熱狂的な愛好家の間で、評価されていましたが、今日では小品盆栽界でその存在が、
広く知られる様になりました。
・ 平安東福寺、平安香山などにも、制作依頼し、出来の良かった物を「稚松愛草」の落款を、
使用したとも言われています。
5) 平安万草(まんそう): 本名 宮崎芳太郎 (宮崎万草園園主)
「拈陶会」に入る前から、小盆栽、小鉢を作っていた様です。後に盆栽商に転進します。
東福寺も最初はこの店で、作品を買い取って貰っていました。
作風は、粗い赤土に似た胎土で、鶏血釉が多く、形は正方形が多い様です。
「平安万草」の落款の有る物は少なく、ほとんど無銘です。
6) 平安香山(こうざん): 本名 小池一雄 1905~1990年
平安東福寺と並び称される作家です。(東福寺とは親交がありました。)
小鉢のみならず、中鉢や水盤も手掛けています。
制作方法は、主にタタラ作りと紐作りの為、手間隙が掛り、作品点数も、東福寺よりも、
格段に少ないです(40年間で約1万点以下)。轆轤は使わなかったそうです。
反りや歪みの無い、端正な器形が特徴で、泥もの(紫泥、朱泥、白泥、黒泥、梨皮泥など)の他、
辰砂釉、鶏血釉、緑釉、白釉、黄釉、瑠璃釉、蕎麦釉などや、染付、色絵、金銀彩も手掛け、
更に、浮彫や透彫など、幅広い作品を作っています。
戦前は登窯で、昭和39年以降は電気窯で焼成しました。
昭和48年に二代香炉山に譲り、香翁を名乗ります。
7) 永田健太郎: 祇園町の御茶屋の主人、生没年不詳
趣味(アマチュア)として、「拈陶会」に熱心に参加していた様です。
残された作品は、少ないですが、形も多種類で変化に富み、瑠璃釉や蕎麦釉が主で、腕達者と
言われています。
以下次回に続きます。
参考資料 盆器大図鑑 (上、中、下巻) (株)近代出版
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