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東奔西歩の 『出路迦芽』 写真館

『人も歩けば...』でデジカメ片手に東奔西歩し出会ったお気に入りの写真と日々変化する富士山の写真をお届けします。

小松宮彰仁親王別邸だった三島楽寿館

2005年10月22日 | 風景
 
 10月22日の今日は、朝起きると天気予報が外れ雨が降っており、出鼻をくじかれ、朝食後の田子の浦散歩を楽しみ、テレビを見ていたら、三島の楽寿園で山野草まつりが開催されていることがローカルニュースで流れており、インターネットで調べて見ると自然豊かな公園と書かれており、午後からまだ訪れたことの無かった楽寿園に出かけました。
楽寿園はJR三島駅のすぐ南に位置し、うっそうとした森に囲まれた広さ約71,800㎡の自然豊かな公園で、明治維新に活躍した小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営されたもので、1952年より三島市が管理運営しています。(入園料300円)
楽寿園の中にある高床式数寄屋造りの楽寿館の館内には、帝室技芸員をはじめ、明治時代を代表する日本画家たちによる210面に及ぶ襖絵・杉板戸絵・天井画等が施されており、1日2回一般公開されており、今回13時30分の公開に逢わせて出かけました。
なぜか子供は入館お断りになっており、中へ入ると入り口の鍵を閉めて説明の終わる30分間は外に出られないと言う不思議な管理方法をしており、中での写真撮影ももちろん禁止でしたが、襖絵や天井絵、茶室などを堪能することが出来ました。
唯一残念だったのは、渇水している小浜池で、ここが満水になるのは数年に1度とのことでした。
園内のモミジはまだまだ青々としており、紅葉の時にもう一度訪れてみたいです。

1枚目の写真は、楽寿館の一般公開の入館状況です。 中に入れない子供がかわいそうでした。 



2枚目は、渇水の小浜池と楽寿園です。 満水なら絵になるのになぁ~と思いました。 前回満水になったのは、2003年9月とのことです。



3枚目は、楽寿園の中にある小さな滝です。 小さいながらも迫力がありました。



4枚目は、みどりヶ池を泳ぐ白鳥やカモです。 三島は、水の街と言われており、渇水している小浜池以外の池は水を貯えていました。 



<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月22日13時29分~15時19分
  撮影場所:楽寿園(静岡県三島市)

心がhighになる夷耶馬の景観

2005年10月22日 | 国東半島
 
<第7回国東半島仏の里ウォーク第2日目:国見YH、赤根の湯P~真玉温泉 10月9日>

 今日の写真は、中山仙境の登山口の焼尾より眺める夷耶馬です。
耶馬渓の景観に負けない素晴らしさです。



<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月9日10時6分
  撮影場所:大分県香々地町焼尾


転のゴール 本州最北端 大間崎

2005年10月22日 | 日本列島縦断歩く旅

<「日本列島縦断歩く旅」その56-1(大湊駅~大間崎) 8月21日 3日目 佐井村福浦~大間崎~大間町 37km 思い出の写真より>

 今日は、歩いて到達できる本州最北端大間崎の写真です。
雨に洗われ綺麗になったなつかしの「ここ本州最北端の地」の碑が歓迎してくれました。
1989年1月3日に本州最南端の佐多岬を出発して、56回の歩く旅を重ね、道中日本一の3776mの富士山のてっぺんにも立ち、延べ歩行日数=256日、歩行距離=8868km、歩行時間=2977時間27分となり、「塵も積れば山となる」のことわざを実感する、嬉しい「起承転結」の転のゴールでした。

1枚目は、以前訪れた時は無かった「まぐろ一本釣りの町 おおま」の碑で、大きなマグロが歓迎してくれました。 後ろには、海に浮かぶ大間崎灯台も見えます。



2枚目は、懐かしの「ここ本州最北端の地」の碑です。
携帯で碑の写真を撮っている女性がいました。



3枚目は、本州最北端の眺めを楽しむウミネコです。



4枚目は、ザックを背負って「ここ本州最北端の地」の碑を撮影していたら、声をかけてきて、「今回大湊から歩いてきた。」と言うと200円也の「本州最北端大間崎到着証明書」を無料でくれた「本州最北端のおみやげ屋」です。



5枚目は、「ここ本州最北端の地」の碑の近くにあった「日本列島」の嬉しい地図です。
本土最南端 佐多岬、本州最北端 大間崎、日本最北端 宗谷岬 等の日本列島の端が描かれており、しばし見入ってしまいました。



<撮影データ>
 撮影日時:2005年8月21日16時21分~48分
 撮影場所:青森県大間町大間崎