愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

黄金堤 西尾市

2013年07月22日 06時27分30秒 | 西尾市
吉良上野介は善政をした?
7月14日、深溝城の次に「黄金堤」を訪れました。

この堤は、忠臣蔵の敵役で有名な吉良上野介(吉良義央)が作ったと案内板には書かれていました。

案内板の説明
史跡 黄金堤
吉良さん(吉良上野介義央)の善政の最たるものは、この黄金堤の築堤である。
当時、増水のたびに隣藩上流平野の水がこの細い谷を抜けて南下し、今の吉良町の新田地帯はそのつど大水に悩まされた。
吉良さんは、この山間の約180メートルを堤防でふさぎ、下流八千石の田園を水害から救った。
 当然、隣接西尾藩はこの工事に強く反対したが、吉良さんは、決壊したら二度と築堤しないと、誠意をつくして約束したという。
 領内老若男女こぞって工事に参加し、一晩で完成したと伝える。ひき続き関連の用排水路が整備された。
 黄金堤の美称は、吉良さんへの尽きない思慕である。
西尾市教育委員会




黄金堤の石碑と吉良義央の像

吉良上野介の汚名を晴らしたい
「吉良さん」と呼んだり、「老若男女こぞって参加し」とか、西尾市教育委員会(旧吉良町教育委員会)は、吉良上野介を賞賛してることが分かります。しかし、上野介はほとんど江戸にいて、領地にはあまり足を運んでいないという説もあります。真偽のほどは分かりませんが、吉良上野介を領主に仰ぐ吉良町としては、忠臣蔵の汚名を少しでも晴らしたいと思うのは間違いないと思います。