愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

関ヶ原古戦場(2) 岐阜県

2017年04月23日 09時12分55秒 | 岐阜県
田中吉政陣跡

田中吉政陣跡

徳川家康の陣跡のすぐ南に付属のように田中吉政の陣跡がありました。田中吉政は、以前訪れた岡崎城の城主です。徳川家康が関東へ移った後に岡崎城の城主となりました。豊臣秀吉が亡くなってからは徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦いました。案内看板には田中吉政が西軍の将である石田三成を手厚く扱ったため、石田三成から脇差「切刃貞宗」を授けられたという逸話が記載されていました。

戦国武将物語

電柱に掲示された戦国武将豆知識

ここから北東にある岡山烽火場に向かいました。すると電柱に戦国武将についての豆知識が掲示されていました。案内の地図の道順と連動しているようで、逆にこの豆知識のある電柱をたどって行けば、史跡めぐりができるようです。関ヶ原町ぐるみで観光開発をしていることが見受けられました。観光者にとってはうれしいことです。

細川忠興陣所跡
次のポイント細川忠興陣所跡に来ました。

細川忠興陣所跡

細川忠興は、妻が細川ガラシャです。石田三成が関ヶ原の戦いの前に大阪にいる諸大名の妻子を人質にしましたが、この細川ガラシャだけは拒絶して命を絶ちました。このことが東軍の士気を高めたと言われています。

岡山烽火場
この陣所の北に川が流れていて、そこから岡山烽火場が見えました。

岡山烽火場

先日みた長篠の戦いの医王寺砦のようにきれいに木や草が刈ってありました。岡山烽火場からの眺望を確保するためでしょう。

岡山烽火場石碑

東軍が戦闘を開始した際に、ここで烽火を上げたそうです。ここには、黒田長政、竹中重門らが布陣していました。黒田長政はご存知黒田官兵衛の息子です。竹中重門は、豊臣秀吉のもう一人の軍師竹中半兵衛の息子です。黒田長政は、父官兵衛が織田信長に謀反を企てた荒木村重に加担したとして、織田信長に殺されようとしました。そこを竹中半兵衛が助けたという逸話が残っています。
それで黒田長政と竹中重門は幼馴染だそうです。

岡山烽火場からの眺望 関ヶ原全体を一望のもとに見ることができます。