愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(19) 松平記

2022年03月24日 10時33分25秒 | 松平記

松平記p19

翻刻
の証人にて御座候、是を御取なされ、岡崎殿を御旗下に可
被成と申す、弾正どの大に御感有、永楽百貫戸田五郎に被下
候、世間にハ右之代にとり申たると沙汰致し候、左様にハ
無之候、さて竹千代殿を熱田に加藤図書と申地下人に御
預置岡崎へ御使有、今度今川殿を離れ、尾張と一味被成可
然、無左候ハバ、竹千代殿を殺し可申由被申越、廣忠流石の
大将にて御返事被申ハ、此方人質の事駿河へハ心さして
遣候処に不〇に其方へ御取被成候、不及是非候、此上ハた
とひ御殺し被成候とも駿河と不和に仕事有まじ、人質は
もとより此方より駿河へ奉りし事なれハ、証人を惜ミて駿

現代語
(竹千代が岡崎からの)証人である。これをお取りになって、岡崎殿(廣忠)を支配下にするべきであると(戸田五郎は)言った。織田弾正信秀は大変喜び、永楽銭百貫を戸田五郎に下された。世間には「右之代にとり申たる」と言っているが、そうではない。さて、竹千代殿を加藤図書という地下人に、熱田という所に預けておいて、岡崎に使者を出した。「このたび今川殿を離れ、尾張と一味になることが適切である。そうしなければ竹千代殿を殺すことになる」と申してきた。廣忠は流石の大将で返事に「こちらは人質のこと駿河へと遣わしたところ、心ならずもそちらに取られてしまった。仕方がないことである。この上はたとへ竹千代が殺されても駿河と不和になることはない。人質はもともとこちらから駿河へ献上したものであるから、証人を惜しんで・・・

コメント
難語句

雪?慮?意?

つぎに、意味の分からないところです。竹千代を横取りした戸田五郎に対して、織田弾正信秀が永楽銭百貫を下したところです。世間に対して「右之代にとり申たる」と沙汰したというのです。どういう意味か分かりません。
さて、自分の嫡男竹千代を取られた廣忠が、たとえ人質が殺されても駿河(今川義元)と不和になりたくないと言います。もし、その通りに人質が殺されれば、家康はここで絶命し、その後の歴史は全く違うものになります。なんとなく、廣忠の美談(江戸時代の道徳で。子どもを犠牲にして忠誠を尽くす)のように感じられました。しかし、それだけ家忠の立場が弱かったということでもあります。
また、戸田五郎が織田信秀から永楽銭百貫もらいました。織田家は、この時には熱田や津島の港を掌握してかなりの金銀を有し、かなり富裕な豪族だったことが分かります。
コメント (2)
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