愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

足助の町並み 豊田市足助地区

2016年03月06日 07時45分54秒 | 豊田市
足助町と加茂一揆
久しぶりの投稿です。2月はいろいろなことがあって、なかなか史跡めぐりに出かけることが出来ませんでした。
さて、久しぶりの史跡めぐりは、足助です。足助を選んだ理由は、加茂一揆との関係です。元来加茂一揆について関心があって、渡辺政香『鴨の騒立』(かものさわだち)なども読んでみました。すると、一揆の人たちが松平から、足助にまで及んでいること、そして、その足助に打ちこわしの対象となった豪商が存在したということです。加茂一揆は1万数千人もの人たちがかかわった一揆です。その一揆の対象が足助の豪商たちであったというのは、一つの驚きでした。大変失礼な言い方ですが、山間の小さな町にそれほどの影響力のある商人がいるということにびっくりした次第です。
そこで、足助とはどんな町だったのか、見てみたいと思ったわけです。


足助町観光マップ


足助町の町並み(西町)

足助町の町並み(ランダムに)
 はじめに西町辺りを歩いていると、宿屋が出てきました。

玉田屋という宿屋。現在西町に残っているのはこの一軒だけだそうです。

 続いて、それらしき店として、『鈴木商店』


 さらに『足助糧穀』。お店の人に「昔からの米屋さんでしたか?」とお聞きしたところ、そうではないということでした。


 呉服屋


 そしてついに見つけました。加茂一揆で打ちこわしの対象となった白木屋です。今はお菓子屋で『加東家』となっています。

『加東家』にあった旧足助町の看板です。木の陰で何が書いてあるのか分からないので、以下その文を掲載します。

十四 加東家
三河最大といわれる加茂一揆(天保七年=1836)は松平に端を発し近郷の参加村数二四七・一万三千人が異常物価高に抗議した住民運動です。作り酒屋であった白木屋は一揆側にとって足助の目標で、柱に鉈で切りつけた跡が残っています。いくつもの酒樽が破られ、酒が川のように流れ出たということです。


 その他、明治・大正期にランプの油として石油を売っていたお店、創業100年くらいの酒屋などがありました。

明治・大正期に石油を売っていたというお店。


創業100年以上という酒屋

 さらに現在補修中の『鈴木家』という豪商の跡もありました。


十分な下調べなしで行ったので、町並みについて詳しいことが分かりませんでしたが、お店がたくさんあったことはわかりました。ただし、それは今の姿で、多くは観光目的でした。江戸時代後期はどうだったのか、詳しく調べたいと思います。

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4 コメント

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Unknown (城歩きマン)
2016-03-07 08:59:40
足助城には、ずいぶん昔に登城したことがありますが、麓の町並みは見学していませんでした。

けっこう見ごたえのある街並みですね…。ぜひ、今度の城の会の秋の見学会にはここの城と町並を加えたいですね。
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Unknown (midorishako)
2016-03-07 19:58:10
城歩きマンさん
コメントありがとうございます。

市の文化財である鈴木家が修復工事中で残念です。見学会の時もまだ工事中です。でも、散策にはいい町並みだと思います。近く『足助城(真弓山城)もあります。(飯盛山城は、登るのが大変な割には遺構が少ない山城でしたので、あまりお勧めではありません)
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史跡だより待ってました (かわせ)
2016-03-08 16:49:27
2月に入り史跡だよりが更新されてませんでしたのでいろいろお忙しいのだなと思っていました。先日姫路城に行ってきました。日本のお城は実に様々な工夫がされて建てられているなあと、実感しました。敵の侵入を防ぐ工夫を一つ一つ確かめながらの見学が楽しかったです。また史跡だより楽しみにしています。
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行きたいな姫路城 (midorishako)
2016-03-09 22:52:30
かわせさん
コメントありがとうございます。

待っていたなんて、嬉しい限りです。これからも史跡めぐりがんばって更新していきますので、よろしくお願いします。

それにしても、姫路城に行かれましたか。私は、実はまだ行ってないんです。昨年は化粧直しの直後で人が多いだろうと自粛してしまいました。今年は、人♡少なくなっていると思います。ぜひとも行きたいです。実際はどうだったのでしょうか。よろしかったら、様子を教えてください。
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