6月22日(土)市場城を見学する予定でいます。そこで、市場城について調べていると市場古城という城があることが分かりました。市場城のすぐ東隣です。現在の本城小学校の手前の山になります。
市場古城の位置
市場古城とは、足助鈴木氏から小原の方に移ってきた鈴木藤五郎親信が最初に築いたお城のようです。応永年間(1394~1428)からのようです。しかし、親信は文亀2年(1502)に西に市場城を築き、そこに移りました。この城は廃城にすることなく使われていたそうです。
さて、市場古城は本城小学校の北東です。そこには、熊野神社がありました。
熊野神社の鳥居
熊野神社の敷地も市場古城の城域だそうです。熊野神社は平らな土地が3段になっていました。それぞれ昔の曲輪だったのかもしれません。一番上の平らな土地に社があり、社の両脇は土塁状になっていました。
土塁状の遺構
社のある平坦地をさらに奥に進むと小高い土塁状の遺構がありました。
土塁状の遺構
この土塁状の遺構から西の方に曲輪が広がっていました。主郭と思われます。
主郭の様子
そしてこの主郭の突き当りに大きな堀切がありました。
大きな堀切
市場古城は熊野神社部分とその奥の部分との2つの部分からなっていました。奥の部分は、両端を堀切で守られ、いかにも山城という印象を受けました。
愛知県中世城館跡調査報告で高田徹氏は、「市場古城は、大土塁や面積の広い曲輪に比して、虎口や土塁・堀の発達などは見られず、やや古い時期の城館の感が強い。このような城館が伝承通り、文亀・長禄以前に築かれたとすると、初期の鈴木氏の性格(例えば荘官等)や城館自体の役割(例えば荘園政所)などを考えるうえでも重要な存在といえる。」と述べています。
山城の多くは戦国期のものですが、たくさんある遺構の中には、市場古城のように戦国期以前の歴史を伝えるものも存在するということです。そういえば、松平の松平城(郷式城)も松平氏の初代親氏が築いたという伝承がありました。そういう目で山城をもう一度見ることも必要だなあと感じました。
市場古城の位置
市場古城とは、足助鈴木氏から小原の方に移ってきた鈴木藤五郎親信が最初に築いたお城のようです。応永年間(1394~1428)からのようです。しかし、親信は文亀2年(1502)に西に市場城を築き、そこに移りました。この城は廃城にすることなく使われていたそうです。
さて、市場古城は本城小学校の北東です。そこには、熊野神社がありました。
熊野神社の鳥居
熊野神社の敷地も市場古城の城域だそうです。熊野神社は平らな土地が3段になっていました。それぞれ昔の曲輪だったのかもしれません。一番上の平らな土地に社があり、社の両脇は土塁状になっていました。
土塁状の遺構
社のある平坦地をさらに奥に進むと小高い土塁状の遺構がありました。
土塁状の遺構
この土塁状の遺構から西の方に曲輪が広がっていました。主郭と思われます。
主郭の様子
そしてこの主郭の突き当りに大きな堀切がありました。
大きな堀切
市場古城は熊野神社部分とその奥の部分との2つの部分からなっていました。奥の部分は、両端を堀切で守られ、いかにも山城という印象を受けました。
愛知県中世城館跡調査報告で高田徹氏は、「市場古城は、大土塁や面積の広い曲輪に比して、虎口や土塁・堀の発達などは見られず、やや古い時期の城館の感が強い。このような城館が伝承通り、文亀・長禄以前に築かれたとすると、初期の鈴木氏の性格(例えば荘官等)や城館自体の役割(例えば荘園政所)などを考えるうえでも重要な存在といえる。」と述べています。
山城の多くは戦国期のものですが、たくさんある遺構の中には、市場古城のように戦国期以前の歴史を伝えるものも存在するということです。そういえば、松平の松平城(郷式城)も松平氏の初代親氏が築いたという伝承がありました。そういう目で山城をもう一度見ることも必要だなあと感じました。
なお、近くに市場古城があるそうですが、市場城の後で立ち寄ることは可能ですか。時間があれば、そちらも見てみたいのですが…。
いつもコメントありがとうございます。
市場古城は、市場城から歩いて5分程度ですので、十分可能です。城そのものもそんなに大きなものではなく、熊野神社とその裏山みたいなイメージです。