愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

津具城址(1) 設楽町

2016年06月29日 17時37分32秒 | 設楽町
さあ、いよいよお目当ての津具城です。

後藤善心が築城した難攻不落の山城
津具城は「愛知の山城ベスト50」によれば、後藤善心という武将の築いた城のようです。後藤善心とは、最初武田氏に仕えていた武将のようです。はじめ、津具城の東の方に白鳥山城を居城としていましたが、永禄5年(1562年)今川氏真の命によって渡辺平内次らに攻められ、あっけなく落城してしまったそうです。そこで、これに懲りた善心が難攻不落の城を目指して築城したのがこの津具城ということだそうです。

「難攻不落」というより、登城するのがかなり困難な城でした。

城に登る道がない
「愛知の山城ベスト50」等の解説書で「登城口は、ふもとの『李登勝美術館』の中を通って行く」とか説明されていましたので、さっそく、許可をいただきにお訪ねしました。ついでに登城口がどこなのか、お伺いしようと思いましたが、あいにく美術館の方はいらっしゃりませんでした。お歳を召した方が出られました。その方に許可をいただきました。

美術館の右手の方に小さな道があり、これだと思って登っていきますと、途中このような看板がりましたが、津具城のつの字もありません。


しかも道が途中でなくなってしまいました。前面は山の急な斜面が見えるだけです。小さな沢があり、斜面をチロチロと流れ落ちています。

登城困難の山城
この山の上に津具城があるに違いないと半分直感で登ることにしました。「沢登り」です。かなりきつい斜面でした。道なき道を一生懸命に登りました。昔広島の高野で「蔀城」に登った時もこんな感じでした。蔀城と違った点は、急だけど、短かったということです。20分ぐらいで、尾根にたどり着きました。息が切れそうでした。

尾根を歩いていると、すぐに井戸跡が見つかりました。

井戸跡

縄張り図を見ながら、これに違いないと、うれしくなりました。

津具城のイメージ図

畝状竪堀
堀跡を東に登っていきますと、すぐに曲輪があり、そこから竪堀が2本のびていました。「愛知山城ベスト50」では「畝状竪堀」と紹介されていました。

南側の竪堀


すぐ北側の竪堀

畝状竪堀を考える
この竪堀は確かに2本以上あるので、畝状になっていますが、規模としては、以前見学した小原の市場城に比べるとやや小さい感じでした。また、福井の一乗谷城に比べると、数においてまったく少ないという感じでした。さらに、市場城の畝状竪堀が主郭の下にあり、主郭を守備するのに、一番強固な守りの設備を施してあったのに対して、津具城では、Ⅱ郭の下にあり、Ⅱ郭を守りの要と考えていたことが伺われました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
よくわからない (midorishako)
2016-07-03 19:11:46
城歩きマンさん
コメントありがとうございます。

お尋ねの「両域ふれあいの会」ほた場という看板ですが、はっきり言って、よくわかりません。津具城と関係がないということで、あまり関心がありませんでした。

ほた場というのは、どういう意味なのか知り合いの人に聞いてみたいと思います。

すいません。へんな写真をアップして。
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Unknown (城歩きマン)
2016-07-03 09:11:31
畝状竪堀はいろいろな場面で、いろいろな用いられ方をしたようですね。

ところで、説明の最初のところにあった「両城ふれあいの会」ほた場とありましたが、「ほた場」とはなんのことですか?

方言でしょうか?
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