刈谷市に亀城公園という公園があります。字の通り、昔ここにお城があって、亀城と呼ばれていたところです。刈谷城とも言います。先に紹介した緒川城主、水野忠政の築城です。
亀城公園の一角にある「刈谷城址の碑」
三河一向一揆では、水野重忠と水野信元が登場しますが、水野信元は、刈谷から出兵しているようです。したがって水野信元のころには刈谷城が水野氏の居城ではないかと思われます。
亀城公園の一角にある本丸跡の石碑
公園は、よく整備されていて、きれいな堀がありました。
お堀
刈谷市には亀城公園の整備計画がありました。
公園に立てられていた整備計画の概要
江戸時代の古図では、下のようになっています。
刈谷市郷土資料館のパンフレットより
この図でいうと、本丸のあたりを復原して再整備するようです。
楽しみです。
亀城公園の一角にある「刈谷城址の碑」
三河一向一揆では、水野重忠と水野信元が登場しますが、水野信元は、刈谷から出兵しているようです。したがって水野信元のころには刈谷城が水野氏の居城ではないかと思われます。
亀城公園の一角にある本丸跡の石碑
公園は、よく整備されていて、きれいな堀がありました。
お堀
刈谷市には亀城公園の整備計画がありました。
公園に立てられていた整備計画の概要
江戸時代の古図では、下のようになっています。
刈谷市郷土資料館のパンフレットより
この図でいうと、本丸のあたりを復原して再整備するようです。
楽しみです。
整備予想図を見ると、本丸あたりの兵や櫓を復元設置するようですね。相当な費用がかかるのに、よほど後押しの力が入っているのですね。
わが福井では藩主の城跡すら復元できず、門や橋の復元程度に止まっています。
完成した暁にはぜひとも観に行きたいですね。
コメントありがとうございます。
刈谷城の復原は、10年のスパンで行うようです。
復原するものは 北西隅櫓、南東隅櫓、多門櫓、表門、裏門、土塀で、江戸時代前期の仕様だそうです。
それにあわせて、石垣、土塁も復原するようです。
刈谷市は、トヨタ、デンソー、名鉄が立地する愛知県でも有数の大企業立地市です。ソニーもありました。小さいしですが、かなり裕福だと思います。