愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

川尻城跡(1) 新城市

2017年11月07日 21時07分23秒 | 新城市
11月3日、久しぶりにお城を訪ねました。季節は、もう秋です。紅葉のシーズンです。秋は、紅葉を見ながら山城を見学するというのが最高です。今日は新城の作手(つくで)に行きました。

城跡が多い作手地方(地理院地図より作成)

新城市の作手地方は、古宮城をはじめ亀山城、文珠山城、賽ノ神城が近くにあり、さながら山城銀座というところです。
古宮城跡
亀山城跡
文珠山城跡
塞ノ神城跡

その作手地方に、もう一つお城がありました。川尻城です。

川尻城は亀山城の奥平氏が、亀山城に移る前に居住していたお城だそうです。奥平貞俊です。
「参河国二葉松」では、以下のように記載されています。

川尻村古城
奥平八郎左衛門上野国奥平より爰(ここ)に来る。此処より
亀山城に移る。次は奥平但馬守が住す。今は畑となる。


奥平但馬守とは奥平久正のことで、奥平貞俊の孫、奥平貞久の二男に当たります。奥平久正は後に額田郡の夏山で城を構えるようです。参考 亀山城(1) 新城市

川尻城跡は、「創造の森城山公園」として整備されていました。

創造の森城山公園の案内板

また駐車場からは古宮城が見えました。近いことが分かりました。

川尻城から見る古宮城


川尻城の概要図( 「愛知県中世城館跡調査報告書Ⅲ(東三河地区)原図:佐分 清親 氏」より作成)

さて、駐車場から階段を登って城のほうに歩き始めますと、いたるところに石仏がありました。観音様のように見えました。どうしてかなと思いました。

登城道の傍らにたくさんあった観音様

2~3分ほど登ると冠木門が見えました。これを見ると東条城や桜井城を思い出してしまいますが、戦国期の城という雰囲気が出ます。

冠木門

冠木門の奥は、曲輪になっていて、周りに柵がめぐらされていました。なかなかいい感じでしたが、曲輪が草ぼうぼうでせっかくの演出が台無しになっていました。残念。

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