11月23日(土)、24日(日)に福井に用事があったので、ついでに朝倉氏遺跡を見学しました。
朝倉氏遺跡資料館
はじめに朝倉氏遺跡資料館を訪ねました。入館料がここだけだと100円と大変格安でした。奥の方にある復原町並の入場料と合わせても230円と大変安かったです。

到着したのは、1時30分頃でしたが、ちょうどその日は、歴史講座がある日だったようです。11月24日(日)は、「朝倉氏の領国支配」というタイトルの講座でした。時間があれば、ぜひ聞きたいと思いましたが、残念ながら中をぐるっと見て、先を急ぐことにしました。
館内は撮影禁止なので、何が展示してあったか紹介できませんが、古いお寺に残っていた古文書や出土したお椀や焼き物などがありました。
バンドコ
「バンドコ」という暖房器具もありました。「へえ、行火のことをバンドコというのね。」と、後ろでおばさんたちが話していたのが聞こえました。バンドコは、福井独自のことばです。

インターネットから
さて、朝倉氏遺跡資料館を後にして、さっそく奥のほうへと進みました。まずは武家屋敷の町並みの復原地です。

武家屋敷復原地図(現地パンフレットより)
武家屋敷

武家屋敷の入り口(門)
武家屋敷の門には、かんぬきがあり、いざというときに締め切ることができるようになっていました。また、屋敷の周りには塀が廻らせてありました。

屋敷の周りのへい
道は、南北に走っています。手前が北で、奥が南です。したがって向かって左側が東で、右側が西です。へいの石垣が東側と西側で高さが違います。西側のほうに大きな屋敷があるからでしょうか。
石垣と土塀はどのようになっているか、横から見ました。

石垣の上に家を作るように柱が立っていました。けっこうしっかりしたものでした。

武家屋敷間取り(現地案内板)
南側の主殿は、人形が配置され、より想像しやすいように展示されていました。
台所

台所の様子
台所には、女性と男性が一人ずついます。ご飯の用意をしているのでしょうか。男性の前には魚がおかれています。魚の下の台は、まな板でしょうか。また、男性は魚(鯛?)を料理しようとしているのでしょうか。この男性は主人なのか、使用人なのか分かりませんが、たぶん使用人だと思います。
女性は、腰をかがめておくに並べられた容器(壷?甕?)から、何か取り出そうとしているようです。手前にいろりがあり、そのそばに膳が2つ並べられています。おわんは4つ、何を食べていたのでしょうか。女性の立っているところより奥の方に一つ部屋があります。納戸でした。
主殿

南向きの部屋です。二人で将棋をさしているようです。客人と主人でしょうか。くつろいでいる感じです。烏帽子をかぶっているのが気になりましたが、当時は、家の中でも烏帽子をかぶっていたようです。
離座敷

離座敷
ここは、お茶でもたしなむとこかなと思って中を見てみましたが、

そういう雰囲気ではありませんでした。何をするところだったのでしょう。
庶民の姿

復原武家屋敷に当時の衣装を身に付けた人がいました。失礼ですが、おじさん、おばさんふうで、清洲城や岡崎城などにいた武将隊とは全く趣が違っていました。たいへん落ち着いていて、本当に歴史をタイムスリップした感じでした。パフォーマンスはない方がいいです。
職人の家

染物屋
しばらくいくと、町並みの南の外れに職人の家がありました。染物屋と鍛冶屋です。城下町に職人も一緒に住んでいたことが分かりました。

鍛冶屋
鍛冶屋の中に入ると、鍛冶屋で作っていたらしい大工道具が展示してありました。

また、それを使って大工仕事をしている職人の絵図がありました。

昔の職人の様子がよく分かりました。
復原武家屋敷を後にして、橋を渡るといよいよ朝倉氏の館跡です。南のほうから見ていくことにしました。
すぐのところに米津というよころがありました。ただの広場のように見えましたが、朝倉氏城下にとって重要な地で、刀装具などを作るところだったそうです。
諏訪館跡庭園
米津から北のほうへ行くと、素晴らしい庭園がありました。諏訪館跡庭園です。

諏訪館跡庭園は、朝倉5代目当主義景が奥方「小少将」のために建てたと伝えられる館の庭園です。ちょうど、木が紅葉し、大変きれいでした。
英林塚
諏訪館後を山の方に登ると朝倉孝景(初代、英林孝景)の墓所がありました。孝景は二人いて、初代と4代目が同じ名前です。区別するために、初代を英林孝景と呼ぶことがあるそうです。この墓所も「英林塚」とありました。


朝倉氏館跡
英林塚から降りると、朝倉氏館跡を一望できる場所がありました。




唐門
最後に有名な朝倉氏遺跡のシンボルともいうべき唐門を見ました。
朝倉氏遺跡資料館
はじめに朝倉氏遺跡資料館を訪ねました。入館料がここだけだと100円と大変格安でした。奥の方にある復原町並の入場料と合わせても230円と大変安かったです。

到着したのは、1時30分頃でしたが、ちょうどその日は、歴史講座がある日だったようです。11月24日(日)は、「朝倉氏の領国支配」というタイトルの講座でした。時間があれば、ぜひ聞きたいと思いましたが、残念ながら中をぐるっと見て、先を急ぐことにしました。
館内は撮影禁止なので、何が展示してあったか紹介できませんが、古いお寺に残っていた古文書や出土したお椀や焼き物などがありました。
バンドコ
「バンドコ」という暖房器具もありました。「へえ、行火のことをバンドコというのね。」と、後ろでおばさんたちが話していたのが聞こえました。バンドコは、福井独自のことばです。

インターネットから
さて、朝倉氏遺跡資料館を後にして、さっそく奥のほうへと進みました。まずは武家屋敷の町並みの復原地です。

武家屋敷復原地図(現地パンフレットより)
武家屋敷

武家屋敷の入り口(門)
武家屋敷の門には、かんぬきがあり、いざというときに締め切ることができるようになっていました。また、屋敷の周りには塀が廻らせてありました。

屋敷の周りのへい
道は、南北に走っています。手前が北で、奥が南です。したがって向かって左側が東で、右側が西です。へいの石垣が東側と西側で高さが違います。西側のほうに大きな屋敷があるからでしょうか。
石垣と土塀はどのようになっているか、横から見ました。

石垣の上に家を作るように柱が立っていました。けっこうしっかりしたものでした。

武家屋敷間取り(現地案内板)
南側の主殿は、人形が配置され、より想像しやすいように展示されていました。
台所

台所の様子
台所には、女性と男性が一人ずついます。ご飯の用意をしているのでしょうか。男性の前には魚がおかれています。魚の下の台は、まな板でしょうか。また、男性は魚(鯛?)を料理しようとしているのでしょうか。この男性は主人なのか、使用人なのか分かりませんが、たぶん使用人だと思います。
女性は、腰をかがめておくに並べられた容器(壷?甕?)から、何か取り出そうとしているようです。手前にいろりがあり、そのそばに膳が2つ並べられています。おわんは4つ、何を食べていたのでしょうか。女性の立っているところより奥の方に一つ部屋があります。納戸でした。
主殿

南向きの部屋です。二人で将棋をさしているようです。客人と主人でしょうか。くつろいでいる感じです。烏帽子をかぶっているのが気になりましたが、当時は、家の中でも烏帽子をかぶっていたようです。
離座敷

離座敷
ここは、お茶でもたしなむとこかなと思って中を見てみましたが、

そういう雰囲気ではありませんでした。何をするところだったのでしょう。
庶民の姿

復原武家屋敷に当時の衣装を身に付けた人がいました。失礼ですが、おじさん、おばさんふうで、清洲城や岡崎城などにいた武将隊とは全く趣が違っていました。たいへん落ち着いていて、本当に歴史をタイムスリップした感じでした。パフォーマンスはない方がいいです。
職人の家

染物屋
しばらくいくと、町並みの南の外れに職人の家がありました。染物屋と鍛冶屋です。城下町に職人も一緒に住んでいたことが分かりました。

鍛冶屋
鍛冶屋の中に入ると、鍛冶屋で作っていたらしい大工道具が展示してありました。

また、それを使って大工仕事をしている職人の絵図がありました。

昔の職人の様子がよく分かりました。
復原武家屋敷を後にして、橋を渡るといよいよ朝倉氏の館跡です。南のほうから見ていくことにしました。
すぐのところに米津というよころがありました。ただの広場のように見えましたが、朝倉氏城下にとって重要な地で、刀装具などを作るところだったそうです。
諏訪館跡庭園
米津から北のほうへ行くと、素晴らしい庭園がありました。諏訪館跡庭園です。

諏訪館跡庭園は、朝倉5代目当主義景が奥方「小少将」のために建てたと伝えられる館の庭園です。ちょうど、木が紅葉し、大変きれいでした。
英林塚
諏訪館後を山の方に登ると朝倉孝景(初代、英林孝景)の墓所がありました。孝景は二人いて、初代と4代目が同じ名前です。区別するために、初代を英林孝景と呼ぶことがあるそうです。この墓所も「英林塚」とありました。


朝倉氏館跡
英林塚から降りると、朝倉氏館跡を一望できる場所がありました。




唐門
最後に有名な朝倉氏遺跡のシンボルともいうべき唐門を見ました。

資料館も、現地もきちんと見ていただいて、ありがとうございます。
朝倉氏遺跡は、現地の唐門などの周りの整備がされてからおよそ40年、町屋・武家屋敷が整備されてからでも約20年経っています。
屋敷の廻りの築地塀の壁や門の屋根も、長年の風雨で少し古びてきて、しっくり周りの景色になじんできています。
城下町をそっくり残して整備した遺跡は、朝倉遺跡だけです。オンリーワン。
これからも大切にしたいと思っています。
コメントありがとうございます。
さすがは朝倉氏遺跡
素晴らしかったです。
地域全体が遺跡となっていて、まるでイタリアのポンペイ遺跡のようでした。
また行きたいです。