「静岡の山城めぐりベスト50」を参考に概要図を書いてみました。
佐久城概要図
馬出の東側直下に入口があり、馬出の南の横堀に沿って入ります。
馬出と南曲輪の間の横堀
南曲輪北側の横堀、馬出、土塁
南曲輪の北側、つまり本曲輪の南は横堀、馬出、土塁が交互に配され、かなり強い防御システムがあったことが窺われました。本曲輪の北側は、湖なので天然の堀がある状態です。しかし、本曲輪の南側は陸続きであり、南曲輪を落されると一気に本曲輪に攻め込まれます。従って、ここは幾重にも防御を重ね、敵からの侵入を防ぐ必要があたと思われます。南曲輪から攻めてくる敵は、馬出、土塁から猛烈な矢や鉄砲の攻撃を受けた事でしょう。永禄12年(1569)の徳川家康との戦いでは、まさにここが主戦場として戦われたのではないでしょうか。
本曲輪南の堀から本曲輪を臨む
本曲輪南の横堀から本曲輪を見上げるとかなり高いところに本曲輪が見えました。切岸になっていて、ここからよじ登るのはかなり難しいと思いました。
そして馬出に入ってみると南側に大変高い土塁がそびえていました。
馬出南側の土塁
しかもこの土塁の外側は急峻な切岸になっています。なかなか堅固な守りだと思いました。
馬出と本曲輪の間の土橋
土橋の両サイドは深く削られており、いったん落ちると這い上がるのに時間がかかりそうです。
佐久城 つづく
佐久城概要図
馬出の東側直下に入口があり、馬出の南の横堀に沿って入ります。
馬出と南曲輪の間の横堀
南曲輪北側の横堀、馬出、土塁
南曲輪の北側、つまり本曲輪の南は横堀、馬出、土塁が交互に配され、かなり強い防御システムがあったことが窺われました。本曲輪の北側は、湖なので天然の堀がある状態です。しかし、本曲輪の南側は陸続きであり、南曲輪を落されると一気に本曲輪に攻め込まれます。従って、ここは幾重にも防御を重ね、敵からの侵入を防ぐ必要があたと思われます。南曲輪から攻めてくる敵は、馬出、土塁から猛烈な矢や鉄砲の攻撃を受けた事でしょう。永禄12年(1569)の徳川家康との戦いでは、まさにここが主戦場として戦われたのではないでしょうか。
本曲輪南の堀から本曲輪を臨む
本曲輪南の横堀から本曲輪を見上げるとかなり高いところに本曲輪が見えました。切岸になっていて、ここからよじ登るのはかなり難しいと思いました。
そして馬出に入ってみると南側に大変高い土塁がそびえていました。
馬出南側の土塁
しかもこの土塁の外側は急峻な切岸になっています。なかなか堅固な守りだと思いました。
馬出と本曲輪の間の土橋
土橋の両サイドは深く削られており、いったん落ちると這い上がるのに時間がかかりそうです。
佐久城 つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます