学習会の後、城の会の方が「せっかく来たから天筒山城跡を見に行きましょう。」と誘ってくれました。そこで、見学することにしました。
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写真の赤い星のある地点付近から登城しました。
城の会の人曰く、
「天筒山城跡は、大変規模の大きい山城であり、県下でも有数です。しかし、整備、発掘等があまり進んでおらず、遺構が色々残っているのです。」
そこで、いろいろ遺構と思われるものを紹介していただきました。ただし、写真に撮ったものが、どんな遺構なのか、私自身分からなくなっていますので、もし違っているようでしたら、指摘してください。
帯曲輪
まずは帯曲輪(段曲輪)です。上から見た画像です。
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竪堀
次は、竪堀です。
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道路の上部分
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道路の下部分
もう一つ竪堀
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道路の上の部分
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道路の下部分
このように遺構と思われるものが随所に見られました。しかも、私たちが登ったのは、天筒山城跡の本の一部です。まだ、東部及び南部の尾根は見ていません。特に南部の尾根は、ほとんど手付かずではないかと城の会の方は、おっしゃっていました。
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写真の赤い星のある地点付近から登城しました。
城の会の人曰く、
「天筒山城跡は、大変規模の大きい山城であり、県下でも有数です。しかし、整備、発掘等があまり進んでおらず、遺構が色々残っているのです。」
そこで、いろいろ遺構と思われるものを紹介していただきました。ただし、写真に撮ったものが、どんな遺構なのか、私自身分からなくなっていますので、もし違っているようでしたら、指摘してください。
帯曲輪
まずは帯曲輪(段曲輪)です。上から見た画像です。
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竪堀
次は、竪堀です。
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道路の上部分
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道路の下部分
もう一つ竪堀
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道路の上の部分
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道路の下部分
このように遺構と思われるものが随所に見られました。しかも、私たちが登ったのは、天筒山城跡の本の一部です。まだ、東部及び南部の尾根は見ていません。特に南部の尾根は、ほとんど手付かずではないかと城の会の方は、おっしゃっていました。
本当に写真だけではどこが遺構なのか、分かりませんね。
山城というものは、よほど条件が良くないと、遺構の様子が見た目で分かりづらいのが難点です。
東の尾根にも足をのばせるといいですね。
コメントありがとうございます。
天筒山は、実際に登ってみると、「彼の城、高山にて、東南峨々と聳えなり。」という「信長公記」の文面が実感できました。また、敦賀を一望の下に見下ろすことができ、海上の見張りとしても、また武生への陸路の要衝という点でも、重要な城であったことが分かりました。南北朝時代の北朝も、織田信長も、ここを落とせば・・・という思いで攻めていたのだろうということが、実感できました。そういうことからも、大事な城なのでぜひとも全容の解明に向けて調査をしてほしいものだと思いました。