ガソリンが高いです。160円なんて許せないです。コロナの次はガソリンの高値です。城めぐりをどれだけ妨害したら気が済むのかと言いたい気持ちです。しかし、なんとか家族を説得し、自身節約も宣言し、ようやく三重県いなべ市に行きました。田辺城です。
田辺城は案内板によると、以下のようです。
田辺城案内板
この城跡は、木造城、戸木城(今の久居市)の城主であった木造左衛門佐長政が天正14年(西暦1586年)7月21日北畠(織田)信雄から1万2百70貫300余(約1万石)の領地を与えられて、この地に移り約4年間居城した。
本丸は、二重の壕と土塁で囲まれ、いくつかの館跡が残され、中世城館の遺構としては、北勢地方で有数の大規模なものである。
外曲輪は、猪土居と天然の谷に囲まれ、当時の城としては、地形的に恵まれた場所であったようである。
城主の木造氏は、その後天正18年織田中納言秀信の家臣となり、岐阜に移って1万5千石を領したと伝えられている。
昭和55年 5月 北勢町
織田中納言秀信というのは、調べたら「清須会議」で羽柴秀吉が、織田の後継者はこの方であると持ち上げた三法師(織田信忠の嫡男)でした。それにしても昭和55年(1980年)は古いです。北勢町も2003年からは、他の市といっしょに「いなべ市」になっています。是非とも新しい看板が立ってほしいと思いました。
城跡の入口は門になっていました。面白いですが、田辺城と何か関係があるのか知らせてくれるとありがたかったです。ついでに狸も。中に入るといきなり堀が左右に見え、しかも食い違い状になっていました。奥へ進むと草ぼうぼうで、左へ進みやすかったので、左に進みました。本丸を囲む二重土塁の外側の土塁が見えました。なんと石垣がありました。
本丸北西、外側土塁(石垣が?)
この石垣はこの部分にしかありませんでした。他の土塁は土でできていました。
本丸の西側を歩くと、北西の土橋がありました。やや細かったです。
本丸北西土橋
土橋は細いですが、両脇の掘は深かったです。本丸の中に入り、北端を見ると見事な櫓台がありました。
本丸北端の櫓台
櫓台から土塁沿いに右回りでまわっていくと、東南の虎口が見えました。
東南虎口から北に続く堀と土塁
ここで竪堀があることを思い出して戻りました。
本丸北端から東に延びる竪堀
「三重の山城ベスト50」の図を見ると、この竪堀は道を隔てて、さらに下まで延びていました。そこで、道を横切り探索することにしました。すると、ありました、竪堀の続きが。
道の下に続く竪堀(画像の左下から中央上へ)
もう一本延びていて、それも確認することができました。
田辺城 つづく
田辺城は案内板によると、以下のようです。
田辺城案内板
この城跡は、木造城、戸木城(今の久居市)の城主であった木造左衛門佐長政が天正14年(西暦1586年)7月21日北畠(織田)信雄から1万2百70貫300余(約1万石)の領地を与えられて、この地に移り約4年間居城した。
本丸は、二重の壕と土塁で囲まれ、いくつかの館跡が残され、中世城館の遺構としては、北勢地方で有数の大規模なものである。
外曲輪は、猪土居と天然の谷に囲まれ、当時の城としては、地形的に恵まれた場所であったようである。
城主の木造氏は、その後天正18年織田中納言秀信の家臣となり、岐阜に移って1万5千石を領したと伝えられている。
昭和55年 5月 北勢町
織田中納言秀信というのは、調べたら「清須会議」で羽柴秀吉が、織田の後継者はこの方であると持ち上げた三法師(織田信忠の嫡男)でした。それにしても昭和55年(1980年)は古いです。北勢町も2003年からは、他の市といっしょに「いなべ市」になっています。是非とも新しい看板が立ってほしいと思いました。
城跡の入口は門になっていました。面白いですが、田辺城と何か関係があるのか知らせてくれるとありがたかったです。ついでに狸も。中に入るといきなり堀が左右に見え、しかも食い違い状になっていました。奥へ進むと草ぼうぼうで、左へ進みやすかったので、左に進みました。本丸を囲む二重土塁の外側の土塁が見えました。なんと石垣がありました。
本丸北西、外側土塁(石垣が?)
この石垣はこの部分にしかありませんでした。他の土塁は土でできていました。
本丸の西側を歩くと、北西の土橋がありました。やや細かったです。
本丸北西土橋
土橋は細いですが、両脇の掘は深かったです。本丸の中に入り、北端を見ると見事な櫓台がありました。
本丸北端の櫓台
櫓台から土塁沿いに右回りでまわっていくと、東南の虎口が見えました。
東南虎口から北に続く堀と土塁
ここで竪堀があることを思い出して戻りました。
本丸北端から東に延びる竪堀
「三重の山城ベスト50」の図を見ると、この竪堀は道を隔てて、さらに下まで延びていました。そこで、道を横切り探索することにしました。すると、ありました、竪堀の続きが。
道の下に続く竪堀(画像の左下から中央上へ)
もう一本延びていて、それも確認することができました。
田辺城 つづく
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