おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

どちらも一気が基本です

2010年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
至福の瞬間は、風呂上りの牛乳か?それとも
仕事終わりのビールか?
 
一日一本の牛乳を宅配してもらっている
これを何時飲むか?が毎日の日課になっている
そう、毎日飲むことはもちろんだが
それを何時飲むか、迷うこともまた
日課となっている
 
夜に飲むとすれば、間違いなく風呂上りだ
風呂上りに牛乳と言うのは、日本人が
古来より完成させた生活美だ
腰に手を当てる基本姿勢こそしないものの
至福のひと時を感じるのど越しだ
 
朝飲むのも、それはそれで
一日の始まりを感じる
トーストとハムエッグには、ホットミルクは欠かせない
若かりし頃は、1リットルの紙パック入りの
牛乳片手に飲みながら歩いたりもした
ニューヨーカーだったが
今では、少し温めてからでないと
ポンポンが冷える
 
これも若かりし頃の話だが
ホットミルクは、あの独特のニオイが嫌いだった
動物臭というか、ある種の生臭さがあったんだが
今ではそれも気にならない
ポンポンが痛くなるほうが
一日の始まりとしては、リスキーなのだ
 
さて、朝か?それとも夜か?
 
この葛藤の難しさは、朝決めなくてはならない事だ
朝飲むか?夜飲むか?の選択だが
朝飲んでしまえば、夜にはない
当たり前だ
朝飲まなければ、夜と言うことになるが
そうなると、また新たな問題が・・・
 
「夜に飲まなければならない」
 
そう、僕のもっとも嫌いな“義務感”が
生まれてしまう 
簡単な問題のようで、これに頭を悩ますことなく
一日をスタートさせたいものだと、常々考える
 
なお、冒頭の比較
 
“風呂上りのビール”はあえて外した
 
それは至福ではなく“至高”のひと時だから
 
 



いざ さらば

2010年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
卒業式のシーズンだ
 
高校はすでに終わっているかな?
中学校も、公立高校の受験が先日あったばかり
だから、卒業式は終わっているだろう
あとは、小学校だね
 
高卒の僕としては、卒業式と名のつくものは
3回経験した
まぁ、人並みの回数だし、誰にいっても
恥ずかしくない回数だろう
どの卒業式も、少しずつ記憶に残ってはいるが
どの式でも涙しそうになったのは
歌の場面
 
小学校のときは、送辞、答辞が掛け合いの
歌だったんで、その歌詞にも涙が
出そうになったが、最高潮に盛り上がったのは
 
“仰げば尊し”
 
だった
 
小学生には、なんとも難解な歌詞だったと思うが
そのメッセージは、中学のときも
高校のときも、同じように胸に響いた
 
今どきの卒業式には
仰げば尊しを唄わない事が多いらしい
そういえば、ラジオのパーソナリティや
アナウンサーが自分たちの卒業式の思い出を語る時
何を唄ったかを会話していた
 
式の雰囲気もあるから
尾崎の「卒業」は歌えないとしても
斉藤由貴の卒業や、松田聖子の制服
あとは、海援隊の贈る言葉や、柏原よし恵の春なのに
最近じゃ、ゆずの栄光の架橋や
コブクロの桜なんかも唄われているようだ
 
しかし、老婆心ながら言わしてもらうと
普段聞いているような歌じゃなくて
この時にしか口ずさめない
 
“特別な歌”
 
が、心に残り胸が痺れるんだと
思うんだけど・・・
 
 
「いざ さらば」
 
 
涙を浮かべずにはいられない歌詞です
 
 



国民食

2010年03月15日 | 食・レシピ
カレーの食べ方で論争があるらしい
 
ネットでニュースをチェックしていると
なにやら平和なトピックスが
 
「カレーはそのまま食うか、混ぜて食うか?」
 
まず、最初に脳裏に浮かんだのが「知らんがな!」の怒号
まったくもって、あまりにも平和的な話題に
ほのぼのを通り越して、癇癪のひとつでも!と
思ったが、確かにそういった疑問の種は尽きない
 
例えば、鯛焼きだ
 
これも、カレーと同じように
 
「頭からか、それとも尾っぽから?」
 
と、その話題に決着がついた話は
古今東西聞いたことがない
そして、この件に関しては、個人的にはひとつ
物申す点がある
 
僕の食い方が争点に上がっていないことだ
誠にもって遺憾である
鯛焼きの食い方
そんなモノ“腹”からに決まっているではないか!
 
鮎の塩焼き
 
どっからかぶりつく?
腹だろ?
それと同じだ
鯛焼きを、西洋かぶれした連中が
片手で、ファーストフードのように食するから
無用な疑問が浮かぶのだ
鯛焼きは、両手で食うもの
頭と尾を持てば、おのずとかぶりつく場所は
限定されるというものだ
あんこも、間違いなく詰まっているんだから
 
で、カレーの話
 
僕は、混ぜない
基本まぜない食べ方をする
極端にいえば、スープカレーのように
ライスとカレーは別にあってもいいぐらい
混ぜては食わない
 
しかしだ、混ぜて食うのもそれはそれで
旨いと思う
こう、カレーが米粒ひとつひとつにまったりと絡みつき
まろやかな食感だが、そこから生み出させれる
辛さは、カレーの醍醐味だろ?
 
混ぜない時には味わえない辛味がある
混ぜない時には、それぞれの味を
はっきりと感じ取ることができる
 
早い話、結論が出ないんじゃなくて
どっちで食ってもカレーは旨いって事
もはや、ラーメンと並んで
国民食と言っても過言ではない
かつてのモー娘。を国民的アイドルと言うよりも
賛同を得られるし、真っ当な評価だと思う
 
あかん、腹、減ってきた
 
 



きんどーさん

2010年03月12日 | ニュース
たまには時事ネタでも
 
最近、なにかと叩かれる日本
アメリカではハリウッド映画まで使って
日本のイルカ漁を批判し
暴力的な行動で捕鯨活動に抗議するモノを
英雄視し
今度は、絶滅危惧種の名のもと
クロマグロの取引を規制する
 
車もなにやらキナ臭い
 
フロアマットの不備でアクセルが戻らないって
言う事例が出たかと思うと
電子制御が怪しい!ってことになって
アクセル暴走するとか、ブレーキが利かないとか
ハンドルが制御不能になるとか・・・・ 
 
これはどうなんだ?
なにか目には見えない
一般人には推し量ることが出来ない
大きな力でも働いているのでは?と
小説好きな人でなくても
妄想のひとつでもひねり出したくなるほど
急激なバッシングにも取れなくない
 
ただ思う
 
何故か、日本のマスコミは
一切反撃はしない
 
“長いものにはマカロニ”
 
を貫くマスコミ
すべての意見を聞いたり見たわけでないが
それでも、過激なことを言うマスコミは
見当たらない
 
そういう小生も、突っ込まれることを避けて
穏やかな表現をしているのを自己分析してみると
マスコミと同じく
 
“長いものにはマカロニ”
 
なのだと落胆せざるを得ない
 
長いものにはマカロニ
 
マカロニと言えば、僕たち世代は
ほうれん荘と
“山”“川”“豊”並みの
合言葉のように、浮かんでくるのだが
正直、どんな漫画だったかは憶えてない
たしか、チャンピオンに連載されてたと思うが
あの当時は他には
 
“らんぽう”や“750ライダー”や“がきデカ”
なんかが連載されていた
 
おっと、何の話だったか?
あぁ、日本叩きのことか
 
まぁ、いいか
 
長いものにはマカロニ で
 
 



エネルガーZ

2010年03月11日 | 通販・買い物
小さい頃の反動だろうか、フィギアが好きだ
 
幼少の頃、厳しく育てられた僕たちは
欲しいおもちゃを買ってもらえることも少なく
お爺さんたちも、輪をかけて厳しく
育ててくれた
 
近所の鼻タレ小僧たちが
超合金と呼ばれたフィギア片手に遊んでいたが
僕たち兄弟は、近くの駄菓子屋に売っていた
プラッチックで出来たマジンガーZで
対抗したものだった
 
そんな反動からか、今でも
超合金の響きには弱いし、文字を見ただけでも
少年時代の反骨精神が鎌首をもたげ
血湧き肉踊る、トランス状態へと突入
 
常々、フィギアを集めたいと思ってはいるものの
財力が追いつかないのも要因だが
もうひとつは、フィギアが飾ってある部屋ってのが
どうもしっくり想像できないものなのである
自分の部屋だからどうと言うことはないし
誰が訪れることもないのだが

(万が一見られたら・・・)
 
と、余計な事を思うから、買い揃えることに
躊躇してしまう
そんな中、ネットを彷徨っていると
 
“エネルガーZ”なる超合金
 
“マジンガーZ”しかり、“ゲッターロボ”しかり
昔のヒーローロボットには、美しさがある
ガンダム系のデザインされた機体も
嫌いなわけではないが
なんとも言えないシンプルさが
昔のロボットにはある
 
パイルダーが飛ぶものではなく
バイクになっていて、背中のカタパルトを
登っていって
頭部にパイルダーオン!
 
 
「え ね る がぁー ぜぇぇぇっ!!」

 
水木アニキの声真似してみました
 
買おうかな