ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

[第58回京の冬の旅」非公開文化財特別公開。京都駅そばの名勝「渉成園」へ

2024-01-18 | 歴史・史跡

今年も3月18日まで開催の非公開文化財特別公開「京の冬の旅」。ミモロは、京都駅北側にある名勝「渉成園」に来ました。

京都駅から徒歩10分。「東本願寺」の東側にある飛地境内地(別邸)です。
1万600坪の広大な敷地には、見事な池泉回遊式庭園があり、京都を代表する名勝のひとつに数えられます。

作庭したのは、「詩仙堂」を開いた石川丈山。ここは、かつて東本願寺歴代の住職の隠居所として使われていたところです。
徳川家光から寄進された敷地で、江戸時代から多くの茶人や学者など文化人が集った京都の文化を育んだ場所でもあるのです。

広い園内には、さまざまな趣ある茶室や宮大工の匠の技が施された建物が点在し、そこを巡りながら、名園を楽しむようになっています。

ミモロも気の向くままに歩みを進めます。

木の橋の「回棹廊(かいとうろう)」は、明治17年に再建されたもの。屋根があり、その天井部分から金の灯籠を下げて、夜に訪れた人たちをもてなしたそう。

園の中心的な存在の「傍花閣(ぼうかかく)」は、楼門づくりで、上には、四畳半の和室があるそう。

「ここから、お茶を頂きながら、お庭眺めるの最高だろうなぁ~」と思うミモロです。

さて、さまざまな趣ある建物が配されている「渉成園」は、江戸時代から何度も火災に見舞われ、多くの建物が焼失しました。現在の建物の多くは、元治元年(1864)の蛤御門の変で炎上後、明治以降に再建されたもの。
「え~京都御所の火事が、京都駅近くまで延焼したの?」とその範囲の広さに驚くミモロ。
たぶん風で、火の粉が飛んだりしたのでは??(知らんけど…)

そのため、創建時代のものといえば、石でできたもの。
「この石、すごく大きいね~」

本当に立派な石橋…

また、江戸初期の製作と言われる「蘆菴の春日燈籠(ろあんのかすがとうろう)」。

六角形の屋根に積もった雪の趣は格別だとか。

茶室が点在する園内には、その茶会で使う水を汲む井戸も多く、その一つが「亀の甲の井戸」。

上から見ると亀の形に石組がされています。

あちこち思うがままに散策したミモロ。
「あ、京都タワー…もうすぐ夕方だ~」

閉園時間が迫ってきました。慌てて出口の門へ向かいます。

「よかった~間に合った~」すでに半分閉ざされた門を通り、「東本願寺」へと進むことに。

「ここは、まだ人がいっぱいいるね~」


この日は、「お東さん手づくり門前市」が行われ、焼き菓子や雑貨などいろいろなブースが門前に並んでいます。

「ちょっと見て行こう~」とミモロは、ひとつひとつブースを巡ります。

「あ、これ~」と突然、ミモロが立ち止まったのは、陶器の欠片を金継ぎアクセサリーにする「香凛」のブース。


「ミモロちゃん~久しぶりです~」と笑顔で迎えてくださったのは、アクセサリー作家の木村さん。

以前、ミモロが主催した「ミモロのワークショップ」で講師をしてくださったことも。
「あのね~ショップを作ったんですよ。ぜひ来てくださいね~」と。
「はい、行きたいです~」とミモロ。その様子は、そのうちリポートできると思います。

いつものように手を振ってお別れしたミモロです。

トコトコと京都駅方向に歩いていると…「あ、銅像がこんなところにある…」と立ち止まったミモロ。

次の瞬間、「ギャ~動いた!」とビックリ!そう、銅像のパフォーマンスでした。
ミモロにじっと見つめられて銅像も目をキョロキョロさせていました。銅像もミモロに驚いたのかも…。

さぁ、お家に戻りましょう。

「やっぱり京都駅周辺って、活気があるね~人も多いし~」
そう、観光客も大変多いのですが、なにせ「東本願寺」や「渉成園」さらに「西本願寺」など広い敷地を誇る場所ばかりなので、「清水寺」などのような混雑はありません。

「次は、どこを見学しようかな?」と、ミモロの「京の冬の旅」は、まだまだ続きます。

*「渉成園」の詳しい情報はホームページで

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[第58回京の冬の旅」で初公開。京都駅そばの「渉成園(しょうせいえん)」の「園林堂」へ、。

2024-01-17 | 歴史・史跡

3月18日まで開催される非公開文化財特別公開「第58回京の冬の旅」。この日は、「渉成園」を訪れました。


河原町通方向からやって来たミモロ。「う~すごく長い塀…入口どこだろ?」

「あれ?ここの門からは入れないんだ~」南側の門に到着しましたが…

入口は、「東本願寺」方向の西側なので、そこからさらに塀沿いに進みました。

西門を入ると、目の前に大きな石垣…

いろいろな形の石が巧みに組み上げられたもの。石橋や礎石、石臼など石組に使えそうな素材を有効活用した石垣です。
「これを組み上げた石工さんの技術すごいね~」と言いながら、奥へと進みます。

「渉成園」は、真言本廟(東本願寺)の飛地境内地。烏丸通を挟み「東本願寺」の東側に位置します。
承応2年(1653)第13代宣如上人が、徳川家光から寄進され、隠居所とした場所で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから、「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれています。


約1万600坪という広大な敷地には、石川丈山の手による「池泉回遊式庭園」が広がり、書院、茶室、橋などが、四季の移り変わりの中で、さまざまな景色が楽しめる名園です。

「ここから入るんだ~」と、まずは大玄関へ

そこから大広間へと進みます。

そこには、この庭園を手がけた石川丈山直筆の扁額が掛かります。


そこでしばし待っていると、館内のガイドさんの説明が始まりました。


ここ「渉成園」は、年間を通じ拝観することができますが、今回、「京の冬の旅」では、初めて「園林堂(おんりんどう)」という持仏堂が特別公開されるのです。


「そこは、広くないので、皆さん、荷物を置いて入ってください~撮影もできません!」と。
「あ、そうなんだ~」


入場人数を制限して、10数人ずつ中へと進みます。


室内は、中央の仏間。それを囲むように棟方志功が描き上げた襖絵が飾られています。

昭和32年に再建された翌年に描かれたもので、全44面で、「天に伸ぶ杉木」「河畔の呼吸」と題された襖絵で、そこには、生命の息吹や力強さがみなぎって、見る人を魅了します。

再び広間に戻ったミモロ。
窓辺の机の前で、しばし休憩・・・

ミモロは東山方向を眺めます。

さて、ここ「渉成園」と「東本願寺」がある場所は、豊臣秀吉を祀る「豊国神社」と豊臣家が建立した「西本願寺」を結ぶ線上の中ほどに位置します。豊臣家を滅ぼした家康は、豊臣家の聖地である「豊国神社」と「西本願寺」へのラインを断ち切るために、この地を選んだと言われています。

そもそも本願寺の「西」と「東」の分立は、教団の事情によるものですが、徳川家が豊臣家を強く意識し、この地を選んだという説も否定できないものだそう。

さぁ、お庭を拝見しましょう。


広い庭園を巡るには、時間の余裕をもって…

*「渉成園」の詳しい情報はホームページで

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源氏物語と干支の龍をテーマに[京の冬の旅(非公開文化財特別公開)」3月18日までスタート。紫式部の邸宅跡の「蘆山寺」へ

2024-01-09 | 歴史・史跡
今年も1月6日~3月18日にかけ、「第58回京の冬の旅 非公開文化財特別公開」が始まりました。


今年のテーマは、NHKの大河ドラマ「光る君へ」にちなんで「紫式部と源氏物語」。さらに干支にちなみ「辰年のご利益 京の龍めぐり」です。

ミモロは、早々に自転車で「京都御所」の東側に位置する「蘆山寺」へ向かいました。


「よかった~セーフ!」とミモロが到着したのは、15時30分。ここの受付終了は16時です。

「京の冬の旅」は、今回、13カ所。拝観受付時間は、10時~16時で、場所によって、15時30分が終了のところも。また、法要などで公開されない日もあるので、確認を…。1か所の拝観料は、800円です。

ミモロが訪れた「蘆山寺」は、紫式部の邸宅跡です。


「京の冬の旅」で源氏物語をテーマにしているのは、実は、ここと「渉成園」の2か所で、他は、龍関係です。

受付の場所で迎えるのは、金色に輝く「紫式部」の像。


事務所では、ここに特別展示されている「源氏物語絵巻」に関係する品々が授与されています。

「御朱印帳もあるね~」


ミモロは、奥に進み、お庭を拝見します。


さて、この庭は、「源氏の庭」という名前。初夏は、桔梗で有名です。


そもそも「蘆山寺」は、天台圓浄宗の大本山で、天慶年間(938)に、比叡山第18世座主の元三大師良源が、京都の北にある船岡山の南に開いたお寺をルーツにしています。応仁の乱で、兵火に遭い、信長の比叡山焼き討ちの影響も受け、天正元年(1573)に、現在のこの地に移転しました。

このお寺で移った場所こそが、かつて紫式部が生まれ、育ち、結婚生活を過ごし、「源氏物語」を執筆した場所とされています。

「ここの場所に紫式部さんいらしたの?でも、その当時の建物はないから、お庭がわずかにその時代を物語っているってことね~」とミモロ。


そう、もしかしたら、紫式部もこの庭のどこかの景色を目にしているかもしれません…。

撮影はできませんが、本堂には、「源氏物語絵巻」(複製)や、源氏物語をテーマにしたいろいろな掛け軸や貝合わせや器などが展示されています。「でも、これ、いつでも見られるものだよね~」と、すでに何度も訪れているミモロでした。

今回の見どころは、与謝野晶子自筆の和歌集「源氏物語礼賛」でしょう。

「あ、もしかしてミモロちゃん??ブログで見たことあります。わ~実物に会えてうれしい!」と、ここのガイドを担当している京都学生ガイドの方。

お二人とも、とてもよく勉強され、明快は解説をしてくださいました。

今回「蘆山寺」でミモロが感激したのは、紫式部関係でなく、隣接する「元三大師堂」です。


こちらも特別公開で、鬼大師像など、さまざまな仏像がすぐそばで拝めます。その中には、明智光秀の念持仏「地蔵菩薩像」などもあり、仏像ファンには、見逃せないもの。

「なんかすごく迫力ある仏像だってん~」とミモロも見入った仏像です。

2月3日の節分には、鬼が登場。京都の節分会でも有名なお寺です。その時期は「京の冬の旅」もお休みになります。

「また、節分の時に来よう~」とミモロ。


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明智光秀が築城した「福知山城」。城に展示された城ゆかりの品々。隣接する「福知山市佐藤太清記念美術館」へ

2023-12-06 | 歴史・史跡

「ちょっとカッコ良すぎるかもね~」と、「福知山城」に展示された明智光秀のパネルと一緒のミモロ。


京都府の西に位置する福知山市。そのシンボルが、明智光秀が築いた「福知山城」です。


天正7年(1579)ごろ、丹波を平定した光秀は、西国攻略の拠点の一つとして「横山城」と呼ばれていた山城を拡張し、石垣を整備、天守閣などをもつ「福知山城」を築いたのです。

現在の城は、昭和61年に再建整備されたもの。3層構造の城は、この城の歴史を物語る資料が多数展示されています。

「へぇ、昔は、こんな感じだったんだ~」

当時の様子は、人形などで再現されています。

壁面には、この城の歴史パネルがずら~りと…


築城から、明治の廃城令発布までの時代がよくわかるパネルです。

「福知山城」の城主として、明治まで一番長い期間を守ったのは、常陸国土浦から入った朽木家で、以後200年13代に渡り、この地を治めます。
「へぇ~もともと関東の人だったんだ~。随分遠くまでお国替えになったんだね~」とミモロ。

「お国替えって、大名の転勤でしょ!家臣を連れて来るけど、よく知らない場所で城主として責任重大なお役目だから、大変だよね~」と、想像します。

でも、朽木家の歴代の城主は、文化に造詣が深く、戦いがなくなった時代の藩主として、この地にさまざまな文化をもたらしたのでした。

「もっと上に行こう~」とミモロは、最上階へ


「わ~城下町が一望できる~」


福知山は、西国への交通の要所。「京都の町に行くより、神戸の方が近い感覚なんです」と、地元の方が言っていた通り、オランダ商館との関係があったり、文化豊かな藩だったと予想されます。

戦いがない時代でも、城はそれなりの戦いへの備えは完備されています。


「ここから鉄砲撃つのかな?」


床には隙間があって、そこから熱湯や石を下から来る敵兵に目掛け攻撃するのです。


石段もいろいろな組み方が…

いろいろな石の再利用も行われています。


「福知山城に来てよかった~!」というミモロです。


*「福知山城」の詳しい情報はホームページで

さて、お城のすぐ近くにあるのが、「福知山市佐藤太清記念美術館」です。


佐藤太清は、福地山出身の文化勲章を受賞した画家。


館内は、彼の作品が豊富に展示されています。


ぜひ、ここも訪れたい場所です。
*「福知山市佐藤太清記念美術館」の詳しい情報はホームページで


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明智光秀が築いた城下町「福知山」へ。光秀亡き後も、様々な城主を迎えた「福知山城」へ

2023-12-05 | 歴史・史跡

秋のある日、ミモロがやって来たのは、京都府の福知山です。


京都市街地から車で、京都縦貫道と国道9号線を経て約2時間。JR山陰本線では、京都駅から約1時間15分で到着します。

冷たい雨が降る中を、ミモロは、町の中心部にある「福知山城」を目指し歩き始めました。


天正7年(1579)ごろに、明智光秀が築城を開始します。完成した城には、娘婿の明智秀満が城代としてこの地に当たることに。由良川の水運を利用して発展した城下町。

丘陵に建つ平城の周囲には堀が巡らされ、城下町として姿を今もとどめています。

「もう少し…」雨の中を進むミモロ。

目指すは、「福知山城天守閣」です。


10分ほど歩き、天守閣が目の前に迫ってきました。


明智光秀が築城後、しばらくして「本能寺の変」「山﨑合戦」により光秀および秀満は滅ぼされます。その後、秀吉の弟である羽柴秀長などが城主となり、明治まで、21代の藩主が、城を守ることに…。
「そこまで、大切にされてきたお城なんだね~」とミモロ。

そう、お城の悲劇は、明治6年の廃城令で、天守周辺の石垣や銅門を残し、城の大半が崩されたことでしょう。しかし、昭和になり、市のシンボルとしての城の再建の機運が高まり、かつての資料などを基に、3層4階の望楼型の大天守と2層の小天守が、昭和61年に再建整備され、現在に…。

天守のある場所からは、町が一望できます。


城の天守に聳える鯱

また、日本有数の深さを誇る深さ50mの「豊磐の井」は、今も清らかな水を湛えています。


さぁ、城内へ入りましょう。

入館料330円を納め、中へ。
「あ、スタンプがある~」と、あると必ず押したくなるミモロです。
ブチュー

三層の大天守の中は、光秀や城下町などに関する資料がたくさん展示されています。


ビデオでの解説もあり、かなり見ごたえがある展示なのです。


ひとつ一つ丁寧に見て行けば、1日はかかりそう…


ミモロ…さぁ、次の展示も見に行きましょう。
「うん~もっと上に行くの?」そう、まだまだ見ることをいっぱいですよ。


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