ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

京都の「松が﨑大黒天」の「申子大祭」。神仏習合を物語る「新宮神社」の子供神輿のお寺参拝。

2024-10-29 | 祭事・神事・風習
「お久しぶりで~す」とミモロは、10月27日の午後に「松が﨑大黒天」にお詣りに…

大好きな大黒様に会いに行きました。


「松が﨑大黒天(妙円寺)」は、五山の送り火の「法」の字のすぐそばにある日蓮宗の寺院で、「都の七福神めぐり」でも多くの人が参拝に訪れる場所。

この日は、60日に1回の大国様の御縁日の「甲子大祭」で、限定の御朱印や御幣などが授与されます。


開運招福の御利益で知られる大黒様。

さっそくミモロも本堂に上がり、参拝します。

ご本尊の前にある撫で牛にもしがみつくミモロです。「どうぞ季節の変わり目で、体調を崩しませんように~」と牛の全身を撫でまくります。


境内には、いろいろな場所にいらっしゃる大黒様。

その優しい笑顔が大好きなミモロです。

「甲子大祭」の時だけ近江からやっていらっしゃるという「菜たねの油」のお店。

滋賀県の菜の花畑に行ったこともあるミモロです。米、小麦をはじめ、さまざまな農産物の産地である滋賀県。
この日は、大黒さまに因んで、菜の花の油で揚げた「菜バギー」という沖縄で人気の焼き菓子があります。

「大黒天の日ですから、中に黒豆をいれたこの日だけの品なんですよ」とお店の方。
「あの~沖縄ご出身なんですか?」とミモロ。「いいえ~沖縄が大好きなんです~揚げ菓子ですが、この菜たね油は、とても軽くで食べやすいんですよ」と。香ばしいサクサクとした焼き菓子です。「申子大祭」の時だけ、出店なさるそう。

「また伺いま~す」とミモロは、大黒様に挨拶。その姿を見守る大黒様です。


山際のお寺には、急な石段が…景色に見とれてないで…「そうだよね~こけないようにしないとね~」と一段一段慎重に…


石段を下がった時、「あれ?」とミモロの耳がピクピク動きます。
ちょうど子供神輿がお寺に到着したところです。

神輿に続き、美しい神楽装束を着た子供たちが集団で到着。

「あれ?どこも神社なんだろ?」とミモロ。

「松が﨑大黒天」から5分ほど歩いた場所にある「新宮神社」の祭事です。

「う!ここも石段だ~」山腹に位置する社へは、急な石段が一直線に伸びています。


「あれ?だれもいない…」キョロキョロ。境内には、人影もありません。

ともかく本殿に参拝…「え~と、どういう神社なのかな?」と解説を探します。

松が﨑エリアの氏神さまで、創建はよくわかりませんでしたが、元々、「大比叡大明神」と称する神社だったそう。徳治元年(1306)に松が﨑の村が全体で天台宗から日蓮宗に改宗した折、「熊野新宮」から「熊野速玉神」などを勧請。かつて集落にあった日蓮宗の大寺院「妙泉寺」の鎮守社に。

その後、明治の神仏分離令から「妙泉寺」から分離独立。明治20年(1887)に「新宮神社」と称するようになりました。
神仏習合だった松が﨑…そのため、神輿も地域のお寺を巡ります。
「大黒様のところで御神楽披露するんですよ~」とお留守番をなさっていたお寺の方。「あ、そうだったんだ~」残念ながら見逃したミモロです。

「また、注意して下りなくちゃ~」


この日、「上賀茂神社」では、手づくり市が…。
「こんにちは~お久しぶり~」とミモロは、以前、小さな編み込みのバッグを作ってくださったところへ

「わ~ミモロちゃん、変わりませんね~」と。「うん、あれ~お嬢様、随分大きくなられたんですね~」と、最初に会った時は、小学生だったお嬢様もすでに大学生。お母さまと共に、編み込みや刺繍などで、さまざな作品を作っています。


「なんか久しぶりだね~」とミモロが挨拶したのは、神馬です。猛暑続きの夏の間、神社への出勤を控えていたのでした。


やっと涼しく、急に秋らしい気温になった京都…秋のお祭りシーズンも終わりました。

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剣鉾の差し上げも奉納された「岩座神社」の火祭。明け方、神輿渡御が始まります。

2024-10-28 | 祭事・神事・風習

10月26日の朝4時半。京都の北、岩倉の「岩座神社」の火祭りは、次の神輿渡御へと移ります。今年は、剣鉾の差し上げが…

各町内にある剣鉾…それを高く差し上げるには、熟練した技術が必要。今回、初めて朝祭り(3時から7時頃)で、そのお役目を担うのは、地元の方と共に「粟田神社」で剣鉾を差し上げる皆さんです。

剣鉾は、神輿渡御の前を進み、町を浄めます。それは、「祇園祭」の山鉾の前身とも言われるもの。ミモロは、そこについている鈴の音が大好きで、よく練習を見に行ったり…。

大きな松明を灯し、厄を祓う「岩座神社」の火祭。その炎が、そろそろ松明を焼き尽くす頃…神輿渡御の準備が始まりました。


地元の方々が30人ほど担ぎ手となり、そのお役目の無事を祈願するお祓いが…

そして、拝殿の3基の神輿の1基に担ぐための長柄が設置されます。

京都の神輿は、黄色の飾り金具が多い豪華な姿。いよいよ神社を出発する準備が整ったよう…


大きな神輿が動く前に、子供神輿が神社を出発しました。

「こんな夜中まで小学生が起きてるの大変だね~きっと眠いよ~」と、ミモロも少し眠くなってきたよう…。子供たちは、元気に神輿について歩き始めました。頑張って!

一方、剣鉾の差し手の皆さんも出発の準備を整えます。


「この地域では、差し手が剣鉾を運ばず、町内の方が担いで移動するんです。差し上げをする場所についたら、そこで私たちの出番です」と。すでに剣鉾に関わって、20年を超すベテランを中心に3人一組で差し上げます。顔なじみのミモロもいっしょに記念撮影。


ここでは、「粟田神社」の剣鉾のように練習をする機会がないので、ぶっつけ本番。それに対応して鈴を鳴らすのは、とても技術がいるのです。「今回、朝祭りの差し上げは、初めて…」とのこと。「昼祭りの剣鉾とは、また別のものなんですよ」と。
「へぇ~いろんな剣鉾が岩倉にもあるんだ~」とミモロ。各町内がもっていて、数年前から、地元の方が練習して差し上げが復活したそう。でも、まだその人数は限られています。

「あ、もう大松明、燃えちゃって、火が弱くなってきた~」

大きな松明もすっかり炎に包まれて、その姿がわからなくなっています。

やがて炎は消えて、そこには、まだ残り火がある地面に、さらに水が掛けられて、水蒸気が…


すると…周りにいた人たちが、筵(むしろ)と竹の束を持ってきました。「何するのかな?」とミモロは、興味津々。


3人の人が、筵の上に竹の束を押し付け、別の人が、筵に付いた縄を曳きます。

地面に押し付けられた筵で、残り火を消しているのです。

そのやり方は、東と西で幾分異なりますが、「すごい!昔からの知恵だね~」とミモロは感心しきり。

作業の後、地面は、平らになり、完全に消火され、元通りの境内に戻りました。

さぁ、剣鉾が神社を出発する時間です。

石段を下り、「実相院」の前の広いスペースで、最初の差し上げが行われました。

リ~ン、リ~ンと響く鈴の音…夜が明けようとする氏子町に、まるで日の出を告げるよう…
御旅所に向けて、次々に剣鉾が出発します。


その直後、石段を神輿が下ってきました。

「頑張って~台車まで~もう少し~」と応援するミモロ。石段下には、渡御のために神輿を乗せる台車が待っています。

「あ、台車にのせられたみたい~」と神輿を見守ります。でも、その台車は、神輿を全部支えるものではなく、あくまで補助的なもの。そのため、担ぎ手は、神輿から離れないようにしながら、進みます。

「ワッショイ ワッショイ」という掛け声が聞こえ…「あれ?ここホイット~ホイット~じゃないんだ~」とミモロ。
担ぐ足並みもリズムも異なります。

「岩座神社」の神輿の担ぎ手は地元の人が中心…参加する多くの若手の人は、あまり神輿を担ぐ経験がないようで、1年ぶりに心と足並みを先輩に従って揃えます。


広場で、少し練習した後、神輿は、朝が白々と明け始めた氏子町を御旅所に向かいます。

ミモロ、御旅所まで着いてゆく?う?返事がありません。
「眠くなっちゃった~ムニャムニャ…」もう立っていられないほど、眠気に襲われたミモロ。
「岩座神社」の祭り見物は、ここまで…。車に戻り、神輿に別れを告げて、家へと戻ることに…。
帰宅したときは、朝の6時になっていました。おやすみなさい…

*「岩座神社」京都市左京区岩倉上蔵町302  岩倉実相院そば

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京都岩倉の「岩座神社」の火祭。山郷に古くから伝わる神秘的な神事。大松明の火が厄を祓う

2024-10-27 | 祭事・神事・風習
「ワ~凄い!ダイナミック…」とミモロが歓声を上げたのは、大きな松明に灯された火…

ここは、京都の北、岩倉の氏神様である「岩座神社(いわくらじんじゃ)」です。

ミモロは、下鴨から車で到着したのは、10月26日(土曜日)の午前3時前。車の中では、眠っていたミモロですが、境内に入ったとたん目がパッチリ、眠気も一機に吹き飛びました。

境内には、松明が灯りのようにともっています。


「岩座神社」の創建は、元慶4年(880)頃と伝わります。すでにこの地に鎮座する磐座をご神体とする「山持神社」(現在の御旅所)が、そのルーツと言われます。

10月26日の土曜日に行われた「火祭」は、江戸時代、この地域の田畑を荒らす大蛇に苦しんでいた人々が、「岩座神社」の大神さまに祈願すると、東西に大松明を掲げようのお告げが…。そこで村人は、東西に分かれ、それぞれ大きな松明を作り、大蛇を避け、豊穣の秋を迎えるようになったそう。その伝承が今も、この地域には、残っているのです。
 
「すごく大きな松明だね~」

青竹を何本も組んで作った松明…これに火を灯す時間が刻々と迫ってきます。
「もうすぐだね~」と、ドキドキしながら見守るミモロです。


石段の上には、神輿が拝殿に鎮座して、渡御の時を待っています。


境内に大松明への火入れの時を告げるアナウンスが流れ、火が大きな松明へ移されました。パチパチ…木が燃える音と共に大きな炎が上がりました。

「ワ~」という歓声が、境内にいる人たちから上がりました。境内には、岩倉地区の氏子の皆さんを中心に、観光客やカメラを手にした人たちの姿…さすがに夜中の3時過ぎとあり、公共交通機関が運行していないので、自転車か車以外、訪れることはできず、見物人は、それほど多くはありません。

そもそも「岩座神社」の火祭は、「鞍馬の火祭」の10月22日の夜の後、23日の2時頃から行われていたのです。しかし、近年の祭りに関わる人員の不足で、週末でないと人が集まらない状況に…。そこで22日から一番近い土曜日に行われることになったのだそう。

火祭の神事は、松明が灯っている約2時間の間に、次々神事が行われます。

「本当にたくさんの人たちが関わってるんだ~」。紋付姿は、それぞれの町を代表する方々。親子何代に渡って、そのお役をなさっている方も…。

ミモロは、神事のお邪魔にならないように、石段の下…大松明のそばで、じっと炎を見つめていました。

「キャ~」とミモロが耳をふさぎます。

松明は、パチパチという音の他、時々バ~ンと大きな爆発音を…それは、青竹が破裂する音で、まるで鉄砲のよう…
「きっとこの音聞いた大蛇が怖くて退散したんじゃないの?」と想像するミモロです。

大きな松明は、2基…東はオス、西はメスの大蛇を示しているのだそう。それぞれの松明の作り方など、それぞれの組で微妙に異なり、燃え方にも違いがあるよう…

「ダイナミックだね~」高く上がる炎は、境内の木々の枝まで届くよう…。
「鞍馬の火祭」は、有名ですが、実は、京都には、他にも…「まだ、あんまり知られてないから、ゆっくり見られる…」

パチパチを火の粉が舞うため、境内には大勢の消防団員が待機。また水をかけ、建物に火の粉が付かないように常に見守る松明のお役目の方。

「風がなくてよかったよね~」と思うミモロです。

燃えるまでの時間を、祭りに関わる方々は、会所に集い、お清めの会で1年ぶりの親交を温めます。

「ミモロちゃん、来れたんだ~頑張ったね~」と、その会にいらしたのは、「粟田神社」の剣鉾奉賛会のみなさん。

この日、剣鉾を奉納するためにここに…。ミモロは、その代表の荒井さんに声を掛けて頂き見物に…。

すでに4時半を回りました。大松明もその姿を炎で見えなくなってきました。


5時半には、神輿が御旅所に向かい出発する朝祭り「神幸祭」が始まります。そして同日の午後14時からは、昼祭り「還幸祭」で神輿渡御を終え、神社へと戻ってきます。
多くの人は、家が近いので、一度戻って仮眠の後に再び祭りを行います。その時は、朝祭りと昼祭りの装束を着換えます。「神様、キレイなものが好きだもんね~」

さぁ、神輿渡御の準備が拝殿で始まりました。ミモロも石段を上がることに…

*「岩座神社」京都市左京区岩倉上蔵町302 「実相院」の北側に…

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2000人を超す人々が参加する「時代祭」。伝統工芸技術の動く歴史風俗絵巻。明治28年「平安遷都記念日」から

2024-10-23 | 祭事・神事・風習
「わ~い、みんな楽しそう~!」とミモロが抱っこされたのは、「時代祭」の毛槍列のみなさん。

沿道で見物していたミモロを見つけ、飛んできてくれました。

10月22日は、京都三大祭りのひとつ「時代祭」の日。明治28年に平安遷都1100年を記念し、平安京の創始者である桓武天皇をご祭神に創建された「平安神宮」の秋祭りで、この日は、「平安遷都の日」なのです。昭和15年に孝明天皇も合祀。東京遷都以前の京都の姿を時代行列で物語ります。

14時近くに、「平安神宮」に到着したミモロ…参道の有料観覧席には、多くの観光客が行列の到着を待っています。

周囲には、すでに交通規制が布かれ、毎年見物する三条通まで行けそうになく、ミモロは、神宮道で見物することに。


「アートギャラリー博宝堂」の前に椅子を出していただき、そこで…


風に乗って聞こえてくる軍楽隊の笛や太鼓…行列が近づいてきました。


京都府知事、京都市長、文化庁長官などが馬車に乗って行列を先導。


いよいよ行列の本体が到着です。


「時代祭」は、「葵祭」「祇園祭」という神事から行われる祭りとは幾分異なり、長い間日本の首都として培ってきた伝統工芸の技を動く歴史風俗絵巻として国内外に披露することを主眼に始まりました。明治維新から平安時代へと京都に関わる歴史的な事柄や人物を風俗絵巻のスタイルで物語っています。

「行列見える~」と、椅子ではなく、警備の綱に乗って見物。


「ピーヒャラピーヒャラ…」軍楽隊の合奏は、幕末、官軍が錦の御旗をはためかせ、江戸へと向かった時の曲です。


それに続くのは、「維新志士列」。西郷吉之助、桂小五郎、坂本龍馬、吉田松陰などが続きます。
 
扮するのは、「京都青年商工会議所」の方々。「年によって、イメージが違うことが多いんだよね」と厳しいミモロ。

ミモロが見物しているところに、長持ち列のお兄さんが近づいてきました。

「あ、このお兄さん、前もミモロと一緒にお写真撮影した人だ~」と。ミモロを覚えるいてくださったよう…


次に続くのは、毛槍をもった列

そこのお兄さんたちもミモロを見つけて、一緒に撮影。


「ミモロちゃんって、人気あるんだ~」とそばにいた方。「まぁね~」と嬉しそうなミモロ。

さて「時代祭」の見物ポイントは、行列の装束や祭具などが、厳密な時代考証の元に製作された本物であるところ。
和宮、静御前…
 

紫式部と清少納言も…


武者の甲冑姿や女性たちの装束が見るポントのひとつです。

もちろん神事でもある「時代祭」。列の後部には、ご祭神である桓武天皇と孝明天皇が乗られた鳳輦が続きます。朝、「平安神宮」を出発した鳳輦は、かつてのお住まいであった「京都御所」へ1年ぶりの里帰り。そこから市内を巡りながら、「平安神宮」へ戻られます。

「あ、鳳輦だ~」とミモロ。「はい~」とミモロの前に伸びた綱に触らせていただきました。

そばにいた知り合いは、「ミモロちゃん、何してるの?」と。「あのね~鳳輦の綱に触れると守らるんだよ~ありがたい…」と。

列の最後部には、総長の馬車…「あ、山田さんだ~」と手を振り合います。以前、京都府知事だった山田さんの姿…ミモロとは何度もお目にかかっていて、顔見知り…


「白川女」が、神前に供える花を携えて進みます。


約2時間に渡った「時代祭」見物。
今年は、平日で、天候も不安定だったためか、平安神宮周辺の混雑は、昨年ほどではありませんでした。

交通規制が解除され、ミモロは、神宮道から三条通にやっと移動ができました。さぁ、お家に帰りましょうね~

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京都東山「粟田神社」の大祭。秋晴れの14日の午前中から始まった剣鉾と神輿渡御。

2024-10-16 | 祭事・神事・風習
青空が広がる10月14日。「粟田神社」の大祭の神輿渡御が始まります。

毎年、この時だけ着られる祭装束はミモロのお気に入り。前に神輿会の方が作ってくださったのです。

朝、10時、張り切って「粟田神社」に出かけます。


「ミモロちゃん、やる気満々だね~」と神輿会の受付の方。「うん、がんばるんだ~」と答えます。


石段を上がり、境内に着くと、すでに神事が…

祭の無事を願うと共に、氏子町の繁栄と人々の平穏な暮らしを祈願。厳かな中、神事は納められました。

神輿の前を進み、町を浄める剣鉾…鈴の清らかな音が町に響き、祭の雰囲気はいっそう。

「剣鉾って、カッコいいんだ~」差し手の姿をいつも憧れの眼差しで見つめるミモロです。

神輿に先立ち境内を出発した剣鉾。次は、いよいよ神輿が出発…。


ミモロ、お手伝いしなきゃ!「うん!」とミモロは、神輿の後ろに繋がれた綱を握るため、神輿に近づきます。


この綱は、境内から町に降りるとき、みんなで神輿を引っ張って、石段で神輿が重さで急に進んで担ぎ手が転ばないようにするためのものです。

ミモロも神輿会の人の後ろで、綱を曳きます。後ろを見ると、たくさんの人の姿が…


神社の入口の鳥居にぶつからないように…担ぎ手の人たちが緊張する場面です。

無事に鳥居を過ぎた時、拍手が沸き起こりました。

「帰りは、この石段を上るの…その時も大変なんだよね~」その時は、綱は神輿の前に繋がれ、それをみんなで石段を上りながら引っ張ります。

氏子町を巡る神輿渡御が始まりました。


神輿が巡行する通りでは、交通規制が…。「車より、神輿が優先なんだよね~」

「ミモロちゃん、今日はお神輿担ぐんですね~」と、行列奉行の装束のカドヤさん。

連日、祭に関わり、そのたびに着ているものが、お役によって異なっていました。
「いろんなお役、なさってるんだ~」

ミモロは、子供神輿の担ぎ手の中へ。

地域の子供たちは、揃いの装束で…大人に混じって祭りに参加し、そこでいろいろなことを学ぶのです。

「ここ持っていいよ~」とそばの子供がミモロを助けてくれました。

「ありがとう~」と譲ってくれた場所に入るミモロは、みんなの仲間に入れてもらって、嬉しそう。

しばらく神輿を担いだ後…ミモロは神輿を見送ります。


「お家に帰る前に、一休みしよう…」とミモロは、お友達と近くのカフェでソフトクリームをペロリ。


神輿渡御は、11時頃から夕方16時頃まで、氏子町を歩きます。もちろん途中の休憩や昼食タイムはありますが、ほぼ1日中、歩き回ることになります。「大変だけど、年に1度の祭りだから…」そう、みんなで力を合わせてするから頑張れるのでしょう。

「お祭りって、パワー出るね~!」と、そう、神様からたくさんのパワーを頂いてるのかもしれません。


「ママ、ご用事あるんだって~う~もっとお祭りに参加してたかったなぁ~」と、心残りの様子のミモロでした。

*「粟田神社」の詳しい情報はホームページから


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