山科の琵琶湖疏水沿いに建つ、洋館「栗原邸」が、5月31日まで一般公開されました。ミモロは、お友達に誘われて出かけることに。
地下鉄東西線「御陵駅」から、山の方へと、住宅地の道を上がること、約10分。りっぱな石の門がお出迎え。
現在の所有者である「栗原」さんの表札がかかっています。
さて、この「栗原邸」は、1929年に染色家であり、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の校長、鶴巻鶴一氏の邸宅として建てられました。設計者は、同校の教授であった建築家・本野精吾氏。二人は、ドイツ留学経験もあり、当時のドイツなどの近代建築に影響を受け、日本では、珍しいモダニズム建築を生み出します。
この邸宅の特徴は、そのデザインだけでなく、現代では、珍しくないコンクリートの打ちっぱなしのという、当時としては最先端の工法「中村式鉄筋コンクリート建築」でできています。
外観は、コンクリートブロックを積み上げたような、質実剛健ともいえるもの。しかし、内部には、木を使った温もりを漂わすインテリアで設えられています。
「木の階段にもアートを感じる…」とミモロ。アールデコ風デザインが素敵です。
地上3階建ての建物には、広い屋上があり、そこからは、山科の町が眼下に広がっています。
2階の寝室やリビングなどからも、緑の木々が窓のそばに迫ります。
大きく開かれた窓…開放感のある設計です。
家具も本野氏がデザインし、作らせた特注品。
ベッドやテーブル、椅子やソファーなど、部屋の大きさ、構造にマッチするよう、巧みな設計が見られます。
「わ~いいなぁ、こんなベッドルームすごく気持ちよさそう…」
さて、この建物は、現在、国の登録有形文化財です。長らく使用されていないため、その老朽化が目立ちますが、2011年より、京都工芸繊維大学の教育プログラムにより、修復を続けているのです。
ここが、当時最先端の鉄筋コンクリートの工法で建てられたのは、実は、関東大震災でもコンクリート建築が強度を誇ったことによるものとも言われます。そのため、長い年月を経ながらも、その姿を変えず、今に…。
京都には、実は、洋館は、かなり建てられ、今も、その姿を見ることができますが、その多くは、戦後、GHQに接収され、進駐軍の将校の住まいへと改修されました。この「栗原邸」もそのひとつ。
真っ白なペンキを塗られたキッチンは、GHQの住まいのために明るい雰囲気に変えられたのだそう。
竣工当時は、木目が美しいキッチンだったのです。
戦争で、空襲を受けなかった京都には、GHQの将校の住まいに使える住宅が多くあり、当時100以上の接収住宅があったのだとか。占領軍の家族向けに多くの住宅が建てられた場所のひとつは、現在の京都府植物園でした。
「へぇ~京都って、戦後は、アメリカ人やイギリス人がたくさん住んでたんだ~」。
接収が解除されるのは、戦後10年以上たってから…。
接収解除された住宅は、その改装の具合などにより、取り壊されたものも多く、その姿を留めるものは、少ないそう。
ここは、その数少ない住宅でもあるのです。
「きっとこの暖炉にもいろんな人が温まったじゃないの~」
大正・昭和。そして平成へと時代を超えた建築…これからも改修、保存維持がされることを願うばかりです。
*「栗原邸」京都市山科区御陵大岩17-2 一般公開は、5月31日10:00~17:00 入場料1000円 申し込み不要
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