雨上がりの午後。ミモロは、町に買い物に。「その前に、ここに参拝したいの~」と、烏丸御池の駅から、トコトコ、六角通にある「六角堂」を訪れました。
「さぁお詣りしよう…」
「六角堂」は、その名が示すように、六角形をした建物で、屋根の先端に、金色の宝珠を頂いています。正式には、「紫雲山 頂法寺」で、ご本尊は、秘仏の如意輪観音さま、天台宗の単立寺院です。でも、その形から、京都の人は、昔から「六角堂」とか「六角さん」と呼んでいます。
京都の通りでも、高層ビルが並ぶ烏丸通。「六角堂」も周囲を高いビルが取り囲んでいます。
「ビルの谷間にあって、ここだけ別世界って感じ…」境内には、大きなしだれ桜や柳が、枝を垂らし、春になったらさぞや美しい景色だろうと想像できます。
まずは、手水でお清めを…。
「キャ冷たい…」。冬のお清めは、身も心もいっそう引き締まります。
本堂の前には、お線香を建てる大きな香炉が…。鬼がそれを支えています。
「ヨイショ…」ミモロもちょっとお手伝い…。
さて、「六角堂」の創建は、587年で聖徳太子によるものと伝えられます。京都には、聖徳太子ゆかりの場所がいろいろあります。弘仁13年(822)に嵯峨天皇の勅願所となり、建仁元年[1201)には、比叡山の僧であった親鸞が100日間、ここに籠り、後の浄土真宗を開く契機になったと伝えられます。そして、生け花の池坊は、代々この寺に花を供える役割を担い、池坊の家元は、代々、この寺の住職を兼ねています。室町時代に立花の理論と技術を体系化、ここが生け花の発祥の地と言われる所以に。
「中が暗くてよく見えない…ご本尊様どこかな~」と、中を覗きこむミモロ。でも、薄暗い堂内はよく見えません。
裏側に回ると、内陣に秘仏のご本尊、如意輪観音像、そして脇に毘沙門天と不動明王の立像があることが、記されていました。
「やっぱり、ここからもなんにも見えない…」裏側からも、中は見られませんでした。
現在の本堂の建物は、明治10年(1877)に建立されたもの。町中にある「六角堂」は、天治2年(1125)は、江戸時代末期までに、応仁の乱をはじめ、さまざまな災害や火災に18回も見舞われたとか。そのたびに民衆の力で復興されてきたのです。
「多くの人の信仰を集めていたんだね~」とミモロは、いっそうこのお寺を、崇敬のまなざしで見上げます。
境内には、お詣りする場所がほかにもいろいろ。
「なんか小さな仏様がたくさんいらっしゃる~」と、本堂の右側を見つめます。
「十六羅漢」です。
お寺の説明によると、「羅漢」とは、仏の教えを伝えることができる優れたお坊さんたちに与えられた名前だとか。
「なんか可愛らしいお顔だね~」と、どこかあどけない表情の羅漢様たちが、岩の上にさまざまなお姿で立っています。微笑むようなその表情は、「和顔愛語」(わがんあいご)という教えをしめしているもの。いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がければ、必ずいい報いがあるという教えです。
「素敵な教えだね~。ミモロも心がけよう…」と。心に刻みたい教えです。
「あ、この子、ちょっとすねてるみたい…」穏やかなお顔の羅漢様たちの間に、ときどき、すねた表情の像が交じっています。これは、邪鬼。仏教の教えを理解せずに、ひねくれている鬼です。でも、改心して、自ら重い香炉を背負う邪鬼もいるそう。
「あ、さっきの鬼さんだ~」本堂の香炉を支えていた鬼を思い出したミモロです。
次に参拝したのは、聖徳太子の自作と伝えられる聖徳太子2歳の時の姿、南無仏の像を安置する「太子堂」です。
「この中に聖徳太子の像があるの?」
中を覗いても、はっきりお姿を拝むことはできませんでした。
「あ、池がある…」太子堂の周囲には、たっぷりと水をたたえた池が。この池は、聖徳太子が沐浴した伝えられる池で、このそばに、僧侶が住まう住坊を建てたことから「池坊」という名が…。
「あれ白鳥がいる…こんにちは~ミモロでーす」と呼びかけますが、白鳥は全くミモロに関心なし。「なんか体格がいい白鳥だね~。よっぽど住み心地がいいんだね~ここは…」大きな白鳥が数羽住んでいるようです。そばの表示に「噛みつきますから、白鳥に近づかないでください」と書かれていました。おとなしそうに見えて、なかなか気が強い白鳥なのでしょう。
また、境内の東には、「親鸞堂」があり、その前には、親鸞さまの像が、参拝者を見守っています。
お堂の中には、お座りになっている「夢想之像」と、親鸞の自作を伝えられる「草鞋の御影像」の2体が安置されています。
「なんか、まだ見どころがあるみたい…」境内をゆっくり見て回る
*「六角堂」の詳しい情報は、ホームページでどうぞ…。
人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね~ミモロより