くもりがち。涼しい一日。
このところ、頗る身体の調子が悪い。
異常な眠気や頭痛やら吐き気やら、おまけに、月初にひいた風邪すら完治せずにいる。
具合が悪いなら仕方ないやね・・・。
・・・熱がある訳でもないので、出社して自分のデスクにいても、きちんと座って、暇潰すのも、苦痛になっているから、早々に、退社する。
昼間少し眠ったら、回復してきたので、古い漫画など読んでみる。
大島弓子さんの書かれた『綿の国星』シリーズ。
事業の失敗で、夜逃げした夫婦に置き去りにされた白い仔猫。
この仔猫は、いつしか、人間になると信じているので、幼い少女の姿で、描かれている。
雨の日、空腹で、ポリバケツのフタを開けようとしたところで、力尽き、挫折感に苛まれる浪人生の須和野時夫に拾われ、須和野家の飼い猫となり、須和野ちび猫となる。
『神の猫』と称される銀猫ラフィエル、ちょっとロック系のヨーデル猫、避妊猫、双子のシャムネコ、
鈴木猫・・・個性豊かな猫達。
(以前のブログにも書いたけれど、この擬人化した猫の描写というのは、大島弓子さんで、ほぼ確立されたと言っていいかもしれない。あとは、雨後の竹の子のように、描写力というか、デッサンもロクにやってないような下手な漫画家のネコ真似ならぬ猿真似で、大島さんの哲学的な要素のひとしずくもないようなド下手な吐き気がするような漫画を描いていらっしゃる)
私は、この豊かな個性あふれる猫達も好きだけれど、須和野家のお父さん(ユーモア作家・飛夫氏)、お母さん(二三子さん)が好きである。
お父さんは、デビッド・ボウイに似ているし、お母さんは、いつも和服で、楚々っとした優しい美人だ(このお母さんは、ちび猫に逢うまで、猫アレルギーだったけれど、戦時中のモンペと防空頭巾・・・一体何時の話なのだ?というイデタチで、ちび猫捕獲に成功し、猫アレルギーを克服するというとにかく、美しくユニークなキャラクターなのである)。
大島弓子さんの描く世界は、ひとつの相当洗練された哲学の世界だ。
巷の漫画書きさんたちが、描写を真似しても、たぶん千年たってもこの世界には、到達しないだろう・・・それくらい完成された世界なのである。
この作品が発表されたのは1970年代中ごろ。
今読んでも違和感がほとんどない(携帯電話とか・・・そういった付属物のない時代の設定にしても、何故か、いつも新しい)。
このところ、頗る身体の調子が悪い。
異常な眠気や頭痛やら吐き気やら、おまけに、月初にひいた風邪すら完治せずにいる。
具合が悪いなら仕方ないやね・・・。
・・・熱がある訳でもないので、出社して自分のデスクにいても、きちんと座って、暇潰すのも、苦痛になっているから、早々に、退社する。
昼間少し眠ったら、回復してきたので、古い漫画など読んでみる。
大島弓子さんの書かれた『綿の国星』シリーズ。
事業の失敗で、夜逃げした夫婦に置き去りにされた白い仔猫。
この仔猫は、いつしか、人間になると信じているので、幼い少女の姿で、描かれている。
雨の日、空腹で、ポリバケツのフタを開けようとしたところで、力尽き、挫折感に苛まれる浪人生の須和野時夫に拾われ、須和野家の飼い猫となり、須和野ちび猫となる。
『神の猫』と称される銀猫ラフィエル、ちょっとロック系のヨーデル猫、避妊猫、双子のシャムネコ、
鈴木猫・・・個性豊かな猫達。
(以前のブログにも書いたけれど、この擬人化した猫の描写というのは、大島弓子さんで、ほぼ確立されたと言っていいかもしれない。あとは、雨後の竹の子のように、描写力というか、デッサンもロクにやってないような下手な漫画家のネコ真似ならぬ猿真似で、大島さんの哲学的な要素のひとしずくもないようなド下手な吐き気がするような漫画を描いていらっしゃる)
私は、この豊かな個性あふれる猫達も好きだけれど、須和野家のお父さん(ユーモア作家・飛夫氏)、お母さん(二三子さん)が好きである。
お父さんは、デビッド・ボウイに似ているし、お母さんは、いつも和服で、楚々っとした優しい美人だ(このお母さんは、ちび猫に逢うまで、猫アレルギーだったけれど、戦時中のモンペと防空頭巾・・・一体何時の話なのだ?というイデタチで、ちび猫捕獲に成功し、猫アレルギーを克服するというとにかく、美しくユニークなキャラクターなのである)。
大島弓子さんの描く世界は、ひとつの相当洗練された哲学の世界だ。
巷の漫画書きさんたちが、描写を真似しても、たぶん千年たってもこの世界には、到達しないだろう・・・それくらい完成された世界なのである。
この作品が発表されたのは1970年代中ごろ。
今読んでも違和感がほとんどない(携帯電話とか・・・そういった付属物のない時代の設定にしても、何故か、いつも新しい)。