更に、冷え込み強く。日中は、穏やかに晴れた初冬の日曜日。
随分と・・・所謂『読書』から遠ざかっていたような気がする。
私は、私の虚構の伽藍の中を、彷徨い歩き、疲れ果て、そして自分で築き上げた虚実さまざまな心の中の伽藍が・・・、ここ数か月の間に、大きく音を立てて崩れていくのを、目のあたりにした。
今は、もう・・・その虚実入りまじった現実と幻想の伽藍は、何処にもない。
それでも・・・。
再び、この麗しき物語の伽藍へ戻ってきた。
戻った場所が、『書楼 弔堂』である。
これは、もう出会うべくしてであった『本』であることは、間違いがない。
私は、戻って来られたのだ。
この芳醇な腐食に満ちた物語の伽藍へ。
この数年・・・。
私は、本を読むことが出来ずにいた。
いや・・・本は、読んでいた。少なくとも、読まずにはいられなかった。
読んでも・・・読んでも・・・それは、何処か虚しく、正に、『虚』の世界でもあった。
『虚』が、『実』に、『実』が、『虚』に・・・。
明治の御代、街燈台にも似た三階建ての建物。
そこは、読まれなくなった本を弔い、成仏させるのが・・・『書楼 弔堂』の主人。
陽の光の似合わぬ現世離れした主人と美童の丁稚・しほる。
その不思議な空間に、誘導されるのは、瓦解前は、物持ちの旗本・高遠彬。
お客様は、江戸期を葬り、維新を生きた明治の著名人・・・。
『本から立ち上がる現世は、この、真実の現世ではございません。その人だけの現世でございますよ。だから人は、自分だけのもう一つの世界をば、懐にいれたくなる』
『本当に大切な本は、現世の一生を生きるのと同じ程の別の生を与えてくれるのでございますよ。ですから、その大切な本に巡り合うまで、人は探し続けるのです。』
私は、この『書楼 弔堂』を、訪れてみたい。
この麗しき物語の伽藍へと・・・誘われてみたいのである。