鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

最後のひと葉(・・・ふた葉・・・?)

2013-12-14 22:53:07 | Weblog

年末に向けて、寒さもひとしお・・・。


自宅のもみじの木もあらかた散り果て・・・、温度計が、氷点下を刻む中、少し色褪せて、散るのもまじかのように寄り添っている最後のもみじ・・・。

本日の画像。
深く沈んだような赤いもみじ・・・。

初夏を前に、若々しいほどの蛍光グリーンだった若葉も冬を前に、美しく色づきそして、今、散る直前の円熟した赤を映しだしているようで、カメラに収めた。

春にもみじのタネが、散乱し、地上から、芽吹くものの・・・。
若木へと成長するのが、難しいらしい・・・また、芽吹いたもみじを、移植してみたのだけれど、ことごとく枯れてしまったので、諦めた。

そんな育ちにくいもみじだけれど、私は、春の若葉、秋・・・というより初冬の赤く色づいたもみじが大好きで、毎年、写真を撮りたいと思っていた。でも会社勤めのため、時間的にも、体力的にも全く余裕ななくて、シャッターチャンスを逃していたけれど、今年は、時間は、捨てる程あったので、撮影が、可能となったことは、先月11月24日の拙ブログ:紅葉狩りで、既に書き記した。

あの時期(11月24日頃)が、もみじの最盛期で、残った最後の葉になるのに、約2週間もかかるのか・・・と改めて思うのだった。

O・ヘンリーの短編に『最後のひと葉』という作品があるけれど、画像は、2枚残った最後のふた葉。
最後のひと葉が散った時に、自分の命が、終わると信じ込んでいる病人のために、貧乏画家は、壁に、つたの葉の絵を描くものの、雨中での製作だったため、肺炎を起こして死に至る・・・。

日本にも、死んでしまったであろう母親むくどりの姿を、こどもむくどりの夢の投影させた枯葉を、子供むくどりが、散らないようにと、馬の毛で木に括りつける濱田広介の童話『むくどりのゆめ』。

落ち葉は、病気や死を連想させるのかもしれない。

それは、やがて来るだろう冬の到来を告げる序曲。


・・・もうすぐ、冬本番・・・真冬の到来。