不平等な世の中に生まれたからには、生まれついた環境によって、天国と地獄の差があるし、その時代によっても、飢餓、戦争、政治経済・・・さまざまな要因にがんじがらめに縛りつけられ、まるで、囚人のように一生を終える・・・
たぶん、ほとんどのひとが・・・。
自分は、最高に幸せだと思った瞬間、自分より、更に最高に幸せそうに見える人が、出現し、幸せは、地に堕ち、惨めな自分がそこにいる。
貧富の格差から、美醜、能力・・・さまざまな要因によって、ひとは、傷つけられ、地に堕ちていく。
この世に生まれたからには、格差は、どうしようもない・・・。
たぶん・・・全てが、平等であるならば、ヒトは、進化することを止めてしまうかもしれない。
楽園で過ごし、何も考えず、それなりに幸福で・・・。
そんなバカげたことを、相変わらず、ツラツラと考えてみたりする。
別に考えたって、何の結論にもならないし、下手な考え休むに似たり・・・のもっともよいサンプルになるだろうか。
或る人が、言っていた。
『人間に与え有られたもっとも平等なものは、時間であって、誰でも、1日24時間しかないし、24時間与えられているのである。』
どう使おうと、24時間は、24時間で、24時間にどれくらい成果を上げたか・・・なんてのは、資本主義のもっとも得意とする生産性ってヤツだろうか。
貧乏性は・・・。
とにかく、時間が、勿体ない・・・と思う。
それは、24時間しかないからだ。24時間で、為すべきことをなさないと、損をしたような気分になったりするのだ。
人は、1日24時間という決まった枠の中で、秒刻みに生活するひと、半分以上眠って過ごすひと(ワタシのことです)、悩み続け眠らぬひと、仕事に使う人、娯楽に使う人、他人のために使う人・・・さまざまな目的と理想と現実と夢と・・・全てが、ないまぜとなって、24時間の中に溶かしこむ。
24時間・・・。
人の1日は、誰でも例外なく・・・24時間。
24時間に縛られて生きている。