鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

24時間

2015-03-15 07:54:33 | Weblog

不平等な世の中に生まれたからには、生まれついた環境によって、天国と地獄の差があるし、その時代によっても、飢餓、戦争、政治経済・・・さまざまな要因にがんじがらめに縛りつけられ、まるで、囚人のように一生を終える・・・

たぶん、ほとんどのひとが・・・。

自分は、最高に幸せだと思った瞬間、自分より、更に最高に幸せそうに見える人が、出現し、幸せは、地に堕ち、惨めな自分がそこにいる。

貧富の格差から、美醜、能力・・・さまざまな要因によって、ひとは、傷つけられ、地に堕ちていく。

この世に生まれたからには、格差は、どうしようもない・・・。
たぶん・・・全てが、平等であるならば、ヒトは、進化することを止めてしまうかもしれない。

楽園で過ごし、何も考えず、それなりに幸福で・・・。

そんなバカげたことを、相変わらず、ツラツラと考えてみたりする。
別に考えたって、何の結論にもならないし、下手な考え休むに似たり・・・のもっともよいサンプルになるだろうか。

或る人が、言っていた。

『人間に与え有られたもっとも平等なものは、時間であって、誰でも、1日24時間しかないし、24時間与えられているのである。』

どう使おうと、24時間は、24時間で、24時間にどれくらい成果を上げたか・・・なんてのは、資本主義のもっとも得意とする生産性ってヤツだろうか。

貧乏性は・・・。
とにかく、時間が、勿体ない・・・と思う。
それは、24時間しかないからだ。24時間で、為すべきことをなさないと、損をしたような気分になったりするのだ。

人は、1日24時間という決まった枠の中で、秒刻みに生活するひと、半分以上眠って過ごすひと(ワタシのことです)、悩み続け眠らぬひと、仕事に使う人、娯楽に使う人、他人のために使う人・・・さまざまな目的と理想と現実と夢と・・・全てが、ないまぜとなって、24時間の中に溶かしこむ。

24時間・・・。

人の1日は、誰でも例外なく・・・24時間。

24時間に縛られて生きている。