鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

重陽・2021/エプソム・ソルト

2021-09-09 21:10:11 | 健康・病気

9月9日。

9の重なる重陽の節句。

 

最低気温が、20度を割り込んで、明け方などは、寒いくらいで。

本日は、(昨日の)予報によると25℃を超える夏日になる・・・ということだったのだけれど、22℃止まり。

 

日中でも、脚が冷えるので、エプソム・ソルト入りの足湯などして。

外では、まだ蝉(つくつくぼうし)などが、元気にないているのですが、この足先の冷え具合は、風邪の前ぶれかしら?

風邪と言えば、すぐ足湯ですが、母が足の痛みを訴えだしてからも、バケツにお湯をはり、生姜湯などつくり、温めていました。

 

『風邪の用/野口晴哉・著』という風邪攻略?本にも、足湯・脚湯の効果などが書かれていて、インフルエンザ?の予後が悪くて、6カ月くらい調子が悪かったときに、助けになりました。

・・・今にして思えば・・・。

よく勤め人を続けていられたなぁ・・・と思う位で。

(現在は、テレワークで、通勤しない方が良さそう?な感じですけど。過去に、会社に行くのは、週に一度か二度で、仕事だけもらって、在宅で、できたらいいのに・・・とか、思っておりましたが、だんだんそんなふうになってきて、別段、オフィスと言う場所に行かなくても、出来るコトは、たくさんあるようです)

エプソム・ソルト(硫酸マグネシウム)は、経皮からの吸収されて、身体を温める作用、デトックスなどの効能があるようで、これから、気温が下がってくる時期、或いは、真冬など身体の冷え対策には、よいものかと。

もう少し、早く、エプソム・ソルトを知っていれば、母の脚も、もう少し温めてあげられたかも・・・と思います。

母の脚は、いつも氷のように冷たかったから、血流も相当悪かったのかも。

あのとき、わかってあげられなくて、ごめんよ・・・と、悔やんでばかりいても仕方が無いのですけれど。

体質にもよりますが、冷えから来る身体の不調には、『人参湯』などが、効くようです。

『人参湯』は、虚証体質のひとには、効果があるようで、母の飲み残しの人参湯が、まるまるひと箱あるので、冷えるときは、服用しようと思っています。

 

 


栗を剥く⑤/栗ご飯

2021-09-08 21:52:12 | 食・料理

午前中から、雨降ったりやんだり。

気温22度。半袖では寒い。

 

昨日、購入してきた栗を一晩浸水させて、皮剥き。

皮を剥く前に、圧力鍋で、加圧すると、剥きやすくなる・・・という、某国営放送の『ためしてガッ〇〇』の記事をみつけたので、やってみました。

生のまま皮を剥いて、冷凍しておくと、栗ご飯にするとき、研いだお米と一緒に炊けるので、丁度いいかな・・・と思っていたのだけれど、如何せん、鬼皮、渋皮を剥くのに、難儀するので、もう少し、ラクに皮剥きが出来る方法は無いものだろうか・・・と、圧力鍋レシピなどを検索していて、ヒットしました。

圧力鍋で、加圧10分で、ホクホクの栗に仕上がる・・・栗ご飯などに用いるときには、加圧5分前後ということだったので、5分加圧しましたが、栗本体が柔らかくなってしまい、生栗ではなくて、茹で栗になってしまいました。

けれども、やはり、鬼皮、渋皮が加圧されると、剥きやすさは、浸水しただけの生栗とは、比較にならない剥きやすさ。

栗のてっぺんに、十字に切れ目を入れてから、加圧するのがコツのようでした。

栗本体に、あまり熱を通したくないときには、1~2分くらいの加圧で、充分かも?

20個程度を剥いて、黍砂糖にまぶし、冷凍庫へ。

そこから、5個程取り出して、本日、栗ご飯。

出来た栗ご飯を、ヒトクチ分、母の仏壇に供しました。

母は、栗ご飯が、大好きだったから。

 

『大好きだった栗ご飯だよ。食べてね。昨日の月命日に間に合わなくてごめん。この頃は、随分、秋めいてきて、少し寒いよ。』

 

久々に、汁物の赤だしなめこ汁など供しました(・・・インスタントですが)。

母が亡くなってから、汁物は、殆ど作らなくて、(割と高額な)味噌の賞味期限が切れてしまいました。

お米をあまり食べなくなってしまったから、汁物も作らなくなった・・・というか。

でも、汁物とご飯って、なんだか、ほっとする感じでした。

コレから寒くなるから、また汁物・・・と思うのだけれど、一人前って、具材とかの量が難しくて、余ってしまったりする・・・それが、とても面倒。

母も一人前食べる・・・ということは、なかったので、1.5人前を作っていた訳か・・・。

粕汁なんか作って、余ったら、冷凍ってできるのかな???

 

 


白露/7回目の月命日/長谷川洋子・著『サザエさんの東京物語』

2021-09-07 20:24:26 | 本・読書

二十四節季・白露。

昨日の天気予報では、朝から久々の晴れ・・・ということであったけれど、実際の日照時間4時間。

曇りがちで、風がなんとなく冷たい。秋の風。

 

母の月命日。

午前中、お寺の墓所へ。

 

帰りに道の駅へ。

栗を購入。母の好物だったので、栗ご飯にしよう。

一晩、浸水しないと皮剥きできないので、月命日の今日は、栗ご飯には、できなかったけれど。

明日、栗の皮を剥こうと思います。

 

午後から夕刻迄、読書。読書・・・なんか久しぶり。本を読む時間をかみしめる。

長谷川洋子・著『サザエさんの東京物語』

国民的漫画家であった故・長谷川町子の妹からみた姉の姿、そして、サザエさんと磯野家の母体となった長谷川家の物語。

 

母の部屋を片付けていたら、出てきた本で、所謂、母の遺品。

NHK朝の連続テレビ小説『マー姉ちゃん』の原作である『サザエさんうちあけ話』と重なる部分が多くて、暴君、ヒットラーと娘達に言われた母・貞子の孟母ぶり、戦前、戦後を通して、国民的女性漫画家となった長谷川町子、その漫画の出版する姉妹社を切り盛りする姉・まり子、そして、その確固たる信念をもつ家族の中で、居場所を探し続ける末っ子の洋子。

 

あるきっかけで、姉妹間にできた深い溝。

 

長谷川町子の『サザエさんうちあけ話』では、女系家族の団結、仲良し姉妹・・・というイメージが強いけれども、どんな家庭にも、何かしら瑕疵があるもので、美化された『サザエさん』からは、想像できないエピソードも。

10億円を超える母・貞子の遺産を放棄しても、洋子の欲しかったもの・・・。やりたかったこと・・・。

内気で、強い姉たちに圧倒されながら、そして、姉(町子)の死さえ、知らせてもらなかったというその姉妹の深い深い溝。

 

庶民派と言われた長谷川町子だけれど、現実は、やはり今でいう上級国民。

サザエさんという架空の庶民のイリュージョン。

読者に見せた幻。

そう・・・私たちは、庶民・・・でも、実体は・・・。

 

孟母・貞子の先見の明。

焼野原だった世田谷の土地を買いまくり、バブルで、土地成金。

それでも・・・。

己の信じる宗教や、寄付、他人救済に奔走した母・貞子。

オカネの亡者ではなかっただけ、安堵した。

 

サザエさんと長谷川町子ファンは、読まない方がいいかも・・・。

 

 


秋雨前線

2021-09-04 23:17:44 | Weblog

雨続き。

最高気温21度。

 

シャワシャワと降る雨音。

雷雨のようにバシャバシャじゃないこういう雨音を好きです。

 

母の居ない夏が終わり、母の居ない秋の始まり。

去年の夏には、母が居たのに。

去年の秋には、母が居たのに。

去年と今年の冬には、母が居たのに。

そして、今年の春に、母が逝った。

 

来年の春は、母の居ない二度目の春となるのでしょう。

来年の夏は、母の居ない二度目の夏となるのでしょう。

 

・・・そして、秋雨。

 

まだまだ慣れぬ母の不在。

 

 


母の友達

2021-09-03 20:52:57 | Weblog

雨降ったり、止んだり、時折、本降り。

気温20度。半袖では、少し寒い。

 

9月に入って、季節が、急に進んで、10月中旬並みの最高気温だとかで・・・。

 

昨日、生前の母と交友のあったタイ人女性から、電話があって、彼女は、お怒りでした・・・。

8月末日に、母の死と形見に何か・・・と思って、母の真珠のネックレスから、珠を外して、ストラップを作り、それを送ったのを受け取って、電話をかけてきたのでした。

お怒りは、

『どうして、今迄、教えてくれなかったのか!』

ということにつきるようでした。

その経緯については、彼女とその御主人(日本人)宛に、ストラップと一緒に手紙を入れておいたのですが。

新型コロナの影響で、家族葬で、母を送り、書中にてのご挨拶にて申し訳ないと一筆添えたのだけれど。

彼女には、わかるように簡単に書いて、詳細は、御主人へのお手紙に書きました。

昨年4月に、御主人のご母堂様、お兄様が、母と訪ねて自宅迄、来てくれたことがあり、その御礼も兼ねて、手紙を書いたのでした。

 

タイ人の彼女は、母とは、20年のお付き合いになるのです。

母の死は、やはりお知らせしなくては・・・と思っていたのですが、グズグズしていて、初盆を終えてから・・・ようやく連絡したという次第で。

 

彼女は言いました。

『昨日、夕飯の支度をしていて、ふとおばちゃん(母のこと)のことを思い出して、近いうちに会いに行こうと思っていたら、荷物が届いて、開けたら、おばちゃんが、死んだって知って、どうしていいかわからなくなった。』

 

20年前・・・母68歳の頃。

 

日本人と結婚した彼女は、生まれ故郷を遠く離れた異国(日本)の地で、出産しました。

ちょうど同じ時期に、母には、孫が誕生して、その孫育てを始めなければならなくなって、拙宅に近いアパートに彼女が住んでいて、同じ乳飲み子を抱えた老婆と異国人同士。

仲良くなりました。

それで、今迄、交友が続いておりました次第で。

母もこの年齢で、外国人の友達ができようとは・・・と驚いておりましたが。

 

彼女は、ハッキリ物を言うから、ちょっと・・・と思うところはあります・・・。

昨日、彼女に叱られて、或いは、余計なコトをしたのか!と思ったのですが、やはり、知らせぬ訳には、いかないし、時期が悪かったと言えば、そうだったのかもしれません。

 

母には、娘以上に年の離れた外国人のお友達でした。