友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

戦う覚悟

2007年03月03日 17時09分45秒 | Weblog
 小6の孫娘のクラスは卒業を前にしてなんだか大変そうである。
音楽の先生はまだ若い講師で、男の子たちは言うことを聞かないようだ。男の子たちもだんだんと年頃になってきたのだろう。私の小5の時の「ストライキ事件」(3月2日のブログに掲載)も、若い担任への「恋心」のようなものが底辺にあったと思う。若い担任は、女性であるために男子と話すよりも女子と話すことの方が多かった。本当はそうではなかったのかもしれないが、男子にはそのように写っていた。担任に嫌がらせをしようというよりも、自分たちの方を向いて欲しい気持ちがあんな行動になってしまったと思う。

 若い担任は独身だったから、自分たちの母親にはない「女らしさ」があった。唇は赤く、胸が大きかった。いつも甘いにおいがしていた。男の子たちの中に「恋心」が芽生えていてもおかしくなかった。60歳近くなってからのクラス会で私は、事件の要因として恋心説を披露したが、どうも積極的な賛同者はいなかった。あまりよく覚えていない者も数多くいてガッカリした。私にとってはこの事件は大人への原点だったが、そんなことを考える同調者はいないのだ。

 子どもは残酷なものだ。社会のルールがまだよくわかっていない。行為の結果がどういうものか、理解していない。だから時々凶暴な事件が起きてしまう。クラスの中の誰かが、音楽の先生をからかう。みんなが面白がって笑う。子どもは仲間の受けが一番気持ちよい。ますますエスカレートして、みんなもますます面白がる。子どもは子どもの仲間の「受け」があるから、先生や大人をからかったり、いじめたり、逆らったりできる。子どものこうした行為が、子どもの誰からも「受け」なくて、孤立してしまうなら、子どもは「受ける」ためにさらに行為をエスカレートさせるか、孤立を恐れて何もしなくなるか、どちらかになるだろう。ましてや、子どもの中から、「止めなさい」と言われるようなことになれば、シュンとして「ヤル気」を失うだろう。

 子どもはなかなか仲間を制止できない。正義感を発揮すれば悪いことをして面白がり、仲間の「受け」を狙っている連中と戦う覚悟が要る。私は中学生になった時、自己改造は終わりかけていたが、さらに完成させるために「戦う覚悟」を決意した。
コメント (3)
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