友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

父の個人主義

2007年06月20日 20時22分28秒 | Weblog
 「あんたはお父さんやお母さんに感謝している?」と聞いてきた77歳になる姉は、自分が父親や母親のことを日ごろ思い出さないことが気にかかっているようだ。初めは私の両親への思いの深さを測られているかと思ったけれど、姉の周囲で「両親のおかげだ」とか「両親にいつも感謝している」という言葉をよく耳にするのに、どうやら姉自身が余り両親のことに感謝の念が湧いてこないので、気にかかったのだろう。

 私は姉に「感謝しているわけではないけれど、お父さんやお母さんのことは思い出すことはあるよ。お父さんやお母さんとの付き合いというか、時間的な長さで言えば、姉さんの方が長いんだから、お父さんやお母さんのことはよく知っているんじゃーないの」と逆に尋ねた。母は私が高校1年の時、父は高校3年の時にこの世を去った。父よりも母のことをよく覚えているのはそれだけ印象の強い人だったからだと思う。母の印象については姉と同じ意見だった。とても感情の激しい人だった。正しいと思うことはとことんやる人で、母には中途半端は許されない、そんな気がした。父はまるっきり反対な存在で、感情を表に出さない人だった。

 「でもさあ、お母さんは家を大事にしていたし、『お前は親の面倒を見るんだよ』としつこく言っていたけど、お父さんは何も言わなかったね」と私が姉に言うと、姉は「お父さんはリベラルだった」と答えた。姉のリベラルという言い方に私はちょっと戸惑った。父は明治の生まれだ。確かに大正ロマンの中で生きてきたかもしれないが、どれほどだったのか私にはわからない。姉が言う「リベラル」という意味は「一般常識的ではない」ということなのか、「共産党的」ということなのか、もっと他の意味があるのか、今度会ったら聞いてみたいと思っている。

 父は長男であったのに、家業が材木屋であったのにもかかわらず家業を継がずに教師になった。父が残した日記を読むと、恥ずかしいほど世間知らずだ。世間知らずという言い方が適切でないのかもしれない。世間に染まらず、夢想の中に自分の生を見ていたのかもしれない。父は年上の母に恋をして結婚した。子どもが産まれ、家庭の主となったが、母以外の女性に恋い慕っているなと思う文章が日記がある。それは現実の出来事だろうけれど、父が勝手に妄想して作り上げた世界なのかもしれない。私にはいつも静かに本ばかり読んでいた印象しかない。姉には厳格な父親であったようだが、私にはよき理解者で、同士のような存在だった。私が生徒会長に立候補するために演説の原稿を書いていたら、父は黙って聞いていたのに、翌朝には父の手で添削してあった。

 長男に生まれ、家業を継ぐ運命にあった父は自由を求めていたのだろう。自由に生きることは自由に恋することでもあったのだろう。父は個人主義者だった。自分を一番大切にしていた。本当はそんな風に生きたかったのに、現実の父はそう生きられなかった。そんな父の血が私に中に流れている。個人が確立していなければ、集団の意味もない。集団の中にあって、一人ひとりが自由に自分らしく生きられる、そこに初めて制約や扶助も成立するのでないかと思っている。全くバラバラな個人が一つになると。
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