友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自治ネット総会

2007年06月02日 22時57分14秒 | Weblog
 今日は自治ネットの総会。2002年4月に、「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク(略称で自治ネット)」が発足して5年になる。議会内で孤立しがちな無党派議員の連携を深め、政策の研究や議会活動の検討、無党派で出馬する候補への応援を課題にして活動してきた。議会のない月を例会として各自の議会活動を報告し検討したり、年間2回ほど公開講座を開催したり、一昨年からは自治ネットとして先進自治体への視察研修も行ってきた。既成政党に属さないというだけが条件の緩やかな組織だから、無党派はハッキリしているが、市民派の定義は突き詰めればそれぞれの思いに差はあるだろう。だからおおいに議論し、一致できる範囲でやっていこうと決めている。一泊合宿の夜は、お酒のせいもあるかもしれないが、夜を徹しての論議となり、これがお互いの友情を深める場となっている。

 私を含め3人が引退したので今、メンバーの多くは50歳前後と若い。私は発起人の中で最年長だったので、発足以来4年間、代表を続けてきた。昨年4月の首長選挙で敗退したのを機に、代表の座を代わってもらった。議員によくある「クセ」「アク」が、自治ネットのメンバーには無い。私もそうだったが、なかなか「清濁併せ呑む」ことができない。私はメンバーの皆さんに「これまでの政治家に求められたのは、良いこともするが悪いこともする、地元のために頑張る人であったが、その結果は市民抜きとなった。本来の意味の度量が大きいことは大切だが、何も悪いことまでする議員になる必要は無い」と説いている。

 本年度の大きな事業としては、8月と来年2月に公開講演会を開催する。8月の講演会は今年行ったフォーラムを受け継ぎ、議会基本条例の制定の動きに対し、そもそも議会とは何かを問うような講演内容のものをと考えている。自治基本条例に続いて、議会基本条例を制定することが一種のブームになっている。情報公開条例の時もそうだったが、条例は制定したがその中身は全くお粗末で、逆に情報公開条例が足かせになってしまった自治体もあると聞いた。ポーズだけでは何の意味も無い。市民を無知に落とし込めるようなことの無いように、議会の原点を探ろうというものだ。

 代表の座を降りてヤレヤレと思っていたら、今年度は会計を担当せよということになった。事務方に欠ける自治ネットとしては仕方ないことなので引き受けることにした。地元での市民のための市民講座も事務方を引き受けており、まだ当分は働きなさいということなのかと受け止めている。何もかも無くなったなら、葛飾北斎のようにひたすら春画でも描いていようと思っていたが、まだまだ先のことになりそうだ。
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『生徒諸君!』の女教師

2007年06月02日 00時03分32秒 | Weblog
 金曜日はテレビドラマ『生徒諸君!』を観る。教職にあったことのある私には「馬鹿馬鹿しい」の一言だが、子どもたちには人気だそうだ。しかし、それはわかる気がする。「先生も大人も、私たちの気持ちなんかわかってくれない」と中学生たちは言う。私が中学生の時も、先生も含め、大人は子どもの気持ちなんか全然わかっていないと思っていた。教師になって少しでもその溝を埋めたいと思ったけれど、所詮教師は評価する側の人間であり、生徒は評価される側に人間であることに変りは無い。それを踏まえたうえで、どのような関係を作っていくのかが大事なのだろうけれど、教師の時はただ夢中で生徒に接していたに過ぎないように思う。

 教師は「公」のために働いている。私学であってもそれはきっと変わりないだろう。したがって教師は「公」に弱い。自分の信念では、こうすることが子どもたちのためになると思っても、「公」からそれはダメだといわれれば、引き下がってしまう。「公」は広く国民一般なのだが、直接的には保護者であったり、地域であったりするし、実際的には「公」の末端に過ぎない教育委員会であり校長であると、思い込んでいる。

 『生徒諸君!』では、文部科学省の高官の息子が犯した事件を覆い隠してしまったことを題材にしている。そんなことはあり得ないと多くの人が思っているが、また多くの人がそういうことってあるよねと思っている。完全に2つのグループに分かれているわけではなく、あり得ないと思いながらもあり得るとも思っている人が多いのだ。権力が潔癖はでないと人々が思っている間はこの矛盾は解決されないだろう。

 今日も国会で、公務員の天下りを規制する法案をめぐって与野党の論議が続いていた。「能力のある公務員が再就職することは何が悪いのか」と渡辺行政改革担当大臣は答弁していたけれど、私は課長以上の公務員の再就職は一切禁止すべきだと思っている。国家公務員も地方公務員も、「公」のために働く人はすべて清貧でなくてはならないと考えるからだ。「そんなことをしたら、優秀な人材が集まらない」と馬鹿なことを言う人がいる。私はそうした使命感に燃えた人材はいくらでもいると思うけれど、仮に「優秀な人材が集まらない」としても、それで一体何が問題だというのだろう。これまで優秀な人材を集めても、汚職や裏金や不正はいくらでもあった。それなら「優秀でない人材」の方がはるかに良い行政を実現できると考える方が正しいのではないか。

 『生徒諸君!』の女教師は見ていてもイライラするくらいノウテンキだ。笑っていればいいものではないだろうと怒鳴りつけたくなる。全く馬鹿な教師ではあるが、ひたむきで前向きであることは評価できる。「公」ばかりに気を遣い、自分が何をしなくてはいけないのかを忘れているような教師よりは少しだけれど、ましな方かもしれない。「公」のために働くことは公正で公平であることだ。宮沢賢治が言う「ジブンヲカンジョウニイレズ」ということだ。そんな馬鹿馬鹿しい公務員になんかなれるかと思う人は辞めてもらえばいい。
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