goo blog サービス終了のお知らせ 

友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

日本人以上のトルコ人

2007年06月08日 23時52分30秒 | Weblog
 毎週金曜日の夜は「日本語クラス」です。
 外国人に日本語を教え、彼らが少しでも日本での生活ができるようにと活動している。私は昨年までは、教える側の人がいない時だけのピンチヒッターで、時々出かけていたに過ぎなかった。ところが今年は責任者になったので、ほぼ毎週出かけている。しかし、今晩は雷を伴う雨降りだ。このような時は受講者ゼロという日が多い。先々週も雨降りで、7時半から始まるのだが誰も来ない。8時まで待って、「仕方ないから帰ろうか」と教え役の人と話して帰った。今晩はその時よりも降り方が激しい。「どうやら今晩も誰も来ないね」と話していたら、昔このクラスに通っていたことのあるトルコ人の青年が「遊びに来た」と、入ってきた。

 「せっかく来てくれたんだから慣用句を教えてあげたら」と言う先輩の言葉に従うことにした。この先輩は、日本語クラスを10年以上続けてきた人だ。そばで聞いているとなかなかうまく教えるなあーと感心する時がある。「私は学歴がないから」と言うが、彼女の教え方を見ていると、学歴なんか問題じゃーないなと思う。10年以上という経験はとても大きい。

 さて、そのトルコ人の青年だが、17歳で日本にやってきて19歳で日本の女性と結婚し、今は2児のパパだと言う。日本語検定の2級に合格しているというから立派だ。2級の問題に私も挑戦してみたが、どの答えだっていいような問題が多く、かなり難しい。「すごいね」と言うと、「いやもう昔のことですから、今受けたらできないかもしれません」と言う。「それじゃーよく使われる慣用句を勉強しよう。よく会社の社長なんかが『不徳の致す所』とテレビで言っているが、不徳とは何か?」と聞いてみた。そんなことがきっかけになって、道徳について話したり、そこから発展して、「じゃー、『見栄を張る』というのはどういう意味だと思う」と聞いた。

 それから昔の日本人は「武士は食わねど高楊枝」と言ったことや、借金することを恥ずかしいと思っていたのだが、今は借金することをなんとも思わなくなってしまっていると話した。すると彼は「俺的には古い人間で、カネがないのにカネがあるように見せるのは間違っていると思っている。夢を持つことはいいけれど、夢に流されるてはダメだ」と言うのだ。グレーの瞳を輝かせて話すトルコの青年は日本人以上に日本人になっている。彼と同じ位の歳の日本人に聞かせたいくらいだ。

 その彼は「日本は自分が来た時に比べ、外国人が多くなっている。もう国の堺にこだわる時代ではないですよ。誰でもが自分が働きたいところで働き、住みたいところに住めるのがいいのではないですか」と言う。「必ずそういう時代が来るよ」と私は答えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする