藤原正彦さんの『若き数学者のアメリカ』は面白かった。結局、私は読み損ねてしまったが、1日1ドルでアメリカを旅した小田実のアメリカ旅行記にはどんなことが書かれていたのかと思った。私たちが若かった頃はそんな旅が流行ったと思う。私が始めて海外旅行をした時は、先日書いた大学の先生の奥さんとその2人の娘さん、それに私とカミさんと娘の6人の旅だった。イタリアのベネチアとフレンツェをゆったりと見て回る豪華な旅行だ。パック旅行ではなくて、英語が達者な先生の奥さんが窓口になって連れて行ってくださった。ベネチアの町を歩き、島々を回り、フレンツェの美術館と教会を堪能した。
最初の海外旅行が素晴らしい思い出に包まれたものだったので、以後の海外旅行はどの旅も満足いくものばかりだった。出会った人々は誰もがなつかしく思われるほど、素敵な人々ばかりだった。海外旅行の度に、人類はなぜ戦争を繰り返してきたのだろう?戦争をするほど憎めたのはなぜなのだろう?この疑問がいつも付き纏った。私たちが今は豊かな国に住んでいるからであって、もし貧しい国に住んでいたなら資源が欲しいと思うだろう、分け与えるべきだと主張するだろうと、人は言う。本当にそうなのか?現在、アメリカは世界一豊かな国なのに、一番戦争をしている。世界の貧しい国は戦争する力も無い。
藤原さんは「敵国アメリカに負けてなるものか」という気持ちで初めはアメリカを見ていた。その気負いと緊張からホームショックになり、ノイローゼに陥った。ミシガンの冬の気候がますます彼を憂鬱にさせた。そこでフロリダへとひた走る。フロリダで北欧の透き通るような白い肌の画学生に出会い、金持ちの彼女の祖母の別荘に居候となる。ここに来て、藤原さんは「負けてなるものか」という気持ちが消えていく。「開かれた」女性である彼女の肌にローションを塗る間柄にさえなる。すっかりアメリカ人だが、それ以上には進まない。次に移ったコロラド大学で、彼はストリークを見る。単に高みから見るばかりでなく、大学の先生である彼が裸の学生たちの行動について回るのだからおかしい。それだけではなかった。藤原さんは「それが不満で」、一人で裸になって通りを走るのだ。この感覚はなかなか理解できないが、そういうこともあるだろうというくらいは理解できる。
このコロラド大学で彼がいい子だなと思った女子大生とクリスマスを間近かにした夕方、雪の降りしきる街角で出会う。彼女は寒さに震えながら「もう当分会えないのね。淋しいわ」と言った。そして「どのくらいの間、抱擁していたのだろうか」と言うくらいの二人なのに、それからはどこにも彼女の名前は出てこない。いったい、藤原さんはこの本の中にもあるように、「お母さんが決めた子と結婚したのだろう」かと気にかかった。
私は大学の先生の奥さんを、この人ほど優れた人はいないと思っている。私がこの地域で新聞を作った時も、そして首長選挙に立候補した時も、骨身を惜しまず協力してくれた。男と女の間を越えた友情を、同志に似た思いを、私は抱いていた。私に世界を見せてくれた彼女はごちゃごちゃとした世間を超越して存在していた。藤原さんは結局、どのような人生を歩んだのだろう。どのような経緯で誰と結婚し、そして何を考えて生きて来たのだろう。藤原さんが私と大きく歳の離れた人なら考えもしなかった思いがふつふつと湧きあがってきた。
最初の海外旅行が素晴らしい思い出に包まれたものだったので、以後の海外旅行はどの旅も満足いくものばかりだった。出会った人々は誰もがなつかしく思われるほど、素敵な人々ばかりだった。海外旅行の度に、人類はなぜ戦争を繰り返してきたのだろう?戦争をするほど憎めたのはなぜなのだろう?この疑問がいつも付き纏った。私たちが今は豊かな国に住んでいるからであって、もし貧しい国に住んでいたなら資源が欲しいと思うだろう、分け与えるべきだと主張するだろうと、人は言う。本当にそうなのか?現在、アメリカは世界一豊かな国なのに、一番戦争をしている。世界の貧しい国は戦争する力も無い。
藤原さんは「敵国アメリカに負けてなるものか」という気持ちで初めはアメリカを見ていた。その気負いと緊張からホームショックになり、ノイローゼに陥った。ミシガンの冬の気候がますます彼を憂鬱にさせた。そこでフロリダへとひた走る。フロリダで北欧の透き通るような白い肌の画学生に出会い、金持ちの彼女の祖母の別荘に居候となる。ここに来て、藤原さんは「負けてなるものか」という気持ちが消えていく。「開かれた」女性である彼女の肌にローションを塗る間柄にさえなる。すっかりアメリカ人だが、それ以上には進まない。次に移ったコロラド大学で、彼はストリークを見る。単に高みから見るばかりでなく、大学の先生である彼が裸の学生たちの行動について回るのだからおかしい。それだけではなかった。藤原さんは「それが不満で」、一人で裸になって通りを走るのだ。この感覚はなかなか理解できないが、そういうこともあるだろうというくらいは理解できる。
このコロラド大学で彼がいい子だなと思った女子大生とクリスマスを間近かにした夕方、雪の降りしきる街角で出会う。彼女は寒さに震えながら「もう当分会えないのね。淋しいわ」と言った。そして「どのくらいの間、抱擁していたのだろうか」と言うくらいの二人なのに、それからはどこにも彼女の名前は出てこない。いったい、藤原さんはこの本の中にもあるように、「お母さんが決めた子と結婚したのだろう」かと気にかかった。
私は大学の先生の奥さんを、この人ほど優れた人はいないと思っている。私がこの地域で新聞を作った時も、そして首長選挙に立候補した時も、骨身を惜しまず協力してくれた。男と女の間を越えた友情を、同志に似た思いを、私は抱いていた。私に世界を見せてくれた彼女はごちゃごちゃとした世間を超越して存在していた。藤原さんは結局、どのような人生を歩んだのだろう。どのような経緯で誰と結婚し、そして何を考えて生きて来たのだろう。藤原さんが私と大きく歳の離れた人なら考えもしなかった思いがふつふつと湧きあがってきた。