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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

大人は忘れ、歳をとってしまう

2007年06月09日 22時07分44秒 | Weblog
 劇団「はぐるま座」の詩の朗読と童話劇を見ました。何年か前に、「はぐるま座」が高杉晋作を上演するので、手伝って欲しいと敬愛していた方から頼まれ、人集めを手伝ったことがあります。「はぐるま座」は毛沢東を信奉する思想演劇集団だと認識していましたが、演劇の上演のために、農協や商工会や企業にも働きかけるのには驚きました。この人たちの頭の中はどうなっているのか、私には理解ができず、今回はただ参加だけさせてもらうことにしました。

 磯永秀雄さんの詩の朗読が7編、この他に朗読劇、大型紙芝居、童話劇があり、上演時間は2時間半近くもありました。磯永さんの詩を朗読したい気持ちは理解できましたが、少し欲張りすぎで、しかも子どもたちには難し過ぎました。一番印象に残ったのは、児童館の子どもたちによる詩の朗読です。私も朗読クラブに参加し、朗読の発表会にも出させていただいたことがあり、皆で声をそろえて朗読することの難しさを体験しました。しかも子どもたちが朗読した詩はかなり長いものです。とてもよくできていたと思います。

 詩の題は『右手のしたことを』というものです。詩の中身は
  右手のしたことを
  左手は知っている
  (略)
  わたしが右手なら
  わたしの左手のようなやさしいものが
  わたしをみつめている
  おとなは ほとんどそれを忘れて
  としをとってしまうのだ

 歳をとるということは、若い時の新鮮な気持ちを忘れるということなのかも知れません。この詩が作られたのは1961年1月ですから、あの60年安保闘争の挫折感が広がっていた時だったのでしょう。60年安保闘争に参加した、当時20代から30代の人々は「これで日本は生まれ変わる。本当の民主主義国家になる」と信じていたようです。60年代のアメリカはベトナム反戦運動が各地の大学で盛り上がりました。クリントンやヒラリーが学生と時です。ベトナム戦争がアメリカの敗北で終わると、学園から政治運動は消えてしまいました。次に現れたのは、通りを素っ裸で走り抜けるストリークでした。アメリカの学生は「全てに幻滅している」ようです。日本も70年安保の後、大学から学生の「闘争」は消えてしまいました。

 「現在の学生たちはこう考える。科学者になったところで科学の発展という美名の下に人類の間化を推進させる役に立つだけだし、政治家や大会社の社長になっても単に権力や冨を手中に入れるだけで真の幸福は得られまい。たとえ目標や理想を掲げて進もうとしても現代の巨大な社会機構においてはどうにもなるまい。」(藤原正彦著『若き数学者のアメリカ』より)。人類は新しい時代に入ったと私は思っています。ぜひ、藤原正彦さんの『国家の品格』を読んでみたいと思います。
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