孫娘は、学校から帰るなり「アア疲れた」を連発する。150センチに満たない彼女がおよそ6キロもあるスポーツバッグを担いで登下校するのだから、それだけでも大変な労力である。私たちや娘たちの頃は学生カバンだったが、それでもやはり娘たちの頃は持っていくものが多くなっていたのか、ずいぶんカバンを膨らませていたように思う。そんな話をしていたら、学校へ荷物を置いてきて、先生にビンタをいただいていたようで、母親のところに先生から連絡が入ったことがあったと知った。
孫娘の母親である長女は「『疲れたと言うな』と滅茶苦茶パパから怒られたけれど、この頃は本当に疲れるのよ」と言う。そうだろうけれど、わざわざ人の前で「疲れた」と連発して欲しくない。まあ考えてみれば、誰もいないところでわざわざ「疲れた」と連発する人はいないのかもしれない。親しい間柄だからこそ、自分をさらけ出し、「疲れた」と連発することで癒しているのだろう。しかし、聞かされる側としてはイヤなのである。
今の子どもたちは本当に大変だなと思う。孫娘は通常は6時に起床し、7時30分前には登校していく。下校時間はまちまちだが、帰るとすぐにプールへ出かけ、週の2日は学習塾に通い、1日はピアノに通う。実にハードな生活である。それでも仲間内で流行っていてアッと言う間に読めてしまうという、ちょっとエッチな恋愛小説?を読んでいるし、家庭科クラブの作品作りにも挑戦している。就寝時間はおおよそ11時半である。成長の時期にある子どものとしては睡眠不足なのではないかと思うが、母親である長女は「そんなもんじゃーない」と、無責任なことを言う。
孫娘は試験の時、朝4時に起きて勉強していた。朝起きて勉強するのは、祖母つまりカミさんの血である。私は夜遅くまで起きていることはあっても、朝早く起きて勉強するという習慣はなかった。「眠ったら、覚えたことを忘れてしまう」と言う人がいるが、私はここまでやらないと逆に眠れないので、どうしても夜更かしすることになってしった。そういう点でも孫娘はなかなか意志強固で、自分で決めたことはキチンとやっている。母親である長女は机に向かうと必ずうつ伏せになって眠っていた。夜に弱い点は母親に似ていた。
それなのに、孫娘は「ママとパパちゃんはそっくりだね」と言う。一番聞きたくない言葉だ。きっと長女もそう思っている。私としては、長女はカミさんに似て現実論者だと思うのだが、長女に言わせるなら私は現実を見ない理想論者ということなのだろう。私たちが若かった頃は大学や専門学校へ進学する人は少なかった。今は、70%を越えるという。私が知っている人たちも中学しか出なかったけれど、その子どもは国立大学や有名私学に入学している。大学などに行かなかった世代の親たちは、子どもを一生懸命に勉強させたのだろう。それに反して大学に行った親たちは、大学に入ったところで何も変らないと子どもたちに言ったわけではないけれど、何が何でも大学へ行くことを強くは望まなかった。
私の中学の同級生で、背が低くてちょっとどもるところがあった彼は、クラスのみんなからは小ばかにされていた。私は一度彼のとなりの席だったことがあるが、彼の見聞の広さにただ者ではないと感じていた。還暦近くのクラス会の時、彼は娘が教員になったと話してくれて、なるほどと思った。
孫娘は先の中間試験で、我が家では誰一人として取ったことのない立派な成績を収めた。ビックリである。毎日毎日の努力がこれほど大切なものなのだと孫娘から教えられた。私も子どもたちも、どちらか言えば努力もせずに良い成果を求める方である。そんなことではダメだと孫娘から突きつけられたのだと思う。とてもそんな結果が出せる子どもではないだろうと思っていたことを今は深く恥じている。
「よく頑張りました」のケーキはその償いである。
孫娘の母親である長女は「『疲れたと言うな』と滅茶苦茶パパから怒られたけれど、この頃は本当に疲れるのよ」と言う。そうだろうけれど、わざわざ人の前で「疲れた」と連発して欲しくない。まあ考えてみれば、誰もいないところでわざわざ「疲れた」と連発する人はいないのかもしれない。親しい間柄だからこそ、自分をさらけ出し、「疲れた」と連発することで癒しているのだろう。しかし、聞かされる側としてはイヤなのである。
今の子どもたちは本当に大変だなと思う。孫娘は通常は6時に起床し、7時30分前には登校していく。下校時間はまちまちだが、帰るとすぐにプールへ出かけ、週の2日は学習塾に通い、1日はピアノに通う。実にハードな生活である。それでも仲間内で流行っていてアッと言う間に読めてしまうという、ちょっとエッチな恋愛小説?を読んでいるし、家庭科クラブの作品作りにも挑戦している。就寝時間はおおよそ11時半である。成長の時期にある子どものとしては睡眠不足なのではないかと思うが、母親である長女は「そんなもんじゃーない」と、無責任なことを言う。
孫娘は試験の時、朝4時に起きて勉強していた。朝起きて勉強するのは、祖母つまりカミさんの血である。私は夜遅くまで起きていることはあっても、朝早く起きて勉強するという習慣はなかった。「眠ったら、覚えたことを忘れてしまう」と言う人がいるが、私はここまでやらないと逆に眠れないので、どうしても夜更かしすることになってしった。そういう点でも孫娘はなかなか意志強固で、自分で決めたことはキチンとやっている。母親である長女は机に向かうと必ずうつ伏せになって眠っていた。夜に弱い点は母親に似ていた。
それなのに、孫娘は「ママとパパちゃんはそっくりだね」と言う。一番聞きたくない言葉だ。きっと長女もそう思っている。私としては、長女はカミさんに似て現実論者だと思うのだが、長女に言わせるなら私は現実を見ない理想論者ということなのだろう。私たちが若かった頃は大学や専門学校へ進学する人は少なかった。今は、70%を越えるという。私が知っている人たちも中学しか出なかったけれど、その子どもは国立大学や有名私学に入学している。大学などに行かなかった世代の親たちは、子どもを一生懸命に勉強させたのだろう。それに反して大学に行った親たちは、大学に入ったところで何も変らないと子どもたちに言ったわけではないけれど、何が何でも大学へ行くことを強くは望まなかった。
私の中学の同級生で、背が低くてちょっとどもるところがあった彼は、クラスのみんなからは小ばかにされていた。私は一度彼のとなりの席だったことがあるが、彼の見聞の広さにただ者ではないと感じていた。還暦近くのクラス会の時、彼は娘が教員になったと話してくれて、なるほどと思った。
孫娘は先の中間試験で、我が家では誰一人として取ったことのない立派な成績を収めた。ビックリである。毎日毎日の努力がこれほど大切なものなのだと孫娘から教えられた。私も子どもたちも、どちらか言えば努力もせずに良い成果を求める方である。そんなことではダメだと孫娘から突きつけられたのだと思う。とてもそんな結果が出せる子どもではないだろうと思っていたことを今は深く恥じている。
「よく頑張りました」のケーキはその償いである。