友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

もう一度バンコクの話

2007年06月17日 22時54分39秒 | Weblog
 もう一度、バンコクの話。2日間あったバンコクでの滞在で、最初の日にジム・トンプソンの家に出かけた。タイシルクの生みの親として知られるジム・トンプソン(1906年生まれのアメリカ人)が生前、住居としていた家を博物館として公開している。火曜日の午前中は無料で日本人ガイドがつくという。ジム・トンプソンは、第二次世界大戦終了後に情報将校としてタイに派遣され、そのままタイに永住してしまったほどタイが好きだったようだ。彼はシルクの手織りに興味を持ち、その普及に没頭しその結果、タイシルクの名を世界的なものにした。しかし、1967年3月26日マレーシアのキャメロン高原での休暇中に謎の失踪を遂げ、いまだに行方不明だ。

 さて、この説明を私たち3人ともう一人の若者が聞いた。彼は一人で旅をしているというので、「じゃー、一緒にお昼を食べないか」と誘った。遠慮するので、「おごってあげると言う時くらい甘えておかないといいものが食べられないぞ」と強引に連れ込んだ。なかなか品の良い青年で、これからミャンマーへ行き、さらに西へと進み、ギリシアからエジプトに渡り、エジプトからモロッコへ、モロッコからサハラ砂漠を抜けて東へ、ケニアから南に向かい南アフリカが最終地点だという。大学生で、来年3月末まで休学していると言う。昨年もこのタイで彼のような長期の一人旅の若者に3人出会ったが、若いということはいいなあーとつくづくと思った。

 「これからどうするの?」と聞くと、「大使館に行って、ボランテイアが無いか聞いてみるつもりです」と言うので、「ボランテイアって、何がしたいの?」と尋ねた。「学校を造るとか、いろいろありますでしょう」と彼。それまでは、一人で未知なる土地を歩くすごいやつだなと感心していたのに、彼は一体何がしたいのかと疑問が湧いてきた。ボランテイアをどんな風に思っているのだろう。1日や2日、ボランテイアで働いたとして、それを受け入れるところがあるかも疑問だ。仮にそういう団体があったとしても、彼自身は何の目的があって、ボランテイアをしたいと言うのだろう。そんなことを議論しても意味の無いことだからと思い、「体には気をつけてね。無理をしないことと、飲み物・食べ物には充分注意して、やり遂げてください。無事の帰国を祈っていますよ」と言って別れた。

 この日の夜、婿殿も交えて食事をしながら、「今日は素敵な青年に出会ったんだよ」と、青年の話をした。そして、「ただちょっと、ボランテイアの話にはガッカリした。余りたいした男ではないのかもしれないな」と言ってしまったことがとんでもないことになってしまった。この続きはまた、明日にしよう。
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伊良湖へ

2007年06月17日 00時00分08秒 | Weblog
 今日はアメリカに一緒に旅行した仲間と一緒に伊良湖へ行ってきた。アメリカ旅行の時のお金がまだ余ったままなので、それを使って楽しもうというものだ。本当はアメリカ旅行の時にお世話になった、仲間の中のお姉さんが日本にやってきた時に、一緒に歓迎の旅行などする時の費用に当てようとしていたお金だ。ところがそのお姉さんが身内に不幸があって来日が延期になってしまったので、じゃあ皆で亡くなった仲間の一人を偲んで、伊良湖へ行ってみようというものだ。

 河和まで行き、ここから高速船で伊良湖へと渡った。私が高校生の時に来た、恋路ケ浜をぜひ皆さんに歩いてもらいたかった。ホテルの人にその話をすると、まだ若い従業員は「今日はちょっと遠周りをしましょう」と言って、私たちを恋路ケ浜まで送ってくれた。こんな気の利いた若者に会うのは気持ちがいい。人はなぜか海を見ると、波に向かうようで、私たちも子どもの頃に戻ったように、波と戯れた。「東海の小島の磯の」と啄木の歌が自然と口に出た。

 一緒に行けなかった仲間の奥さんを呼び出し、夕食をともにし、その後はカラオケにも行ってはしゃいだ。年老いてからもこんなにはしゃげることに驚きと満足を覚えた一日だった。
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