友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

姉は父を冷たい人と言う

2010年11月09日 19時08分00秒 | Weblog
 風が強く吹いていて、ルーフバルコニーへ出られなかった。頼んであったチューリップの球根が届いた。鉢の土も大方は入れ替えたので、今日こそは球根の植えつけをするつもりでいたのに、作業が出来ないくらい風は強かった。風が治まればいつでも作業に取り掛かるつもりで、バルコニーの側で本を読みながら見張っていたが、一向に治まる気配はなかった。

 テレビは相変わらず菅内閣の外交手腕を問題視している。国会中継でも依然として菅さんの無能振りを暴き出そうと、野党となった自民党や公明党が追及している。尖閣諸島も北方問題も、そして情報の流失問題も、おそらく自民党政権であっても結局は菅内閣と変わらない答弁の繰り返しになっただろう。外交問題は相手国があるだけにそう簡単にはいかない。それを承知で追求しているわけだから、テレビを見ている方はうんざりしてくる。

 人間は理想通りには生きられない。言うは簡単だが、そう言う私に巻き込まれた私の家族はうんざりだろう。私の父は、姉に言わせると「身勝手な人」だったようだ。父は戦前と戦後では、子育ては別人のように違っているが、基本的には「放任主義」と姉は言う。姉の子どもの頃は、学校から帰ると毎日課題が与えられ、それが出来るまで繰り返しさせられたそうだ。しかも、父は子どもたちの前で初めから終わりまで見ていて厳しく注意されたそうだ。「お父さんが怖かった」と姉は言う。

 それでいて、姉が結婚相手を連れて来ても何も言わなかった。女学校から上の学校は「師範」しか言わなかった父が、姉すらどういう素性なのかわかっていなかった男との結婚に口を挟まなかったそうだ。勉強はうるさかったけれど、生き方については「無関心だった」と言い、「冷たい人だった」と言い切る。「もっと一緒になって考えてくれてもよいのに、かかわらないのは親の務めを放棄している」。私は、そんな父の話を聞くと、あまりにも自分に似ているので肩身が狭い。

 「放任主義というよりも、個人の自由を尊重していたんだと思う。確かにかかわりを避けるのは冷たいけど、むしろそうすることが本人のためだと思っていたんじゃあないの」と私は父を弁護する。それにきっと、戦前は国のために己を捧げることを美徳としてきたのに、戦後はそれを全否定しなければならなかったから、自信を無くしていたというか、むしろ個人個人が自分で選択することこそが大事なことだと思い至っていたのではないだろうか。

 私が子どもの頃は、勉強せよと言われたことは一度もなかった。何をしなさいということもなかった。中学の時に、友だちから回ってきたエロ本を隠し持っていたのを見つかっても何も言われなかった。警察官に向かって不注意な発言をしてしまった時も、警察署に謝りに行ってくれたけど私には何も言わなかった。高校生の時は良き友のような存在だった。学校新聞のことで校長室に呼び出された時も、公認の新聞では納得できないからと自分たちで新聞を出した時も、生徒会長に立候補することになった時も、父は何も言わなかった。

 父は私という個人を尊重してくれたからだと私は思っているが、やっぱり姉には「あんたも冷たい人だ」と切り返されるかもしれない。
コメント
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