友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

クリスマスまであと1ヶ月

2010年11月24日 21時10分25秒 | Weblog
 花屋さんの前を通ったら、見事なポインセチアの鉢が並べてあった。今日は24日、クリスマスまであと1ヶ月。今年は誕生日会の友だちと一緒に、ホテルのディナーバイキングに出かけることになっている。昨年あるいは一昨年は、どんなクリスマスだったのかと思い出そうとするけれど、何も思い出せない。子どもの頃はどうしていたのだろう?父親がケーキを買って帰ってきたのは何時ごろからだったのか、いつしか我が家もクリスマス・イヴにはケーキを食べる習慣が出来上がっていた。

 中・高校はキリスト教会に通っていたので、教会でのクリスマス礼拝が終わると、教会の人たちと一緒に讃美歌を歌って夜の街を歩いた。空気は冷たくて、それがかえって聖夜にふさわしく、讃美歌が街中に響き渡っているような気になった。結婚して子どもたちが生まれ、ケーキを食べた夜にはプレゼントが用意される、そんなことが何年も続いた。子どもたちは、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれたと長い間信じてくれていた。

 キリストがこの世に誕生したのは、私たち人間を救うためだという。確かに私たち人間は罪深い。どこまでも自分勝手でどこまでも欲張りだ。どうしてこんな人間を神様は創ったのかと思うほどだった。神様が人間を創らなければ人間はこんなに苦しまなくてもすむのにと恨んだ。そして、人間は自分が身勝手で欲張りでどうしようもない生き物だと知っているから神様を創り出したと思った。私の中では、信仰ではなく教義としてのキリストとなった。

 今、紅葉は真っ盛りだ。山々を見上げれば錦織りであり、街路樹も赤く黄色く輝いている。しかしそのうち葉は落ちてしまうだろう。それでも次には冬の景色が見られる。雪でも降れば一面の銀世界だ。春には緑が芽を出し、夏はギラギラと太陽が容赦なく降り注ぐ。山にも海にも四季の装いがある。常夏の地域でも、砂漠の地域でも、氷に閉ざされた地域でも、それぞれに美しさがある。こんなに素晴らしい地球に生きていることに感謝である。

 私は誰とでも話してしまう。駐車場係りのおじさんが一人でお客を待っている。たまにしかお客が来ないのでは寂しいじゃーないかとおせっかいな気持ちが働いてしまう。「寒いのにご苦労様です。この近くでお昼をいただけるところはありますか?」と聞いてみる。「土日の入りはどうですか。ここで食べられる天然アユはこの川で取れたものなのですか」。話しかければおじさんは何でも教えてくれる。

 身なりのキチンとした紳士で教養もあるのに人を見下したような態度の人にも挨拶はするし、場合によっては世間話もする。しかし、危険を感じるような隣人に出会ったことはない。人間はみんないい人に思えてしまう。私が意識していなくても、私のことを大嫌いだという人はいる。目を合わせないからきっとそうだろう。みんなと友だちでいたいけれど、嫌われているなら仕方ない。でも、ケンカまでしたいとは思わない。「オマエの態度が気に入らない」というのであれば謝りたい。とげとげしいのはイヤだ。やはり、「甘ちゃん」と言われそうだけれど、それでいいじゃーないかと思う。
コメント
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