友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

死後のことなんか考えても‥

2010年11月13日 17時02分47秒 | Weblog
 昨日はクラブツーリズム社のバス旅行で、河口湖へ出かけた。久保田一竹美術館で行なわれる創作能劇「舞衣夢」を見たいと言っていたカミさんが、どこかの広告で見つけて申し込んでいたのだ。ところが間近になっても「人数が揃わないからダメみたい」と諦めていたものが、前日になって「行けるって!」と言う。名古屋駅前の集合場所へ行くと、17名だけれど行くことになったと添乗員さんが説明する。「16人が女性で、男性はおひとりだけです」とまで紹介してくれる。久保田一竹さんの辻が花は確かに凄いとは思ったけれど、能劇だけのためにわざわざもう一度行きたいとは思わなかった。

 東名高速は事故のため、行きは2時間も遅れた。帰りは金曜日の夜ということなのか、どこも車両が多かった。通例だそうだが、岡崎の手前からは渋滞で、名古屋駅前に帰り着いたのは午後9時を回っていた。河口湖の紅葉はきれいだったし、創作能劇もまあまあだった。特に能よりも音楽に感心した。熊野古道の入り口に音楽を担当した夫婦の仕事場があると言っていた。機会があれば出かけていくのもいいかなと思った。自然の中の舞台を見ていて、生とも死とも境のない、不思議な気持ちに誘われた。

 姉を連れて奈良へ出かけた時、姉が私と妹に向かって「あんたたちに相談がある」と言った。私は来たぞと思った。喜寿の祝いをした時は何も言わなかったが、80歳を過ぎて「これからのこと」を考えないわけはないが、私の方から言い出すようなことではないので黙っていた。「相談がある」と言うからには死後のことだろうと想像できた。姉は娘を嫁がせて以来ずぅーとひとりで暮らしてきた。何でも出来るし、今すぐどうこうすることはない。娘も孫も姉のところへよく顔を出してくれている。ご近所とも親しくしているし、仲のよい友だちもいる。

 姉は「お墓のことなんだけれど、この前テレビを見ていたら、私のような人を受け入れるお墓があるって言うんだけれど、どう思う」と言う。それがどういう話なのか、あるいは区役所の福祉課の人に相談した方がいいか、いろいろと話が続いた。「それで、娘はどう思っているの?」と聞くと、「あの子は嫁に出したんだから、婿さんの言いなりだわ」と答える。「そりゃーそうだ。で、婿さんはどう言ってるの?」と聞いてみる。姉が亡くなれば当然喪主は娘のダンナになるだろう。私たちは姉の兄弟であって喪主にはなれない。

 ダンナは「『何も心配いらん。任せておけ』と言っている」と姉は言う。「それならば何も考えなくてもいいのではないの。あなたが勝手なことをすれば、娘の方が困るでしょう。ここは婿の言葉を信じて、お任せすることが娘の幸せになるのではないの。あなたができる最後のことは娘の幸せのために何ができるかですよ」と姉を説得する。頑固な姉のことだから、「死んであちらの家の仏壇に飾られるのはイヤ」などとわがままなことを考えていそうだ。「死んだ後のことなんか考えてもどうしようもないでしょう」と言い出しそうになったけれど、そこまで言わなくてもいいかと口を閉じた。

 さて、今晩は友だちの家で食事なので今日はここまで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする