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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

軍隊と警察は国家の暴力装置

2010年11月22日 22時26分23秒 | Weblog
 柳田稔法務大臣が辞職した。当然だと思う。本人は自分の後援会でのスピーチという安心感からか、あるいは法務大臣になったという喜びからか、参加者への過剰なサービス精神を発揮して言ってしまったのだろう。だから大臣という職責への自覚が足りないと非難されても仕方ない。東大に入学したけれど途中で「寿司職人になる」と中退してしまったことも柳田さんの性格を現しているような気がする。しかし成績のよい人だから再び東大へ戻って卒業したそうだ。政治家への道は、民社党から。民主党内の家庭事情で全く畑違いの法務大臣になってしまったようだ。

 国会議員であるだけならそんなにテレビで問題にされないが、閣僚となると鵜の目鷹の目であら捜しを受ける。そういうものだという覚悟とその備えがない人には勤まらない。仙谷由人官房長官が国会答弁で「自衛隊は暴力装置であり」と発言した場面を私は丁度見ていた。仙谷さんは自分でも「しまった」という顔を一瞬見せた。野党席は騒然とし、「不適切な発言だ。撤回し謝罪しろ」と迫った。すると「開き直りの仙谷」と揶揄されているように、「実力装置」と言い直し謝罪もした。でも、私は仙谷さんが言うように、自衛隊は「暴力装置」じゃーないのかと思った。

 警察や軍隊は国家にとって不可欠な暴力装置である。この言葉を使ったのは社会学者のマックス・ウェーバーだったと思う。私たちの時代では常識として使われていたような気がするが、野党の皆さんは仙谷さんが全共闘で活動していたという先入観から、「左翼の発想だ」と非難している。現在、自民党の論客で政調会長を務める石破茂さんも、「警察と軍隊を暴力装置」と発言しているそうだ。公に武器を所持し訓練された組織は誰が見ても「暴力装置」だろうし、歴史的にもその役割を果してきた。

 武器を持たない人々を強制的に支配し服従させることができる組織である軍隊や警察は、だから権力を持った人々は手中に収めて絶対の忠誠を誓わせてきた。仙谷さんが言葉足らずであったのは、「暴力装置」だからこそ政府が統制する必要があるということだったのだろう。「暴力装置」なんてものは要らない。「新しい国」は「暴力装置」がない社会と希望したのは私のような極楽トンボだけだった。でもなあー、イエスが言われた「神の国」とはあらゆる抑圧から解放されたところではなかったのかと思う。

 国会対策のためにその支障となった大臣を罷免するなら、まず小沢一郎さんの国会喚問かあるいは民主党からの離党を行なうべきであっただろう。そうしないから国民の目線には、民主党も自民党と変わらないなあーと見える。その違いを示さなければ民主党は落ち零れて行くだろう。いみじくも小沢一郎さんが「民主党がダメになっても国民は自民党に政権を渡そうとは思っていない。民主党と自民党も過半数が取れなくてぐちゃぐちゃになり、極右や極左が出てくる」と推測しているが、私も同感だ。

 しばらくはそんな不安定な政治が続くだろう。次へのステップのためだから仕方がないことだ。我慢ではなく議論の時だと思う。
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