友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

坂本竜馬の暗殺

2010年11月29日 21時58分15秒 | Weblog
 北西の空に黒い雲が見えた。しばらくすると辺りは暗くなり、気が付くと道路が濡れていた。冷たい雨だ。もう少し気温が低ければ雪になるのだろう。昨夜、NHK大河ドラマ『竜馬伝』は最終回であった。つまり11月15日、竜馬暗殺の日を描いていた。丁度、冷たい雨が降っていた。竜馬は中岡慎太郎と一緒にいた。そこへ暗殺者がやってくる。北辰一刀流の使い手であった竜馬は刀を手にすることができぬまま、頭から切られた。竜馬が隠れていた近江屋の2階はもっと天井が低かったはずだとか、暗殺者はなぜ絶命を確かめずに去ったのか、などとテレビを見ながらまた評論していた。

 坂本竜馬を一躍有名人にしたのは小説『竜馬がゆく』を書いた司馬遼太郎である。「竜馬ってあんなに格好よかったの?」と聞かれたけれど、私は竜馬に関する本を1冊も読んでいないのでよく知らない。竜馬を格好いいと思うのはきっと、福山雅治が演じていたからだろう。事件は書き記されているけれど、ドラマのような会話があったかどうかは小説家や脚本家の仕事である。それを本当のことだと思うのは見る側の勝手であろう。竜馬が亀山社中を立ち上げたり、高杉晋作を助けて幕府軍と戦ったのも史実である。土佐藩を動かして大政奉還を成し遂げたことも事実だ。

 ただ、大政奉還は竜馬の独自案ではないようだ。徳川幕府の体制に軋みが生まれてきた頃から、体制をどのように維持していくかで議論が割れていた。そこへ外国から開国の要請である。公武合体論が生まれてくること事態が幕藩体制の終焉を象徴している。大政奉還という考え方はかなり以前からあったけれど、徳川慶喜は当初はこれを受け入れなかった。しかし、徳川家を存続させるためにはこれしかないと考えたのだろう。竜馬の新政府構想に徳川慶喜を加えることが全くなかったとは思えない。

 徳川を倒して天下を取ろうと考えていた者たちにとっては、幕府との全面戦争しかなかった。竜馬暗殺説に薩摩や長州が上がるのもそうした理由だろう。明治維新を成し遂げた志士たちは、政治の体制をひっくり返そうとした革命家たちであったことは確かだ。しかし、どういう国家を作るかは、とりあえず天皇を担ぎ出す以外には特に何もなかったのではないかと私は思っている。幕末はかなり自由に諸国を歩けたようだから、開国論の人たちも攘夷派の人たちも、集まっては議論を重ねていただろう。また、特使として外国へ渡った者もいるから、外国の政治体制を学んだ者もいた。けれど国家観まで踏み込んだ議論はできていなかったと思う。

 昨日の選挙で沖縄は普天間基地の県外移設の仲井真候補が当選した。沖縄県民は日米安保条約の破棄ではなく、より具体的な県外移設を選択した。理想に走るよりは現実的な解決を支持するのは人の常だ。「新しい日本をつくるぜよ」と竜馬は叫ぶけれど、現実的な解決がまずは求められた。戦争のない世界、国境のない世界、上下の隔てのない世界、誰もが自由に生きられる世界、理想は必ず現実の前では敗れ去る。それでも理想は捨てない方がいいと私は思う。
コメント
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