明日はかなり寒くなるそうだ。寒くなるとなぜか、フォークソンググループのかぐや姫が歌った『神田川』を思い出す。この歌がヒットしたのは70年安保が過ぎた1973年である。私は大学4年の時、指導教官の命を受けてほぼ1年間、東京で暮らしていた。先生は私が編集の仕事がしたいという希望を聞いて、東京の出版会社へ行かせてくれたのである。初めはその会社がお客を泊めるための施設にいたが、まもなく先輩と同室のアパートに移った。先輩は営業の担当をしていたから、滅多に部屋に帰ることがなく、いわば一人暮らしのようなものだった。
編集部には大学4年の男が私と同じようにアルバイトで働いていた。彼は私立の美大の学生で年齢はひとつ上だったけれど、ウマがあった。なかなか器用な人で、頼まれると挿絵のイラストなども描いていた。大学の自治会の役員をしたこともあって、話が通じる人だった。ある時、おそらく秋から冬になるころだったけれど、彼が「今度の日曜日に家に来ないか」と誘ってくれた。彼は自由が丘のアパートで暮らしていたので、私の住んでいるところからは比較的行きやすかった。「ああ、行くよ」と返事をした。何しろ手料理をご馳走してくれるというのだ。その頃の私は、インスタントラーメンに肉や野菜を入れてフライパンで煮込む食事が常だった。
彼は駅で待っていてくれた。「ちょっと一六銀行に寄っていく」と言うので、一緒について行った。どうして銀行へ行くのかと思ったけれど、それは質屋だった。私は質屋の俗語の俗語を知らなかったのだ。そこで彼は質札を出して電気釜を受け取った。私には初めて見る光景だった。彼は質屋の親父さんとなにやら親しく話して、「じゃー次に買い物だ」と言って、肉やら野菜やらを買い込んだ。彼がやることは全て目新しく、やあー東京の学生は凄いなと感心するばかりだった。彼の部屋に行くと、すでに女性がひとりかいがいしく働いていた。お互いに紹介され、私はそうか、彼のガールフレンドが今日のために手伝いに来ているのかと思った。
すき焼きだったか、今では何も覚えていないけれど一緒にビールを飲み食事をし、ゲームなどもしたのかもしれない。とても楽しく、私は久しぶりに充実したひと時を過ごすことができて有頂天になっていた。そろそろ終電の時間が迫ってくる。彼女を私が送ることになるのと思った。きれいな人だ。何かあってはならないから、彼女を送るとして、家はどこなのだろう。そんな心配をしながら、「どうも今日はありがとう。彼女をどこまで送っていったらいい」などとのん気なことを彼に尋ねた。彼はちょっとびっくりして、「あの子は、ここに泊まるよ」と言う。
私はふたりに見送られて駅へと向かった。ひとり、終電の車両の中で、「ナンだ、そうだったら、もっと早く帰るべきだったな」としきりに思った。彼は彼女と同棲していたのだ。それも気付かずに、彼女を送っていくことばかり考えていた自分はなんという田舎者かと思った。それが1966年のことだから、それから7年後に『神田川』を聴いた時、すぐに頭に浮んだのは彼らふたりだった。彼はその会社には行かずに大手の広告会社に就職した。ふたりの家にも遊びに行ったことがある。昔懐かしいそれでいて恥ずかしくなる思い出である。
編集部には大学4年の男が私と同じようにアルバイトで働いていた。彼は私立の美大の学生で年齢はひとつ上だったけれど、ウマがあった。なかなか器用な人で、頼まれると挿絵のイラストなども描いていた。大学の自治会の役員をしたこともあって、話が通じる人だった。ある時、おそらく秋から冬になるころだったけれど、彼が「今度の日曜日に家に来ないか」と誘ってくれた。彼は自由が丘のアパートで暮らしていたので、私の住んでいるところからは比較的行きやすかった。「ああ、行くよ」と返事をした。何しろ手料理をご馳走してくれるというのだ。その頃の私は、インスタントラーメンに肉や野菜を入れてフライパンで煮込む食事が常だった。
彼は駅で待っていてくれた。「ちょっと一六銀行に寄っていく」と言うので、一緒について行った。どうして銀行へ行くのかと思ったけれど、それは質屋だった。私は質屋の俗語の俗語を知らなかったのだ。そこで彼は質札を出して電気釜を受け取った。私には初めて見る光景だった。彼は質屋の親父さんとなにやら親しく話して、「じゃー次に買い物だ」と言って、肉やら野菜やらを買い込んだ。彼がやることは全て目新しく、やあー東京の学生は凄いなと感心するばかりだった。彼の部屋に行くと、すでに女性がひとりかいがいしく働いていた。お互いに紹介され、私はそうか、彼のガールフレンドが今日のために手伝いに来ているのかと思った。
すき焼きだったか、今では何も覚えていないけれど一緒にビールを飲み食事をし、ゲームなどもしたのかもしれない。とても楽しく、私は久しぶりに充実したひと時を過ごすことができて有頂天になっていた。そろそろ終電の時間が迫ってくる。彼女を私が送ることになるのと思った。きれいな人だ。何かあってはならないから、彼女を送るとして、家はどこなのだろう。そんな心配をしながら、「どうも今日はありがとう。彼女をどこまで送っていったらいい」などとのん気なことを彼に尋ねた。彼はちょっとびっくりして、「あの子は、ここに泊まるよ」と言う。
私はふたりに見送られて駅へと向かった。ひとり、終電の車両の中で、「ナンだ、そうだったら、もっと早く帰るべきだったな」としきりに思った。彼は彼女と同棲していたのだ。それも気付かずに、彼女を送っていくことばかり考えていた自分はなんという田舎者かと思った。それが1966年のことだから、それから7年後に『神田川』を聴いた時、すぐに頭に浮んだのは彼らふたりだった。彼はその会社には行かずに大手の広告会社に就職した。ふたりの家にも遊びに行ったことがある。昔懐かしいそれでいて恥ずかしくなる思い出である。