友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「私には敵がいない」

2010年12月11日 22時00分55秒 | Weblog
 昨夜、次女夫婦が友人の結婚式に出席するために帰ってきた。「せっかく帰るのだから」と言うので、長女夫婦も招いて我が家での会食となった。集まる時間がずれるようなので、オイルフォンデュとチーズフォンデュの2本立てにした。泥のついたままになっているサトイモがあったので、豚肉と炒めて赤味噌で煮込む。これは私の担当した。いただいた南アフリカ産の赤ワインとボジョレーヌーボーの白ワインを開ける。みんなが揃ってワイワイと盛り上がってきた。

 しばらくして台所でトリのささみを切っていると、次女の「きゃー、火事になる」の悲鳴がする。オイルフォンデュのアルコールがこぼれてテーブルのビニールカバーが燃え出したのだ。急いで濡れたタオルで押さえつければ大丈夫なのに、気が動転しているのか手早く出来ずに慌ててしまっている。まだ1歳4ヶ月の孫娘はこの騒ぎに驚いて泣き出してしまう。ダンナたちは落ち着いたもので、たくさんの濡れタオルでいっきに消火してしまった。そして再び何事も無かったかのように、お酒を飲み食事となった。

 長女のダンナも次女のダンナも結構忙しそうだ。忙しいことと充実とは違うけれど、ヒマよりも忙しい方がいい。昨夜は話題にならなかったけれど、昨日はノーベル賞の授賞式が行なわれたことが今朝の新聞に大きく取り上げられていた。今年の平和賞の受賞者は中国人の民主化活動家だが、中国で囚われているので、受賞者席が空席のままの写真が載っていた。授賞式ではこの活動家の文章が代読され、朝日新聞がその文章を載せていた。獄中にあっても授賞式に手紙を送ることができるのかと思ったが、文章は昨年12月に自らの裁判審理で読み上げるために書いたものだとあった。

 文章は『私には敵はいない』と題が付けられていた。「私を敵と見なす政権によって被告席に押し込められている。しかし、私には敵はおらず、憎しみもない。(略)国の発展と社会の変化を見渡し、善意をもって政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かすことのできる人間でありたい」。「私の心は、いつか自由な中国が生まれることへの楽観的な期待にあふれている。いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上とする法治国家になるはずだ」。「私は私の国が自由に表現できる大地であってほしいと思う。そこでは異なる価値観、思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、共存できる。多数意見と少数意見が平等の保障を得て、権力を担う者と異なる政治的見解も十分な尊重と保護を得ることができる。すべての国民が何のおそれもなく政治的な意見を発表し、迫害をうけたりしない」。

 いずれ中国も彼が望むような国に変わるだろう。どのような国も政治的な発言によって差別や弾圧が生まれることがあってはならない。自由な国アメリカも人種差別が残っているし、世界中に貧富の差をはじめとする格差が存在する。しかし人間が作り出した社会であるのだから、いずれ人間は格差を無くすか、より小さくする方向へと向かうであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする