「12月8日の真珠湾攻撃の日の前後から雪が降る」と新潟出身の友だちは力説する。彼が子どもの頃からの経験から「間違いない」と言うのだ。天気予報も8日は寒くなるように言っていたけれど、ぽかぽかした暖かな一日だった。それが昨日、西の空から黒い雲が流れて来ているのを見ていたら、風は強くなりまたたくまに雨が混じる荒模様となった。ガラス窓の向こうに展開する様子から、これでは飛騨高山は雪降りかと思っていたらそのとおりだった。やはり予想通り寒くなるのかと思ったが、今日はまた一転して暖かな日差しが溢れている。
菅内閣が発足して実にもたもたしている。なんとなく嫌な予感がしていたけれど、いよいよ本格的に始動してきた。民主党政権になれば国家予算は削減されるはずだったが、微増している。このままバラマキ予算が継続されるならさらに増えるだろう。公務員改革は全く進む気配がない。国民が期待した改革の多くが頓挫してしまっている。私がもっと嫌だなと思ったのはそういう類ではなく、防衛や外交の問題だ。
かつて自民党と社会党が連合して、村山内閣が発足した時、社会党はあれほど反対していた自衛隊の憲法違反を撤回し、「君が代」を国歌として認めた。村山さんが総理大臣となってやったことは、社会党が必死で守ってきたことを全て覆すことだった。これを機に社会党は衰退し、その流れはわずかに社民党として存在しているにすぎない。相手を飲み込めるだけの技量が当時の社会党にはなかったし、ましてや村山富市さんにそれを期待することは無理だった。
菅直人さんが野党にいたころ、国民の中には彼を首相にしたいと思う人はまあまあいたと思う。それが実際に首相になってみると、これだけの力量の人だったのかと裏切られた気持ちになっている。しかし、考えてみれば勝手にそう思い込んでいたのであって、彼は本質的には現実主義的な政治家である。今は、首相になってしまったので、適当な言葉が見つからなくて歯切れが悪いだけのことなのだ。
私が嫌だなと思うのは、尖閣諸島問題へのしっぺ返しのつもり(誰への?)なのか、南西諸島方面に陸上自衛隊を配備することや日本周辺の警戒監視機能の強化を中心とする、「動的防衛力」という「防衛計画の改定」である。さらに当初はこれに武器輸出三原則の見直しも盛り込もうとしていた。社民党の反対で見送られたものの、武器の共同研究は行なわれる。自衛隊の存在を認めながらも規模を縮小していくことを期待していた人々の失望は大きいだろう。
仙谷由人官房長官は全共闘運動に積極的ではなかったかも知れないけれど、理解していたはずの人である。その彼が武器輸出三原則を見直そうと言うのだから、人は立場が変われば変わるものだ。私を学生運動に導いてくれた先輩も今では立派な大教育長となって、組合を抑えている。いったい初心は何だったのかと思うけれど、時代と共に変わっていくことができるのも鋭い能力なのかもしれない。
それでもなお、戦争を無くす道を探るべきではないのかと私は思ってしまう。
菅内閣が発足して実にもたもたしている。なんとなく嫌な予感がしていたけれど、いよいよ本格的に始動してきた。民主党政権になれば国家予算は削減されるはずだったが、微増している。このままバラマキ予算が継続されるならさらに増えるだろう。公務員改革は全く進む気配がない。国民が期待した改革の多くが頓挫してしまっている。私がもっと嫌だなと思ったのはそういう類ではなく、防衛や外交の問題だ。
かつて自民党と社会党が連合して、村山内閣が発足した時、社会党はあれほど反対していた自衛隊の憲法違反を撤回し、「君が代」を国歌として認めた。村山さんが総理大臣となってやったことは、社会党が必死で守ってきたことを全て覆すことだった。これを機に社会党は衰退し、その流れはわずかに社民党として存在しているにすぎない。相手を飲み込めるだけの技量が当時の社会党にはなかったし、ましてや村山富市さんにそれを期待することは無理だった。
菅直人さんが野党にいたころ、国民の中には彼を首相にしたいと思う人はまあまあいたと思う。それが実際に首相になってみると、これだけの力量の人だったのかと裏切られた気持ちになっている。しかし、考えてみれば勝手にそう思い込んでいたのであって、彼は本質的には現実主義的な政治家である。今は、首相になってしまったので、適当な言葉が見つからなくて歯切れが悪いだけのことなのだ。
私が嫌だなと思うのは、尖閣諸島問題へのしっぺ返しのつもり(誰への?)なのか、南西諸島方面に陸上自衛隊を配備することや日本周辺の警戒監視機能の強化を中心とする、「動的防衛力」という「防衛計画の改定」である。さらに当初はこれに武器輸出三原則の見直しも盛り込もうとしていた。社民党の反対で見送られたものの、武器の共同研究は行なわれる。自衛隊の存在を認めながらも規模を縮小していくことを期待していた人々の失望は大きいだろう。
仙谷由人官房長官は全共闘運動に積極的ではなかったかも知れないけれど、理解していたはずの人である。その彼が武器輸出三原則を見直そうと言うのだから、人は立場が変われば変わるものだ。私を学生運動に導いてくれた先輩も今では立派な大教育長となって、組合を抑えている。いったい初心は何だったのかと思うけれど、時代と共に変わっていくことができるのも鋭い能力なのかもしれない。
それでもなお、戦争を無くす道を探るべきではないのかと私は思ってしまう。