NHKテレビで、18歳の難病の女の子が「もうこれ以上の治療は受けない」と決意して死を迎えたことを取り上げていた。『ナビゲーション現代』では先端医療の現状と問題点を2週にわたって特集していた。3回目の昨日はこれまでとは全く逆の目から見たものだった。医療の最先端では様々な新器具や新機械が開発され、それに伴って新技術が生まれている。どうしてこんなにも医術は進歩しているのかと思うほどの進展であった。
このまま行けば、人間は古代からの夢であった「不老長寿」を手に入れるだろう。20歳になったなら、誰もがそのままの若さを保つことも困難ではない時代が来るのかもしれない。でも、そんなことが本当に人の幸せになるのだろうか。右を見ても左を見ても、若い人ばかりで年齢を聞けば50歳だったり70歳だったり、ひょっとしたら100歳だったりの人がいっぱいいるような世界は気持ちが悪いように思うが、偏見なのだろうか。
無くなった細胞を新しく作り出したり、そればかりか人間そのものを作り出すことすら可能になるのかもしれない。サイボークやコピー人間が当たり前の世界が誕生するようになったなら、生き残す人間の選別も可能だろう。必要な人間と不必要な人間の選別は誰がどこでどのように行なうのだろうか。世界は多様な種の存在があってこその地球だと言うけれど、多様な人間の存在を認める社会にはなるのだろうか。
18歳の女の子は生まれた時から不治の病を背負ってきた。何度も手術を受け、命はつないできたけれど、そのために声を発することは出来ない。また多分、病気との闘いのために学校へ通うことも出来なかったであろう。けれども人間が偉大だなと思うのは、学校へは行けなくても親の話す言葉を聴いて覚えていくものらしい。そして言葉を文字で表すこともできるようになる。現代のように、パソコンやケイタイが普及すると、それらを使ってコミュニケーションができるようになる。
18歳の女の子はパソコンやケイタイで自分の意思を伝えていた。彼女は伝える。「天国はおつかれさまという場所だから」と。「命は長さじゃーない。どう生きていくか」であると。彼女の父親は娘が延命治療を拒否した時は、娘の選択を尊重するつもりだった。けれど、「助かるならばどんなことをしてでも助けたい」と思い、医師に相談してしまう。それは親としては当たり前のことだと思う。医師は「お父さんの気持ちはよくわかる。多分、自分も同じことをするだろう。けれど、医師の立場からは何も言えない」と答える。
18歳の女の子は、「医療は全部受けた。充分がんばった。私は納得している」とメールする。私の友だちも「命は神様にいただいたもの。神様の御手に委ねます」と言い切る。そんなに強い信仰心のない友だちも「自然の任せるまま枯れていくのもいい死に方ではないか。生命が消えかかろうとしているのに、それにストップをかける医療行為が死を苦しくさせるのではないか。生命誕生の医療があるなら、コロッと逝ける医療があっても当然と思いたい」と言う。そのとおりだと私も思う。
このまま行けば、人間は古代からの夢であった「不老長寿」を手に入れるだろう。20歳になったなら、誰もがそのままの若さを保つことも困難ではない時代が来るのかもしれない。でも、そんなことが本当に人の幸せになるのだろうか。右を見ても左を見ても、若い人ばかりで年齢を聞けば50歳だったり70歳だったり、ひょっとしたら100歳だったりの人がいっぱいいるような世界は気持ちが悪いように思うが、偏見なのだろうか。
無くなった細胞を新しく作り出したり、そればかりか人間そのものを作り出すことすら可能になるのかもしれない。サイボークやコピー人間が当たり前の世界が誕生するようになったなら、生き残す人間の選別も可能だろう。必要な人間と不必要な人間の選別は誰がどこでどのように行なうのだろうか。世界は多様な種の存在があってこその地球だと言うけれど、多様な人間の存在を認める社会にはなるのだろうか。
18歳の女の子は生まれた時から不治の病を背負ってきた。何度も手術を受け、命はつないできたけれど、そのために声を発することは出来ない。また多分、病気との闘いのために学校へ通うことも出来なかったであろう。けれども人間が偉大だなと思うのは、学校へは行けなくても親の話す言葉を聴いて覚えていくものらしい。そして言葉を文字で表すこともできるようになる。現代のように、パソコンやケイタイが普及すると、それらを使ってコミュニケーションができるようになる。
18歳の女の子はパソコンやケイタイで自分の意思を伝えていた。彼女は伝える。「天国はおつかれさまという場所だから」と。「命は長さじゃーない。どう生きていくか」であると。彼女の父親は娘が延命治療を拒否した時は、娘の選択を尊重するつもりだった。けれど、「助かるならばどんなことをしてでも助けたい」と思い、医師に相談してしまう。それは親としては当たり前のことだと思う。医師は「お父さんの気持ちはよくわかる。多分、自分も同じことをするだろう。けれど、医師の立場からは何も言えない」と答える。
18歳の女の子は、「医療は全部受けた。充分がんばった。私は納得している」とメールする。私の友だちも「命は神様にいただいたもの。神様の御手に委ねます」と言い切る。そんなに強い信仰心のない友だちも「自然の任せるまま枯れていくのもいい死に方ではないか。生命が消えかかろうとしているのに、それにストップをかける医療行為が死を苦しくさせるのではないか。生命誕生の医療があるなら、コロッと逝ける医療があっても当然と思いたい」と言う。そのとおりだと私も思う。