友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

悪人なんていない

2011年11月07日 21時48分17秒 | Weblog

 朝から北西の風が強く吹いている。西側のルーフバルコニーの植木たちが大きく揺れている。冬の到来であるのに、日差しは強く暖かい。しかし、風がこんなに強くてはバルコニーでの作業は出来ない。鉢の土の入れ替えはあきらめ、ぼんやりと一日を過ごす。先日の大和塾の市民講座「ひとりオペラ 異聞道成寺縁起」に参加してくださった皆さんから集めたアンケートを眺め、記述部分の「本日の感想」をパソコンに打ち込み始めた。

 

 夕方、ゴルフ教室で岐阜県まで出掛けていて帰ってきたカミさんに、「今日は風が強くて、バルコニーには出られなかった」と言うと、カミさんは「そんなに風も無く、寒くも無かったわよ」と言う。濃尾平野の方が“伊吹おろし”は強く吹き抜けるようだ。朝よりも夕方の方が風は収まるのだろうか。それにしても今年は秋だというのに暖かい。街路樹のケヤキはきれいな紅葉にならないし、このマンションの桜も例年なら赤い葉になるのにまだ染まっていない。柿の木の葉も青葉が多く残っている。

 

 昨夜、放映されていた映画『悪人』を観ることなく酔っ払って寝てしまったので、今、初めと終わりを観た。やはり、昨夜と同じようにお酒を飲みながら観たので、確かなことは言えないが、ヨーロッパで受けそうな映画だと思った。ドキュメンタリー風のタッチでありながら、時間が前後しながら核心に迫っていく手法は映画でなければ出来ないだろう。妻夫木聡の金髪の青年もよかったし、深津絵里の年上の素朴な女もよかった。NHKの「おひさま」に出ていた満島ひかりが殺される女の役で出演していて驚いたが、ちょっと清純過ぎた。

 

 「悪人」とはどういう人間なのだろう。この映画に出てくるような人間はたとえ罪を犯したとしても悪人とは思えない。妻夫木が最後に本気で深津を殺そうとしたとしても、それをもって悪人とは言えない気がする。妻夫木がどんな家庭で育ったのか映画では定かではないけれど、祖父母に育てられ、その面倒を見ているというのだから、経済的に恵まれた環境とはいえないだろう。深津は妹と暮らしているが、佐賀の町から一歩も出たことのない婚期を逃がした女のようだ。けれど、初めて抱いてくれた妻夫木を好きになってしまったことは確かだろう。

 

 悪人なんてこの世の中に一人もいない。もし、本当にいるとしたら、他人のことなど眼中にない冷徹な人間だけだ。登場人物は誰もが決して悪人ではない。満島ひかりをもてあそんだ男も、満島の父親も母親も、深津も妻夫木も、祖父母も、誰一人として悪人はいない。人の世はそんなものだろう。それが何かのきっかけで、ふとした弾みで、大きく歯車が狂っていくだけのことだ。普通に暮らしているけれど、誰だって悲しいし、誰だって物足りない。だから人は何かを求めている寂しい存在だ。

 

 強いて言うなら、思慮が足りなかった。人殺しとなった妻夫木はもちろん、殺された満島も、一緒に逃げた深津も、満島の父親も、もてあそんだ大学生も、悪人ではないけれど思慮に欠けた。もう少し上手くやることも出来たのに、それが出来なかったのだから馬鹿だが悪人ではない。本当の悪人は人間的な感情や思慮など持たない人間であろう。

コメント
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