友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

黙々と手を動かすことの意味

2011年11月29日 19時07分47秒 | Weblog

 中学からの友だちは昨日、退院したとブログにあった。私の思いと彼の退院が交差した。どんな具合かは分からないけれど、まずは良かったが‥、あれ?お酒は飲めるだろうか。高校を卒業した後、中学からの友だち4人でよくお酒を飲んだけれど、彼が一番お酒に強いとずっと思っていた。実際にいつもよく飲んだ。ところがつい最近、「晩酌はしない」と聞いてビックリした。「お酒は家では飲んだことが無い」のだ。自制心が強いと感心した。

 

 私はお酒に強い方ではないけれど、お酒を飲むことは好きだ。お酒を飲む雰囲気が好きなのかも知れない。晩酌はするけれど、できれば親しい友だちとおしゃべりしながら飲む方がいい。ふたりよりも大勢で、どんな馬鹿話も許される席がいい。今、私がよく飲む仲間は年上が多いが、これまで充分生きてきたからだろうけれど、「長生きするために、好きなことをしないのは自分の生き方じゃーない」と断言する。私は大いに共感している。

 

 好きなことのためには無理もするが、健康のためとか長生きのためとか言われると、絶対にやるものかと思ってしまう。父や母が生きたよりも長く生きているだけで充分に幸せだと思う。生きている意味が無くなったら、生きる気力を失ったなら、あっという間かも知れない。「NPOの事業報告書がまだ出ていないので、大至急出すように。罰金または取り消し‥云々」の通知をもらった。しまった。またやってしまった。資料を全部揃えて、それで提出した気になってしまっていた。まだまだ、頑張らなくてはいけないようだ。

 

 近頃、集中力が欠けている。いや、そんなはずは無い。毎日、鉢の土を出しては赤玉、ミミズ、古い根をより分けている。こんなにやっても本当は何も変わらないのかも知れないと思いながら、時間があれば外に出て、一人で黙々と作業している。1鉢の土をきれいにするのに、大きな鉢なら1時間20分ほどかける。小さなものは2つを一緒にして行うので逆に1時間半かかる。何も話さず、何も聞かず、外の音だけが耳に入ってくる。

 

 実際、何も考えてもいない。ただ、せっせと手を動かしているだけだ。将来のことは全然出てこないけれど、昔のこと、小学校のことや中学や高校のことなど、どうしようもないことを思い出している。そうかと思えば、ここ2・3年前のこと、暑い夏のこと、昨年の紅葉のこと、取りとめも無く思い巡らしている。身体が硬直して痛い。ゆっくりと向きを変えて背筋を伸ばす。おもむろに起き上がって、深呼吸をし、再び鉢に向かう。

 

 そうか、来年の春にチューリップが咲きそろったなら、ガン治療と戦っている友人夫婦を招待すると約束したのだから、見事に花を咲かせるように頑張ろう。やっていることは意味が無いように思っていたけれど、みんなに喜んでもらえるようにとやっているのだ。やっているうちにまた次の希望も湧いてくる。人生は生きているから面白いのだ。明日で全ての鉢の土をきれいにする作業が終わる。後は、土と肥料をよく混ぜ合わせ、チューリップを植え込むだけだとなった。

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