友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

日本人の伝統は息づいているか

2011年11月06日 22時02分32秒 | Weblog

 久しぶりに大型スーパーへ出かけた。日曜でも夕方だったから、そんなに人出は多くないだろうと思ったのは間違いだった。確かにここに来たなら一日居ても時間はつぶせる。隣には映画館もあるし、家電量販店もある。大型書店もあるし、食事も出来るし、何でも揃っている。若い人たちの好むファッションを揃えた店も連なっている。小物もあれば寝具などもある。夕方とはいえ、若い家族連れが多い。若い男女は圧倒的な数だ。

 

 スーパーでも若いカップルが手をつないで買い物をしている姿をよく見かけた。刺身の売り場で350円の値札のついた赤身の刺身が半額の175円に書き換えられていた。すると「ねえ、これ買っちゃう」と若い女の子の声がした。「そうしようか」と男の子が商品をかごに入れる。買い物かごの中には揚げ物の惣菜とカップラーメンが入っていた。「こんなものばかり食べてると太っちゃうよ」と女の子が言う。それで、何気なく振り返ってそのカップルを見た。女の子は70キロはありそうな巨体で、男の子は50キロくらいの細い身体である。

 

 買い物をしている男女を見ていると、これから家に帰って料理をするというよりも、買ってきたものを並べて食べると思うものが多かった。カミさんが「何が食べたい?」と言う。「刺身と寿司でいいよ」と答える。我が家も何も料理などしなくていいものにしておこう。ふたりだけの夕食である。食べたいものよりも、食べられればいいと思ってしまう。お酒のつまみになるようなものがあればそれでいいのだ。私はどちらか言えば肉が好きだけれど、カミさんはあっさりしたものが好きだ。たくさんはいらない。美味しいものが少しあればいい。

 

 帰る途中で孫娘から電話が入った。「これからそっちへ行くけどいい?」と言う。「何しに来るの?」とカミさんは言う。二人分の刺身と寿司しかないから、食事をしたいと言われても困ると思ったのだろう。「ミカンと柿を持っていく」と孫娘。「食事はするの?」とカミさんは聞く。「もう食べた。3人で遊びに行く」。カミさんはとても正直な人だと私は笑ってしまった。娘や孫の訪問を心待ちにしているおばあちゃんは多いし、カミさんもその類なのに、「はいはい、待ってるからね」と聞こえのいいことが言えない。

 

 先ほど、クライマックスシリーズで中日ドラゴンズがヤクルトに勝った。落合監督の勝利インタビューをやっていたが、この人もファンサービスになるようなことは言わない。カミさんとよく似ていて、まとも過ぎて面白くない。他人を意識し、喜ばせる、感動的なエピソードやなるほどという事例を挙げることもない。落合監督のように淡々と語られるとトピックも作りにくい。

 

 落合監督は日本人に受けが悪いとどこかの週刊誌にあった気がするが、むしろ落合監督のような人が日本の歴史を支えて来たのかも知れない。たとえばミカンや柿などは、長い年月をかけて品種改良を続け、甘くて美味しい果物に作り上げてきた。稲は国が補助して新種を作ってきたのかも知れないが、果物のようなものは個人が資財を投げ打って研究してきた。米作の収穫を上げるために個人で用水を引く事業を成し遂げた人がいる。実績だけを求めた苦労人である。

 

 スーパーで買い物をしていた若いカップルがジジババになるころは、日本はどういう社会になっているのだろう。個人の資財を投げ打ってでも何かをしようとした日本人の伝統は息づいているのだろうか。孫娘たちよ、ジジババは応援しているよ!

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする