友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

社会はどう変貌していくのだろう

2011年11月08日 18時16分20秒 | Weblog

 午前中は風が強くなかったので、花の終わった植木鉢の土を入れ替える作業をした。しかし、次第に風が強くなり、中断してしまった。それで室内でも出来る観葉植物のスパティフィラムの株分けを行った。この時期にするのが適当なのか分からないが、余りに込み合ってきたので可哀想に思い、よしやろうと取り掛かった。今日は立冬だと言う。余りにも暖かな秋だったけれど、これからは平年並みになるらしい。木枯らしが吹くと人恋しくなるのは私だけなのだろうか。

 

 今朝の朝日新聞に国際日本文化研究センター所長のインタビュー記事が一面を使って掲載されていた。名称から日本文化の研究機関と思ったら、所長の経歴は大阪大学前経済学部長とある。「経済学は物理学ならニュートン以前の段階? 『そう言われれば、永遠にそうかもしれません』」とあった。そうなのだ。物理や化学はあったけれど、経済が研究されるようになったのは産業革命以後になるだろう。「資本主義経済よ、どこへ」というタイトルにつられて読んでみた。

 

 各国が財政赤字に陥る原因については、「民主主義のもとでは財政は常に赤字へと傾かざるをえない」と話す。政治家は選挙に勝つため有権者の利益に迎合する。当選させてくれれば、あれもやります、これもします、と選挙で訴える。利益誘導を口にしないような候補者は、当選しにくい雰囲気が出来上がっている。どのような地域づくりあるいは国づくりを進めるかよりも、目の前の損得に有権者は関心がある。「民主主義は『現在』の欲求を満足させるシステムではあるが、次世代の社会がどうなるかを長期的に考えない」と言う。

 

 資本主義はどういうものかと言えば、「ちょっとでもすきを見て大もうけをしてやろうという人間は、そう簡単に消えない。ただすべての国民がそうなれば国は滅びるが、そういう人々が一部にいるから社会は活性化する」。きっとそうなのだろう。誰かが出てくれば、誰かが落ちていくけれど、全体的には常に誰かが存在している。成功する人はわずかだが、目指す人は大勢いる。だから成り立つのだろう。しかし、“市場”がすべてを上手にコントロールするわけではないようだ。バブルは必ず崩壊するし、矛盾も常に存在する。

 

 経済学は経済危機に対処できないのか?「経済理論は筋立てを説明するのに便利だが、現実社会に起きる、きわめて複雑な現象をすべて解決できる完璧な処方箋は描けません。きっと将来も」と答えている。そのとおりだろう。経済は生き物だと言われているように、成長しながら行き着くところへ向かうのだろう。しかし終焉には至らずに、新たな課題を提起し、振り回しながら進んでいくことになるのだろう。

 

 じゃあ、どうすればよいのか。「多くを持ちすぎている人間の判断力は怪しい。何も持っていない人間も生きていくために、仕方なく暴力を振るったり強奪したりすることがある。ほどほどに持っている人が一番いい判断力を持っている。そんな社会の基盤をつくるのが民主主義の前提です」。それでも市場経済は格差を生む宿命にあるのでは?との問いに、「市場経済は優れた能力を発見するための重要な社会的装置です」。だから「正義と公正さ」「再配分政策」が大事だと述べる。

 

 さあ、資本主義社会はこれからどのように変貌していくのだろう。

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