友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思いと行動のズレ

2011年11月01日 21時32分30秒 | Weblog

 とうとう11月になってしまった。でも、何も変わらない。今日は「暑いですね」と言ってもよいほどの陽気だ。春に咲かせたチューリップの球根を取り出してみたら、軽くなってしまっている。いつもなら、ふた付きの紙箱にいれて納戸にしまっておくのに、ふたのない箱で、しかも納戸ではなく使っていない部屋だからと置いたのが良くなかったようだ。チューリップも愛情を感じ取るのだろうか。いや、私としてはふたの無い方が呼吸が出来ると思ったのだが。それでもいつもどおりに光の届かない納戸の方が良かったのかも知れない。自分では愛情のつもりでも、結果としてはぶち壊しになってしまった。人と人だけでなく、チューリップ、お前もか!である。

 

 ごめんねと思いつつ、カスカスになってしまったチューリップの球根を捨てた。今年は300球くらいあったのに、私の管理不足で申し訳ない結果になった。新しく注文した球根がそろそろ着く頃なので、いつになるのかと問い合わせてみると、「発送作業に追われているけれど、今週末か来週初めにはお届けできると思います」との返事だった。そうなると、まだ咲いているサルビアを引き抜いて、鉢の土を入れ替える作業にかからなければならない。しかし今は、3日の『ひとりオペラ 異聞道成寺縁起』が終了しないことには気持ちが落ち着かないので、4日以降ボチボチやろうかと思う。何もしたくない病だったのが、3日を前に俄然やる気になってきたのに、終わってしまうとまた落ち込みそうだ。

 

 精神科医で作家の“なだいなだ”が、亡くなった北杜夫氏のことを「うつ病だった」と書いていた。人は誰でも多かれ少なかれ、「うつ病」を持っていると私は思っているので、何の抵抗も無くその記事を読んだ。北杜夫氏は歌人の斉藤茂吉の次男で兄が斉藤茂太氏。私は関心が無かったので一度も読んだことが無いが、『どくとるマンボウ航海記』で有名になり、私たちの世代の多くが読んでいたと思う。父親の茂吉は恐ろしいカミナリ親父で頑固一徹の人だった。母親は「ダンスパーティ事件」にかかわるような自由奔放な女性のようだ。威厳に満ち満ちていた父親が若い女性と恋に落ちたことを知った時、北杜夫氏は何を思ったのだろう。政治的な発言を一切しなかったのに、自宅を領土とする真の共産主義国家「マンボウ・マブゼ共和国」を作ったのはどうしてなのだろう。思いと行動とはとかく行き違うことがあるし、思いが届かなかったりすれ違ってしまったりすることも結構ある。

 

 しかし、野田内閣の思いと行動のずれは意識的だ。愛情が届かないのではなくて、そもそも愛情など存在しないと言った方がいい。脱原発は多くの国民の願いだけれど、危険だと感じているものをなぜ他の国には輸出しても平気でいられるのだろう。自民党の小渕優子さんが国会で、野田首相に「いったい何がしたいのですか。どういう国を作りたいのですか」と質問していた。震災からの復興を第一とする野田内閣への批判だ。民主党であろうと自民党であろうと共産党であろうと、震災からの復興を第一の課題とするのは当然だろう。だからこそ、小渕議員は「どういう国を作ろうとするのか」と究極の課題に迫ったのだろう。でも不思議だなと思う。これまで国会で、この国をどういう国にするのかという根本問題が論議されたという覚えが無い。国会ならそのことが常に議論の中心になってもいいはずなのに、与野党ともにこの議論を避けてきたように思う。

 

 思いと行動が一致できるように、とことん議論して欲しいものだ。

コメント
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