友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

心も科学もコントロールできない

2011年11月10日 21時46分36秒 | Weblog

 お、おー、揺れた。横に揺れたわけではないが、上下に強く動いた。午後7時前、愛知県西部で地震が発生した。震度3というから強い地震ではなかったけれど、これが前触れなら、次は大きいのが来るぞと思った。しかし一度揺れただけで収まった。

 

 夕方に孫娘がやって来て、「地震雲を見たから、地震が来るよ」と言っていた時は、いい加減なことを言っていると思っていた。孫娘は「明日は11月11日、地震が来たらどうしよう」と本気で悩んでいた。3月11日の次は11月11日か、そんな物語のような話があるわけがない。「ああ、そうなると、11月11日の11時11分ということか」と冗談でかわしていた。

 

 しかし、驚いた。TPPに参加するか否か、今日、はっきり表明すると言っていた野田首相だったけれど、先ほどのニュースで結論は明日に延ばすことになった。意見が合わなければ別れればいいのに、数としてはまとまっていたいというのはどういう神経なのだろう。国の将来を考えて結論を出すのに、どうして自分の結論に自信が持てないのだろう。

 

 震災からの復興支援を何よりも優先して行わなくてはならない。これに異議を唱える人はいないだろう。けれど、何からやる、どこがやる、いくらでやる、そうなってくると途端に怪しくなってくる。どこまでも利権だ。そればかりか、ボランティアで出掛けた人から、援助なれしてしまった子どもたちは「何をくれる?」と言い、「お金がいい」と言った話を聞いた。一部にでもそういうことがあるとみんながそうなのかと思えてしまうから恐い。

 

 それは子どもの話だったけれど、大人たちも同じようなものだという話もある。避難所でごろごろしていれば、食べることには困らないので、出て行かない人がいるとか、そんな非難めいた話をいくつか聞いた。働く場所がない、働けない事情のある人もいるのだから、一律にずるいとか怠けているとか言わない方がいいと思う。実際の状況も分からずに、見ただけであるいは話を聞いただけで軽々しく言うべきではないだろう。

 

 けれども福島原発から20キロか30キロか、あるいは本当はもっと広い範囲なのかも知れないが、原子力委員会の見解では原発を廃炉にするまでに30年かかるというから、この地域の人たちにとっては暮らしていけないと宣告されたようなものだろう。これはもう醜聞や非難の応酬の域を超えている。

 

 だからもう、脱原発以外に選択はない。原子力発電事業にかかわってきた会社や従業員の方には申し訳ないけれど、原発から撤退してもらいたい。そう思っていたけれど、それは素人の考えることだった。先日、原発の設計に当たっていたという技術者の話を聞いて驚いた。原発建設がなくなっても会社は少しも困らないと言う。会社はすでに、こういう事態に備えて廃炉にする技術を確保していると。

 

 廃炉というのは原子炉を壊していくことなのだろうけれど、しかし、それで生まれる放射線を帯びた資材や核燃料の処理方法はまだ確立されていない。作ったものを最後にどう処理するか、それが考えられないままに、爆弾よりも大きな破壊力に注目して、原子力に手を入れてしまったのだ。人は、人の心も、人が作り出した科学も、コントロールできない。

コメント
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